スポーツまいんど その84

◎昔のすぽると㊱  東大「運動会」で世界記録

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」1902年(明治35年)に、「11.14東京帝国大学の運動会で藤井実、100mを10秒24で走り、世界記録をだす」という記事がある。100m走日本記録はメキシコオリンピック(1968年)の飯島選手の10秒34(電動計時)が有名であるが、それよりも65年以上前にこの記録、またどうやって1/100秒単位で計ったのか、不思議。調べてみた。

 この「藤井実(實)」さんは1881年(または1880年)生まれ、1902年に東京帝国大学法科大学に進学、体格に恵まれ(身長179cm、体重71kg)、陸上競技の短距離走と棒高跳びを得意としていたという。棒高跳びのポールに竹を使ったのは藤井さんが最初らしい。またスパイクシューズ使用も日本最初。1年生のとき「東京帝大運動会」に出場、100m走に優勝。「優勝者競争」(これは優勝者と2着、または優勝者のみで行う記録挑戦レース)に出場、そこで世界記録である。

 この「東京帝大運動会」、なんと東京帝大英文科教授だった夏目漱石が『三四郎』にその一部を描写している。以下の部分であり、藤井さんをモデルとしたらしい。

 「三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである。(中略)三四郎は自分も無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股《さるまた》をはいて婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会《しんぼくかい》で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである」。

 藤井さんは後の総理大臣「吉田茂」と同級、卒業後「外務省」に入る。その年、OBとして運動会に出場、棒高跳びで3m90cmを記録、この年を最後に陸上競技引退、外交官として活躍したという。しかしこの棒高跳びの記録も凄いモノで、1904年のオリンピック優勝記録3m50cm、1908年3m71cm、彼の記録の方が上だったのだ。

 因みに藤井さんは、東京帝国大教授の物理学者「田中館愛橘(たなかだてあいきつ)」に目をかけられ、100mの記録は学者「田中館」、その助手の「田丸節郎」、随筆でも有名な物理学者となった「寺田寅彦」らが製作した「電気計測器」によって測定。この装置、コース沿いの電線、1秒間に3cmずつ線を記録するテープなどで構成(よくわからない)、1/100秒単位でわかるものだったという。この記録と翌年の棒高跳びの記録は「アメリカ体教(AAU)年報」で紹介された(この頃は国際陸上競技連盟の発足前)。

 藤井さん 1902年(明治35年) に100m(10秒24)、1906年(明治39年)に棒高跳び(3m90)、東大の運動会で世界新記録を出したのである。大したもんである。

 参考:Wikipedia/豊大先生・陸上競技のミカタ

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