マザータワーの周りにも、たくさんの人が集まっていた。
ぼくが現れるとなぜが歓声が沸き起こる。
こういう周りの扱いにぼくは動揺し、戸惑う。
ぼくは別に自分が救世主だとか革命家だとは思ってないから。
「アーシア、こっちへ。」
タワーの入り口で、男の人に声をかけられた。
「マザーμの遣いの者です。」
管理局がらみの人は、実はみんな、マザーの配下の人型ロボットだったって聞いた。
でも、自分から「私はロボットです。」と言われない限り、本当に分からない。ロボット自身も、自分がロボットだって知らないのかも知れない。
ぼくはそのお遣いの人に連れられて、一人タワーの中へ入った。
タワーの中に人影はなく、たまに、明らかにロボットだと分かる造りのお掃除ロボットが動いている程度だった。
「15年前に、父さんもここを通ったのかな…。」
ぼくが無意識につぶやくと、お遣いの人がそっけなく答えた。
「ああ。通ったよ。その時は3人だったけどね。」
やがて狭いエレベーターに乗ると、その人はぼくの顔をまじまじと見て
「生まれた頃はフリージアに似ていたんだが…。今はシトレの生き写しだな。」
と言った。
僕よりも背が高くて、長い黒髪を後ろでまとめている。
白衣を着ていて、何かの研究者みたいな感じの人だ。
「あの、失礼ですけど、個人個人で持ってるメモリって、古い記憶は削除していきますよねぇ、ふつう。15年も前のことをまだ残してるんですか?」
ぼくは聞いてみた。
するとその人は、はははっと笑って、
「いや、俺は人間なんだ。」
と答えた。
「えっ。すみません。タワーの中にはロボットしかいないものだと思ってたから。」
「君の親父から見たら、裏切り者だろうな、俺は。」
「ぼくの父さんのお知り合いですか?」
「君の父さんと一緒にここへやってきた地球人の一人だよ、俺は。」
驚きでぼくの目が見開かれた時、エレベーターが止まった。
ぼくが動けなくてエレベーターに乗ったままになっていると、その人は先に出て振り返り、ぼくに言った。
「そのまま下りて戻ってもいいけど、話を聞きたいならそこを出て俺に付いて来るんだな。」
閉まりかけたエレベーターの扉を慌てて押さえて、ぼくは飛び出した。
ここに残った人がいるなんて、聞いてない。
カトレアは家で3人を見送ったと言っていた。
なら、その後にこの人は居残りを決めたことになる。
キサラと言う人はカトレアの恋人の人で、髪の色は茶金だと聞いている。黒髪なのは紅って人のはずだ。
紅って人は、無口で、冷静で、メカに対してすごく愛情があって、みんなが事実を知る前からマザーと交信をして全て知っていたって人だ。
その人が、今まだ、ここにいる…。
そのフロアは室内にまた大きなドームがあって、その人は入り口の前で、
「ここが、マザールーム。中でミューが待ってる。」
と言った。
ぼくがマザーμについて聞いた話は、カトレアがキサラと言う人から聞いた内容だ。
だから、カトレアが直接見た訳ではない分、真実と違う部分があるかもしれないとは思っていたけど、ほんとに目の前にいるミューは聞いた話とは違っていた。
ドームの大きな扉の中はがらんとした薄暗い空間で、壁にはたくさんの基盤やらケーブルが剥き出しになっている。所々に小さな明かりが見えるのは、基盤に取り付けられている発光ダイオードだろう。
中でも正面の壁に取り付けられている赤い光がとりわけ大きく光って…と思ったら、それはミューの額に取り付けられているものだった。
ぼくがミューの前に歩み出て行こうとした時、ぼくは彼女が自分に近づいてきていることに気が付いた。
歩いているのだ。
壁に埋め込まれたような女の人ではなかった。
ちゃんと人間と同じように腕と足を持っていた。
ただ、髪の毛だけは聞いたように壁から伝わる無数のケーブルになっていた。これだと歩き回れる範囲には限界がありそうだ。
薄暗いせいか、ミューの顔色はとりわけ白く、当たり前だけど生気がみなぎる感じではなかった。
でも、彼女はぼくの顔を見ると、とても機械とは思えないような表情で笑って、
「ああ、ほんとうにシトレに似ていること。…なんだか懐かしいような不思議な感覚だわ。」
と言ってぼくの頬に触れた。
「ぼくの聞いた話と、姿が違うよ。」
ぼくはミューの手の思いがけない温かさにびっくりしつつも、その姿をじっと見て言った。
「ええ、私は動く必要のあるものじゃないから、自力で動けるようには造られていなかったの。…でもね、紅がここに残って私の体のパーツを造ってくれたのよ。おかげで今はこうして歩いたり、あなたに触れたりすることができるの。」
「時間はかかったけどな。」
ぼくらから少し離れたところで腕組みをしながら様子を見ていた男の人は、ミューと顔を見合わせて笑った。
「そ、そう!紅さんなんですよね!?なんでここにいるんですか!?ぼくはカトレアからあなたも含めて3人で地球に帰ったって聞いてるのに。なんで!?」
ぼくは別に怒ってたわけじゃないんだけど、つい、つっかかる言い方をしてしまった。
「俺はアシュラが飛び立つ直前に機を降りたから、帰ったと思われてるのは当然だ。お前の親父にも悪いと思ってる。けど、あいつらが"自分達にできること"を為すために地球へ帰ったのと同じように、俺にも俺のできることがあると思った。それがミューの側にいてやることだと思ったから、残った。それだけのことだ。」
紅さんがはっきりと強い口調でそう言ったので、ぼくはなにも言えなくなって口をつぐんだ。
「私が弱い機械だったせいね…。中途半端に自我を持って、不安定ないきものになってしまったから、彼は私を放っておけなかったのよ。ごめんなさいね、アーシア。シトレやキサラに地球へ帰るように諭したのは私だったのに、自ら違反を犯してしまったわ。」
「でも、俺はここでミューと生活していればなんの苦労もないが、外で生活していれば、また、いつ命の危機にさらされるか分からなかったのも事実だ。あいつらは、現状がどうであれ、帰ってよかったと、俺は思ってるよ…。」
「それは、マザーの管理があるせいでしょう?今も、これからも、それが続くのが正しくないと思うから、ぼくはここに来たんだ。父さんがここへ戻ってきても、普通に平和に暮らして行けるようにして欲しいんだ。ぼくが父さんに会えるようにして欲しいんだ!」
ミューと紅さんの微笑ましい雰囲気になぜか苛立ちを感じたぼくは感情をうまく押さえられなくなっていた。
ぼくが落ち着くのを待ったのか、しばらくの沈黙の後、ミューが言った。
「時は来たのね。」
彼女は背を向けて壁の方へ歩いて行くと、小さなドアの前で止まった。
「長かった私の支配は終わる。私はこの居住区の生体管理システムとしての役目を終えるの。」
そして、そう言ったかと思うと、そのまま壁にもたれるように倒れこんだ。
「ミューはかなり消耗してるんだ。あれから15年間この星を維持してきたから。」
紅さんがミューの肩を抱いて支えてやりながら言った。
「アーシア、君がここへ来たと言うことが何を意味するのか、そして、この星からミューの管理がなくなるとどういう事が起こるのかを話したい。」
「…聞きます。」
ぼくは頷いた。
「素直なところもシトレ似だな。…15年前、この星が悪く言うところの"生体実験"を行っていることを知った俺達は、住民の人権と解放を求めて、カトレアはここで、俺達は地球で、それぞれ活動をすることにした。俺は実際はここにいるが、はっきり言って解放運動にはノータッチだ。ミューがシトレ達をこの星に招き入れたのは、人間が自分達で正しいことを判断し、行動を起こして欲しかったからだ。そのために、地球と言う星が存在する事実、そこで同じ人間がどういう生活をしているのかを教える事の出来る存在が必要だった。シトレ達は事実を語るために、そしてアーシア、君は人間としての営みの象徴として生まれてきたんだ。」
それを聞いてカトレアがぼくをシンボル的に扱ってた理由が分かった気がした。
ぼくは自分の存在についてあんまり考えたことはないけど、その"役割"みたいなものの大きさにはついて行けないような気がした。
「だが、この星でそういう動きがあると知った地球の科学者どもはこの星の変化を許さなかった。まず、最も少ない被害でミューの行動を阻止しようとして、シトレ、キサラ、俺の3人を消そうと考えた。だがこれはミューの処理によってことごとく失敗して、俺達は何も知らずのうのうと暮らしてたんだ。そして、次に標的になったのはフリージアだったんだ。ミューはフリージアに子供ができたことも地球側には隠していた。もし知られたら危険視されるのは分かりきったことだっからね。でもそれがバレた時、母親と子供の両方を消す方法として、地球側はミューにコンピュータウイルスを送ってきた。ウイルスの処理に追われている間を狙って、監査員を動かし、フリージアを撃ったんだ。」
その時の話はカトレアから何度も聞いた。
話をするときカトレアはいつもとても辛そうな顔をする。ぼくはそんなカトレアの表情を見るのがすごく嫌だった。
でも、忘れないように忘れさせないように、カトレアはその話を繰り返す。まるで呪詛のようだった。
「あのときのことは本当に、本当にごめんなさい…。」
ミューの弱々しい言葉に、ぼくはなにも返さなかった。
「許さない。」と言えるほど、ぼくは母さんの愛情を欲していない。でも、「いや、いいんだ。」って言えるほど割り切れてもいなかった。
紅さんが続けた。
「フリージアの死後、ミューは俺達を呼んで星の真実を語り、シトレとキサラを地球へ帰した。今後守りきれるか分からなくなったからだ。ミューから話を聞いたキサラがカトレアにそれを伝えることが解放運動の始まるきっかけになることはミューにも地球側にも予測できた。俺はここに残ってるから詳しいことは分からないけど、キサラは地球に帰ってから、カトレアに何を話したかについての尋問を受けてる。そして、地球側は結論を出した。このプロジェクトは失敗だったと。だが、これだけの施設をミサイルかなんかで攻撃して破壊するのは好ましくないんだな。"中身"だけを処分して、"器"は再利用したいんだ。また新しく行われるであろう"生体実験"のためにね。この15年間、地球側はミューを消滅させようとしてる。この星はミューがいないと成り立たない。彼女によってエネルギーの供給が管理されている以上、彼女の消滅は星の死を意味する。科学者どもは制御不能となったミューと、真実を知り反乱を起こそうとしている星の人間達を本当に一気に処分するつもりでいる。」
ぼくは今の話の内容を頭の中で整理しながら、なるべくゆっくり喋った。一気に言うとまたつっかかる言い方をしてしまいそうだったからだ。
「つまり、ここにいる人達が、地球レベルの生活をすることは許されないことで、えーと、言うこと聞かないから皆殺しにするぞー、ってこと?」
「そうだ。」
「ぼくたちは地球側から見れば実験材料だから、殺すも生かすも勝手に決められちゃうってこと?」
「そうだ。」
ぶわっと全身の毛が逆立つような気がした。怖いことだと思った。
ぼくたちは地球側から見れば、初めから人間扱いされていないんだ。
「"科学"は"神"ではないのよ。科学をもって人を操作するなんて、愚かしいことだわ。」
ミューはふらふらと立ち上がった。
彼女が「見て。」と言うと、目の前の床から円柱形の台が上がってきて、その上にマザータワーを中心としたこの星の全容がホログラフとなって浮かび上がった。
そして、それを抱きしめる様に両腕を広げると、
「この星はね、私の体なのよ。端々まで血管のように私のケーブルが伸びているでしょう。私の体の中で住人達は息をしているの。愛しくてたまらないのよ。今のね、ここの住人のほとんどは第二世代と第三世代…つまり、マザータワーの中で生まれた純粋な私の子供たちなの。私は母として、この子達を守りたい。この子達は私がいないと生きて行けないの。なんて充実感なのかしら。可愛くて可愛くて、愛しくて愛しくて仕方がないの。」
ぼくには母さんの記憶がない。
だから、子を思う母の表情なんてよく知らないけど、それはきっとこんな顔なんじゃないかと思う。
ミューは幸せそうにとても優しい顔をしてホログラフの中に顔を埋め笑った。
紅さんがそんなミューを眺めながら言った。
「フリージアの事件の後、ミューに対してウイルスが有効だと知った地球側は、ミューにウイルスを送り続けてきている。これに対してミューはプロテクトを張って抵抗し続けてきた。だが、守れる範囲にも限界がある。ミューと地球側の無言の戦争は15年間続いてるんだ。システムは徐々に破壊されてきている。」
「…それって、もうすぐみんな死んじゃうってこと?」
紅さんは何も言わなかった。
ぼくはミューに向き直って言った。
「そんなの、そんなのってないじゃないか!みんな普通に、地球の人と同じ生活がしたいだけなのに、どうしてみんながいっぺんに殺されなくちゃいけないの!?ミュー、地球側に降伏しようよ。それでみんなが助かるなら、そうしようよ。ミューはここのみんなが好きなんでしょう?それなら、みんなが生きて行ける道を選ぶべきだよ。」
ミューは首を振った。
「そうしたら、みんなは自分達が実験材料だと知った上で、いままでと同じ生活を続けて行かなければいけないのよ。それが出来ると思う?」
「でも、みんなが実験材料として用済みだからもういらない、なんて間違ってる!そうだ、ミューは人の記憶を消すことができるんでしょう?みんな、なにもかも忘れれば、今まで通り生きて行けるよ。ねぇ、ミュー!」
「それが嫌なのよ!」
ミューは頭を両腕で抱えて、激しく首を振った。
「どうして、私がそれをしなくちゃいけないの!?私は自我を得て、自分の子供達をありのまま育てて行きたいと思うようになったのよ。それなのにどうして母たる私が手を下さなくてはならないの?地球側の人間達はいつも私に辛い仕事をさせるわ。もう、放っておいて欲しかったのよ。私はみんなに愛されたかった。私が生死さえも管理するようなプログラムだと分かって、みんな私にどれほどの憎悪を抱いているかしら。私は地球からの管理を離れて、星の母としてみんなに愛されるようになりたかっただけなのに。ここで、子供たちを見守りながら暮らして行きたかっただけなのに!」
ぼくはそう言うミューを見て、彼女が機械なのか人間なのか分からなくなって来ていた。
しかし、同時にぼくは気が付いてしまった。
ぼくは2、3歩進み出て、ミューの正面に立つと、その目を見て言った。
「ミュー、きみの望んでいることは、ここの人間の実験を終わらせて、地球と同じ生活ができる環境をつくるってことだよね?そのとき、ミューの役目は終わって、自我のない、ただの生活エネルギー管理システムになるんだと思ってた。…でも、ミューの考えていることは、違う…?」
ミューはうつむいて目をそらし、その場にへなへなと座り込んだ。
「解放したいのは、"マザーミューからこの星を"じゃなくて、"地球からマザーミュー"を、なの…?」
しばらくミューは震えて何も言わなかった。けど、やがて小さな声で話始めた。
「ごめんなさい、アーシア。私が自分勝手だったのよ。私もうこの星を維持できないの。15年間交渉を続けてきたけど、地球側は私の要望を受け入れてはくれなかったの。その間に私のシステムは破壊され続けて、今はみんなを外に逃がすことすらできなくなってしまったわ。私のせいなの。私のプログラムを組んだ人間達に太刀打ちできるはずがなかったの。…私には初め、自我なんてものはなかったのよ。この星の実験プログラムの中には生体コンピュータの"人格形成システム"が組み込まれてた。人間を管理すると同時に感情を学んでより生身の人間に近い機械を作ろうとしたの。長い年月をかけて私はついに"母性"を得るに至ったけれど、それは同時に葛藤をも得ることになってしまった。私は生死を操作するプログラムで有り続けるとこを機械的に割り切れなくなってしまったの。私に母性が生まれたとき、地球の科学者達はとても喜んだわ。これまでの感情を初めから設定させれいる生体コンピュータと比べて、感情を学習して行くタイプの私であったからこそ、"母性"は生まれたのだと。でも、結果的にそれが実験の妨げになることが分かって、今度は私を消そうとしている。私、もう、長くはないのよ…。」
ミューの体の中のどこに、その水はあったのだろう。
彼女は涙を流しながら語った。
「私が消滅すれば、この星の人間達は最悪の状況で死を迎えることになる…エネルギーの切れたコロニーの闇の中は気温が下がって行く。酸素も不足するわ。食物にも限度があるでしょう。そんな地獄が訪れると分かっていて、置いていけないでしょう?私がいないと生きて行けないのに、私が先に消える訳には行かないの。」
「置いて行けないって…ミュー、なにをする気なの!?」
「私はこの星の管理を任されたシステム。それだけに、万が一危険な病原体が発生した場合などに備えて、自爆機構への干渉が許されてるのよ。」
「自爆するってこと!?どうしてミューにそんな権限があるの!?」
きみは、ただの機械じゃないか。…そう言おうとして、ぼくは言葉を呑んだ。
今のミューに「君は機械だ」と言うことほどひどいことはないような気がした。
ただの機械であれば抱えることのなかったはずの悩みに苦しむミューを責めることはできなかった。
「それじゃあ、今日、ぼくがここに呼ばれた意味はなんだったの…?」
ぼくは自分の無力さを感じて聞いた。
「私のかわいい子供たち…、私はいつも一緒よ。…でもね、私の子じゃない子がいるのよ…。」
ぼくはものすごくドキリとして、言葉が出なかった。
「その子はね、帰るところがあるの。地球のお父さんの所へ。少しの人間なら、最後に外へ逃がすこともできるわ。私の子じゃない子を巻き込む必要はないもの。」
それはぼく!
外に集まっている人達の誰が、こんなことを予測できただろう。
ぼくたちが今までやってきた解放運動って、何だったんだ。
しばらく動かなかった紅さんがしゃがみこんでミューの肩を抱いた。
「紅、あなたにも、悪いことをしたわね。私のエゴに付き合わせたに過ぎないわ。さも人命を尊重している風に見せかけて、実は自分の思いを押し通したかっただけなのよ。あなたが最後までこの星と運命を共にすることはないわ。アーシアと一緒に地球へ帰って欲しい。」
紅さんは笑って首を振った。
「君が考えてる事は、うすうす感づいていた。いまさら逃げる気もない。」
ミューはそんな紅さんの顔を見てほっとしたように少し笑うと、その手を握った。
紅さんはとても落ち着いていて、動揺を隠せずにオロオロしているぼくに言った。
「いいか?アーシア。このドアの先に、脱出用のポッドがある。そいつが単独でも動くように出来てる。打ち上げてやるから、シトレの所に行くんだ。この星の結末を伝えに。」
「待ってよ!ぼくだって、どうして置いていけるんだよ、みんなを、カトレアを!」
「カトレアがいくら待ってもキサラはここへ来ない。その事実を伝える方が酷なんじゃないのか?」
「えっ…。」
ぼくは息を飲んだ。
「生きてはいるの。…でも、地球へ帰ってから、あの二人も苦難続きで…。一時は命も狙われて、その時にキサラが怪我をしたの。そして伏せっている間に、肺病にかかってしまったのよ。外出できる体ではなくなってしまったの。」
ぼくは部屋で考え事をしているときの寂しげなカトレアの後ろ姿を思い出した。カトレアは今も信じて待っている。
「それなら、ぼくが側にいるよ。でなければ一緒に地球へ行く!ずっと育ててくれたんだ。置いていくなんて!」
駆けだそうとしたぼくの腕を紅さんが掴んで止めた。
「ここの人間は、地球では生きて行けない。環境が違いすぎるんだ。キサラだって、ここの空気になじんで抵抗力が弱まってたせいで、肺をやられた。同じ事になる。お前はシトレとフリージアの間に生まれた分体が強い。それに、シトレは無事だ。キサラの看病をしながら暮らしてる。解放運動は圧力が強すぎて地球でははかどっていないが、それでも君に会える日を待ち望んでる。せめて、お前だけは行くんだ、アーシア。お前しか行けないんだぞ!」
「イヤだ、イヤだっ!」
紅さんは抵抗するぼくの首根っこを掴むと、ポッドへ通じるドアを開け中へ放り込んだ。
「お前を打ち上げるためにシステムを解放すれば、一気にミューは侵食される。アーシア、必ず生き延びてシトレに会うんだ。ヤツのいそうな場所のデータはポッドの中に送ってある。そして、あの晩、言えなかった俺の言葉を伝えてくれ。"俺もお前達とチームを組んでて良かった"ってな。必ずだぞ!」
そう言うと紅さんはぼくを蹴り飛ばした。
ぼくは細い通路の中をゴロゴロと転がってポッドの中へ落ちた。
その入り口はすぐにシャッターが降りて、ロックがかけられた。
ぼくはあちこちを叩いたり、殴ったり、蹴ったりしたけど、ビクともしない。
何か叫んでいたように思うけど、それはまともな人間の言葉ではなく、獣の咆哮のようだったと思う。
手や足が痛くて自分の体を抱くようにうずくまった時、激しい振動と圧力がかかって、息ができなくなった。
打ち上げられた機の中で、いっそのことこの機体が爆発してはくれないかと考えていた。
マザータワーの中は激しくアラームが鳴っていた。
ミューに最後のときが訪れようとしていたからだ。
「私はとうとう、母にも、女王にもなれなかったわね…。なんて自分勝手なシステムなのかしら。命令を聞かないコンピュータなんて、本当に役立たずね。」
もう、自力で起きていることのできないミューを、紅さんが抱き起こした。
「機能停止する前に、全てを終わらせなくてはね。…ごめんなさいね、紅。あなたをこんなことに巻き込んでしまったわ。でもね、私、ひどい機械ね。あなたが最後にここにいてくれて、うれ、しい…。」
その言葉の最後は、伸び切ったテープのような鈍い音だった。音声を発することはもうできないだろう。
爆発のカウントを告げる声が響き始めた。
紅さんは目を開けたまま涙を流し続けるミューに頬擦りをすると、強く抱きしめた。
「ミュー、俺が君に手足を贈ったのは、君をこうやって抱きしめたかったからだ。君の意志なんか関係無しに、ただ、自分の欲求のためにそうしたんだ。人間なんて、みんな自分勝手なものなんだ。だから、君はとても、とても、人間らしいんだよ…。」
カウントがゼロを告げた。
突然の停電に、マザータワーの周りに集まっていた人々がざわついた。すべての電力供給がカットされ、そこは深淵の闇の世界となった。
と、大きな地響きがして、地面から火柱が吹き上がった。いくつも、いくつも。
人々は逃げ惑う。炎はその顔を赤く照らす。
マザータワーのあらゆる場所からも炎が吹き出し、あたりに降り注いだ。
カトレアは、遠く自分の家からそんなマザータワーを見ていた。
窓から離れると、ソファに深く腰掛けてため息をついた。どこへも逃げる事などできないとよく分かっていたからだ。
「これで、フリージアがいつもアーシアやシトレの側にいるように、私もキサラの側にいられるのかしら。」
カトレアはそうつぶやいて、目を閉じた。爆発の振動は近づいてきていた。
ぼくは初めての打ち上げの苦しさと現実のやるせなさにひとしきり泣いて吐いたあと、よろよろと立ち上がった。
頭が痛い。
何も考えたくない気分だ。
ふと見ると、コックピットらしきものの前にモニターがついている。
映像を出そうとそれらしいボタンを押すと、大きな黒い物体が映った。
これがぼくの住んでいた星、コロニーなのだろうか。
よく見るとところどころから小さく炎が吹き出している。
その中で起こっている惨劇の様子がぼくの頭をよぎって、また吐き気を覚えその場にうずくまった。
やがてコロニー自体が爆発を起こして、プロジェクトは終了するのだろう。
ミューはみんなと一緒に消滅できて、満足なんだろうか。
どうしてぼくだけが地球へ行かなくちゃいけないんだろう。
もし、地球へ辿り着けなかったり、父さんに会えなかったりしたら、ぼくはどうしたらいいんだろう。
それより、父さんがぼくを笑って迎えてくれるだろうか。
ぼくは胸のポケットから、母さんの写真が入ったロケットを取り出した。
実は母さんの写真の下に、カトレアの写真も入れていた。ぼくの大切な二人の母さんだ。
カトレアのことを思うとまた涙が出てきた。
カトレアはどうしただろう。
辛い思いをしていないだろうか。苦しんだり、痛がったり、していないだろうか。
カトレアの最期を聞いたら、キサラさんはとても悲しむんじゃないだろうか。
不安は尽きなかった。
ぼくはポケットからもう一つ、父さんからのビデオレターを取り出した。
10センチ四方くらいの小さな画面に父さんが映し出される。
あまりに何度も見過ぎたせいで、画像も音声もひどく荒れている。
今は目の前が涙でにじんで、余計に画像は見えなくなっていた。
この人が、父さん。15年前の父さん。
今、ぼくが頼れるたったひとりの人。
待っていてくれても、待っていなくても、必ず探し出そう。
今のぼくに他の道はない。
そう決心したとき、体から力が抜けてとても眠たくなった。
誰かがぼくの髪をなでていてくれてるような感覚があって、ぼくは目を閉じた。
ビデオから父さんの声が流れる。
それを聞きながらぼくは眠りについた。
この声を、直接聞ける日を信じて。
「アーシア、これを見ている君は、いったいいくつになっているだろう。どんな顔をしているんだろう。ぼくに似てるのか、それともフリージアに似ているのか。ぼくは初めに、君にとって良い父親ではないことを謝っておこう。ぼくはまだ君の父親になって1年にも満たないのに、君の側を離れようとしてる。そしてこれから先、いつまで一緒に暮らせないのだろうかと思うと、とてもじゃないが良い父親とは言えなさそうだ。いつか再会できたときも、君に先に名乗ってもらわなければ、ぼくには君だと言うことに気付けないだろう。でも、その時に君をきちんと見られるように、ぼくはぼくで頑張るつもりだ。自分自身を恥じる生き方はしたくないからね。…母さんは、とても優しくて頭のいい、きれいな人で、どうして父さんに気を持ってくれたのか今でも不思議だが、一緒にいることのできた間、父さんはとても幸せだった。母さんが死んだ後は、自分がここへ来なかったら彼女は死ななくて済んだのに、と自分を呪ったりもしたが、今はやめたよ。本当に愛せる人に出会った事を後悔してはいけないと思うんだ。君はぼくがフリージアを愛したなによりの証だ。だから、必ず会いたい。ぼくの中のフリージアはもう姿は変わらないけど、ものを見て考え吸収し日々成長している君がいる。その姿を見たい。ぼくは君に会えることを信じている。君も信じていて欲しい。こういうことは、どっちかが疑ったりしちゃあダメなんだ。そして、ぼくらが会えた時には、きっと母さんも側にいて喜んでくれるだろう。では、その日を楽しみにしているよ。…ぼくとフリージアのアーシアへ、シトレ・ハートネット。」
〜彼女の千年王国 おわり〜