スポーツまいんど その88
◎昔のすぽると㊵ 関八州競馬会
スポーツまいんど その88
◎昔のすぽると㊵ 関八州競馬会
参考文献「近代体育スポーツ年表」に、1906年(明治39年)「5.20 第1回関八州競馬会開催、女武者も出場」という記事があった。この「関八州」とは何か?「競馬会」は何処で行われたのか?「女武者」とは何か? いろんな疑問がわいてきた。今回はこの競馬会を報告する。美しい女武者の写真も手に入ったのでお楽しみに。
まず、こんなことを書いたサイトを発見。 「関八州競馬会」について明治39年5月10日発行の東京日日新聞(後の毎日新聞)に開催告知が掲載され、そしてその後の同新聞では、平地競走、甲冑競馬の写真とともに開催の様子を報じています。会場は3日間、関八州競馬会では主催者による馬券発売はなかった、という情報もあり、そして「関東競馬会、大日本競馬会、不忍池競馬会などの共同開催だったことから開催告知にも主催者名を明記できなかったのでしょう」とある。 ⬅️日日新聞の写真
「関八州(かんはっしゅう)」とは、調べてみると「江戸時代、関東8か国の総称。相模 (さがみ) ・武蔵 (むさし) ・安房 (あわ) ・上総 (かずさ) ・下総 (しもうさ) ・常陸 (ひたち) ・上野 (こうずけ) ・下野 (しもつけ) の8か国。関東八州」である。そして行われた場所は東京、上野の「不忍池」なのである。この競馬会は「上野不忍池競馬」との関連があったのである」。
「上野不忍池競馬」は1884年(明治17年)から不忍池を周回するコースで行われていた。馬券は販売されずギャンブルとしての開催ではなく,天皇陛下や華族、政府高官や財界人の多くの観衆がいたという。しかし会費、入場料や支援金では赤字となり1892年(明治25年)に終了したという。「上野不忍池競馬」の絵⬇️
そして1906年(明治39年)に、日露戦争を期に政府方針が変更され馬券販売が許されるかも、という噂が流れ、この「関八州競馬会」が開催されたらしい。3日間の興行、1人50銭の入場料で満場の人出となったらしい。しかし不忍池で競馬が開催されたのはこの関八州競馬大会が最後で、以降再び上野で競馬が開催されることはなかったという。
で、「女武者」とは何か。「女軍(めいくさ・めのいくさ)」という言葉があり、女王「卑弥呼」、女軍部隊を率いた「神武天皇」など,すごい「女武者」がいたらしい(長尾剛著「女武者の日本史」)。この競馬における「女武者」の情報は手に入らず、写真は手に入ったので掲載。3人の「女武者」が並んだ写真の下には「関八州競馬会ニ於ケル中根氏門弟女子ノ乗馬隊」と書かれている。乗馬隊の三人のアスリートという感じである。⬇️
もう一枚の綺麗な?お嬢さんの写真には「不忍池●? 関八州競馬会に於ける 小ゑん」と書かれている。なんか芸者さんの雰囲気な「女武者」のようだ。