スポーツまいんど その91

◎昔のすぽると㊸  バスケットボール日本紹介

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1908年(明治41年)、「大森兵蔵、アメリカより帰国(YMCA訓練学校体育部卒業者。バスケット、バレー、陸上競技などの紹介者として大いに尽力)」という「運動年鑑(朝日新聞社編)」の記事があった。有名な人なのでその概略を紹介する。そしてそれより17年前、そのバスケットボールがアメリカで生まれた瞬間、そこでプレイした日本人がいたことを紹介する。

 大森兵蔵は、岡山県出身。東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業後1901年渡米し、スタンフォード大学、1905年から国際YMCAトレーニングスクールで学んだ.1908年帰国し,東京YMCAでバスケットボールやバレーボールを日本に始めて紹介した(YMCAは1889年には日本第一号が設立されていた)。その後1911年に「嘉納治五郎」会長、「大森兵蔵」理事の「大日本体育協会」を設立し、1912年のオリンピック・ストックホルム大会(スウェーデン)を目指す「日本オリンピック委員会(JOC)」を設立した。そして嘉納団長、大森監督、選手(陸上競技の三島弥彦、金栗四三)総勢4名の日本代表選手団はシベリア鉄道を利用して初参加となった(このページの下にその時の写真あり)。しかし1913年、オリンピックからの帰国途上、アメリカに立ち寄り、日本行きの船を待っている時に持病の「肺結核」が悪化し36歳にて死去という悲劇となったのである(オリンピックの最中から体調悪化だったらしい)。

 バスケットボールは、アメリカYMCAの教員「ジェイムズ・ネイスミス」によって創案され、1891年12月21日11時30分、最初のゲームが行われている.参加者は18人の学生、9vs9 の試合である。ボールはサッカーボール使用、ボールを持っては走れない、ゴールは桃の入っていた籠(ネイスミスは45cm四方の箱を予定していたが箱なく、籠となった)。その高さは10フィート(305cm)、現在と同じ、体育館のバルコニーに取り付け。コートの広さは16.7m×10.7m(現在28m×15m)、試合は1対0で終了。これが世界で初めてのバスケットボールであった。

 そしてその18人の学生の中に日本人がいた。「石川源三郎」という留学生である。先の「大森兵蔵」がYMCAで学ぶ14年ほど前の話である。彼はそのバスケットボールの試合のスケッチを残している(下右上写真)。この当時のゴールは現在、アメリカのマサチューセッツ州の「バスケットボール殿堂」に復元されている(下右下写真)。石川源三郎は1901年に帰国し、その後三井物産に入社、1905年にはドイツのハンブルク支店の総支配人となっている。















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