スポーツまいんど その92

◎昔のすぽると㊹  江川マストン

 

 参考文献「近代体育スポーツ年表」に1909年(明治42年)、「浅草の遊技場で江川の玉乗り公開」という記事があった。「江川」「玉乗り」で調べてみると「江川マストン」という曲芸師で「二代目江川マストン」の動画まであるが、「初代についてはほとんど知られていない」とWikipedia に書かれていた。そんなもんかと思っていたら、「そんなことはない」とWikipedia を批判するHPを発見、詳しく書かれていた。よってこの「江川マストン(初代)」を紹介する。最後に写真あり。

 「江川マストン(初代)」は本名「迫熊吉」、明治14年(1881年)広島の尾道生まれ、両親に早く死に別れ、九州で育てられる。6歳頃に「江川一座」の太夫元の「清水亀吉」に貰われる。この亀吉は少年少女を養子に貰って、厳しく芸を仕込んでいた。そんな中で熊吉は芸を仕込まれ「江川梅吉」と名乗り、江川玉乗りの花形として活躍したらしい。彼は身長が低く(五尺そこそこ:150cmくらい)いろんな芸をしたらしい。撞木(ブランコ)の横木に頭で立つ逆立ちなどもやったらしい。

 1910年頃に江川一座の花形「清水小金」と結婚し、長男の「迫与三郎(二代目マストン)」誕生、しかしすぐに離婚。この「小金」は「東富士子」と改名し、「日本一の針金渡り」と称するようになったらしい。1917年に息子の「与三郎」が「江川茶目」という名で初舞台(7歳の頃)。しかし「梅吉」は酒で身を持ち崩し、親方の「亀吉」と喧嘩をして江川一座を追い出され「江川梅吉」の名を捨てることとなる。その後「太神楽(だいかぐら:雑芸の一種)」の家元に救われ「寄席」に入ることとなる。そこで名を「空中軒マストン」と改称する。この「マストン」は逆立ちが得意でそれが船のマストみたい、ということからついたという説や「升豚」「升頓」と書かれた資料もあるらしい。そして息子の「与三郎」を「空中軒小マストン」という名前で舞台に立たせたという。

 昭和になると1930年代、浅草において曲芸を演じ、「小マストン」とのコンビ活動、「古川ロッパ」「徳川夢声」らの劇団「笑いの王国」に出演、「江川マストン」に改名など、様々な活動を行い、1955年に死去、息子「小マストン」が「二代目マストン」となる。「二代目マストン」が1984年にテレビ出演した玉乗りの動画が見ることができる。このときなんと74歳、なかなかの技である。1988年に88歳で亡くなる。

⬇️二代目マストンの芸を見たい方はここクリック     写真はその下⬇️

https://www.youtube.com/watch?v=v9s-iff64qc

   初代マストン              二代目マストン











すぽーつまいんどメニューへ  HP案内図に戻る  Welcome  へ戻る