スポーツまいんど その89
◎昔のすぽると㊶ 運動術士/運動界之裏面
スポーツまいんど その89
◎昔のすぽると㊶ 運動術士/運動界之裏面
参考文献「近代体育スポーツ年表」に1906年(明治39年)、「7- 運動術士 《運動界之裏面》」という記事があった。この「運動術士」とは何か? ネットで調べてみると「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイトが現れた。そこを見てゆくと「運動界之裏面」というタイトルの本があり、著者が「運動術士」であったのだ。この国会図書館のページで、この本を読むことができる。今回は、228ページもある本なので、チラッと読んでその内容を報告する。
1912年(大正元年)早稲田大學を中退し、志願兵となる。その後除隊し、新聞記者となる。この「運動界之裏面」は1906年の出版であり、彼が応援隊の隊長の頃である。この年に応援の過熱で早慶戦が中止となる。その早慶戦の応援に、彼は白馬にまたがり、剣を抜いて慶應グラウンドに進軍したという伝説があるが、それはウソらしい。
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緒言(一)體育といふことは時代に培(はぐく)まれて、近來著しき發達をした、體育は今は議論ではなく事實である、社會上の出來事として體育界の消息を報ずるまでと成った」・・・以下(五)まで厳めしい文章が続く。この時代には「スポーツ」と言う言葉は一般的でなかった(スポーツという言葉が一般的になるのは昭和から)。「運動」という言葉は一般的だったが、学校の「体育」という科目は「体操」だった(「体育」となるのは戦後)。この「體育」はどういう意味なのか?
目次 一 第一高等學校 二 早稲田大學 三 學習院 四 高等商業學校 五 慶應義塾 六 競技中止事件 七 日本の庭球界 八 何故にテニス起こりしか 九 庭球の大進歩 十 現今の大進歩 十一 都下の庭球團體
「八 何故にテニス起こりしか」に面白い記述があったので紹介。「何故にテニスは起こりしかとの問を掲げ來ると、我々は其に答へるべき多くの事實を持つてゐる」(書きづらいし、読みづらいので、以下現代文で)。(一)ボールとテニスの関係及消長の歴史。明治36年はボール振興の頂点(ボールとは野球のことらしい)、頂点に踏ん張っていたのが第一高等学校の健児。彼らは「運動とはボールのこと・・・、テニスその柔弱なるものは、手にするも恥じる」と偉そうに言う。それに反するものがいないほど野球が盛んで強かった。しかしその後、一高野球の沈滞時代が訪れ、慶応、早稲田に負けるようにもなってきた。「此際(このさい)にテニスは起こって來た、期せずして勃興して來た」のである。緒言(−)において運動術士の述べた「體育」はスポーツ(競技)のことらしい。
著者の「運動術士」何とか調べた結果「吉岡伸敬」だと解った。彼は大変ユニークな人物であったので紹介する。早稲田中学校に入学して野球部に籍を置くがあまり上手くなかったらしい。早稲田中学を卒業し第一高等学校に挑むが受験勉強をあまりやらず。二年連続で不合格、そして早稲田大學に入学。月謝未納退学、他学部に再入学、なんと10年間早稲田に在籍する。1905年には「早稲田大學応援隊」を結成し、その隊長となる。無精髭は中学の頃から生やしており「虎鬚彌次将軍」と呼ばれ「バンカラ」の代名詞として日本全国の学生に知られるようになる。