あまり作業効率が良いとは思えない職場である。
私の部署はある程度緩やかな状態であるが、隣は時折怒号が聞こえてくる。
まぁ、私の部署も先週は同じであったが.....
「どう、間に合いそう?」
ツカツカと短めのストロークでこちらに向かいながら彼女は聞いてきた。
「僕は自慢じゃありませんが締め切りを割ったことはありませんよ」
私はそういいながらまだ途中の仮原稿を手渡した。
そういえば先日の飲み会で眼鏡をして無い事を先輩の聞いてみると「デスクワークの時以外は付けないの、だってこれじゃぁ、ちょっと恥ずかしいでしょ」と言っていつもしている度の強そうな黒縁の眼鏡をパタパタさせながらニコニコ笑っていたっけ。
今も黒縁の眼鏡をしてないところを見ると外を回ってきたらしい。
そんなことを考えながら私は聞いてみた。
「外回りですか?」
うんと首を小さく縦に振りながら
「例のあの先生が、今月は落としそうで穴埋めを取りに行ったのよ」
たぶん飲み会のあの先生の事だろうと容易に想像つく。
「......仮なの?」
ザッと渡した原稿を見て、まだ出来てないのと言い出しそうな雰囲気で聞いてきた。
「あとは、占い師の癖を付ける作業ですので1時間程度であがりますよ。締め切りまであと半日ありますから大丈夫です。文章量はほとんど変わらないはずですから、それでだいたいのページを切ってもらえるはずですよ。」
私はあらかじめ用意していた台詞を述べた。要は彼女が内容を気に入ったら最終作業に移ろうと思っていたのである。
私は「そんな感じで良いですよね」と念押しすると、一寸間をおいてから「良いんじゃない、出来たら持ってきて」と言って自分の席へと戻ろうと動き出した。
私は慌てて呼び止めながら、自分にとって一番大事な用件を伝えた。
「いっしょにこの前のやつを持っていきますので、目を通してもらえますか?」
肩書きはバイト。
フリーターって訳ではなく、占いの原稿を依頼してきた部署の一人から誘われてここで働くことにした。
現実的に考えても、収入無しで続けることも出来ず、言い機会だとも思ったからである。
私を誘ってくれた人は、この会社の小説誌の編集をやっている。何度か自分の書いた小説を持ち込みしていたが、この出版社に来る度にその人が対応してくれたのである。
私に目があるのか、それとも便利そうだったのか、理由はわからないが、私が職らしい職に就いていないことを知ると、この会社にはいることを進めてくれたのである。
即答できなかった私は、とりあえずバイトから始めてみては、と言われ流されるように今もってバイトを続けているわけだ。
この仕事が人手無さのあてがいでは無いことを知ったのは、つい先日のことである。
小説誌に掲載されていた占いのコーナー(小説誌に占いってのも変だと思うが)が不評でライターの変更話が上がったときに、私を強く押してくれたのだという。
今の部署の締め切り日と小説誌の締め切り日の関係からも最良であると判断され、月に2ページであるが物書き業の真似事をする事になったのである。
当然ながら私には占いなど出来るわけもなく、色々な雑誌を集めながら、それなりのことを書き上げている。
簡単に言うとインチキというやつだ。
まぁ、こういうのは結構多いって聞くし、何より私が書き始めてから比較的評判がいいらしい。
読者評価を持ってきながら例の人は「こういう限られた文章だと、結構行けると思ってたんだよ」と、私を推薦してくれた理由を教えてくれた。
それ以来、占いの原稿ができあがると、私の書いた物も一緒に見せに行っていたのであるが、今月から占いのぺージの担当者が私の所まで原稿を取りに来る事になったのである。
一応、「私の仕事のレスポンスを下げない」という配慮だといっていたが、どうやら。
占い原稿の構想段階だと言っては行き。
仮原稿と言っては行き。
完成したと言っては行き。
読者の感想はと言っては行く。
てな事を繰り返していたのがまずかったらしい。まぁ、当たり前と言えば当たり前である。
予定より30分ばかし遅れて、架空の占い師の癖を流し込んだ原稿と先日書いたばかりの小説を携えて、宛われたばかりの担当の所へと向かった。
私が働く部署と違って、締め切り間際だというのに比較的緩やかな流れである。
例の担当者に軽く会釈しながら、私の担当の所まで行くと足を組んだ彼女がいた。
私に気が付いたらしく、椅子を回転しながらペンを持った右手で私を制すように前に持ってきた。
待てと言うことだろうか、様子を見ていると椅子を戻して机に向う彼女は左手で受話機を片手に聞き作業に没頭している。
斜め後ろの席が空いてるようなので、椅子を担当の姿を見えるように回しながら腰掛けた。
担当は例の黒縁の眼鏡を掛けながら、電話の応対をしている。時折、眼鏡の縁を持って上下にパタパタと動かしている。
飲み屋の時は、私に対して眼鏡に注目が来るように動かしていたのかもしれないが、どうやら癖でもあるようだ。
それにしても...
私は初めてこの担当にあったときから不思議に思っていたことがある。
いくら度の強い眼鏡であっても、黒縁のあれほどごつい眼鏡である必要がないのではないか?
どうみても十数年前の眼鏡にしか見えない。
そんなことを考えながらボーっと担当の斜め後ろ姿を眺めていたらしい。
「おいっ」
っと声を掛けられて我に返ると、担当は電話を終えこちらに椅子を向けていた、呆れたような表情で。
後ろの方から、クスクスっと笑い声が聞こえるところをみると、私がよっぽど間抜け顔でボーっとしたてか、今現時点でよっぽど間抜けな受け答えをしたかどちらかだろう。
今、自分の顔は間違っても見たくない。
気まずいような雰囲気が流れる中、担当は「まぁ、いいわ」と軽く流しながら手のひらを上に向けながら右手を差し出した。
私は小脇に抱えていた原稿の入った大きい封筒と昨日買った雑誌を入れてもらった本屋の紙袋を渡した。
担当は、本屋の紙袋の中を出しながら、
「いくらあれだからって、自分の書いた物を本屋の紙袋に入れてくる?」
と、小さく肩を沈ませながら、しょうがない子ねと言い出しそうな表情でちらっと私を見て紙袋に戻した。
「今、こういう状況だからすぐには読めないけど.....来週の月曜日の昼に来なさい。もちろん奢って貰いますから」
担当は「ふふっ」と笑いながら占いの原稿を読み始めていた。
BuuuuuN
ハードディスクのモーター音を聞きながら、上着を脱いだ。
帰宅途中に初めて入ったラーメン屋がかなり痛かったと思いつつ、OSの起動画面が流れるモニタの前から離れ、ようやくなれ始めた仕事向けの衣服を脱いでいく。
数ヶ月前はリクルートルックよろしく浮いていたが、ここに来てどうやらそれらしくあるようである。
まぁ、それでも他人から見ればガキにしか見えないだろうが...
「ふぅ」
ため息とまではいかない軽い息を拭きながら、冷蔵庫から取ってきたコーラを持ってパソコンの前に向かった。
マシンがかなりの旧式であるために立ち上がりきっていない画面を見ながら、プルトップを起こしコーラを一口煽る。
アルコールはあまり得意ではないため、冷蔵庫には炭酸飲料が所狭しとおいてある。
まぁ、食事を外食で済ましているので、食材を置く必要が無いってのも理由の一つだが。
二口目を煽った頃、ようやくパソコンが立ち上がったようだ。
間の抜けたメール通知音が安っぽい付属のスピーカーから鳴る。
とりあえず、メールは後回しにして、ブラウザを立ち上げ提示板を見に行く。
この提示板に来る人々の中に、私の知り合いはいない。
というか、私を見知った人間は提示板の存在すら知らない。
これは私が作ったホームページの提示板である。
私のホームページの感想やネット上だけの触れあいをする人達の何気ない会話が中心である。
一通り提示板の書込に対する返事を書き終わり、今日の野球の結果を見るためブックマークからスポーツ新聞のサイトをクリックしてから、先ほどのメールの確認を始めた。
パソコン販売店の広告、ブロバイダの定期通知、ユーザ登録してあるソフトの定期情報...
見慣れたメールの中に見慣れないアドレスのメールが含まれていた。
とりあえず、このメールから読むことにした。
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初めてメールをさせていただきます。
僕は夢について色々調べていました。
夢の原理、夢のコントロール...
サーチエンジンで探していたんですが、そこで
[小説 覚めない夢の中で]というページを見つけました。
僕が夢を調べ始めた理由は、
今の僕が夢の中の出来事じゃないかという不安とか、
そういう、訳が分からない状態に僕がいること。
なんか書いてることがメチャメチャですが、
そういう理由で調べていました。
僕は小説を読んで、
僕が感じた不安、体験した現象が小説とそっくりだったことに驚きました。
そして、この小説も夢を見ている自分が考え出した物じゃないかと、不安を感じます。
訳の分からないメールですいません。
<<< 幸雄 XXXXX@XXXX.ne.jp >>>
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「ズッ」っと口に含んだコーラは炭酸が抜けきっていた。
ホームページの感想メールは月に数通は来ていて珍しい物じゃない。
批判的な文章や共感したという激励なんかもあった。
いつもなら、ザッと読んで、気まぐれに返事を書いたり、ろくすっぽ読みもしないでゴミ箱に掘り込んでいた。
ただ、このメールは今までと違って感想とはほど遠い内容であった。。
と言うよりも、気になる内容であったという方が正しいだろう。
自分が同じ様な体験をしている。
私が書いた文章がただの小説であるなら、一笑に付す内容である。
創作物を自分の体験している内容と同じだというのだから...
例え、本気で言っていることであっても、私にはとうてい関係ない話である。
これがただの小説であったなら...
「覚めない夢の中で」
この文章を書いたのは中学にあがる直前だったろうか?
元々、「覚めない夢の中で」は小説とは名ばかりの私の体験談である。
今が夢の世界ではないかという不安から行動し、
夢であると認識したとき、私の夢の中で夢であり続けることを強要されたあの時のこと。
あれ以来、私はあの時の夢を見ていない。
私は無くしていく記憶を留めておくために、「覚めない夢の中で」を書いたのだ。
何故か、全てを失ってはいけないと言う感覚に襲われて...
私は薄れかけた夢の記憶と、むかし書いた文章を長めながらメールの主にあることを聞いてみることにした。
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メールを拝見させていただきました。
小説のような体験をされたとありますが、宜しければ詳しく聞かせていただけないでしょうか?
夢の中のあなたはなんという名前はなんですか
あなたの本当の名前も「ユキオ」というのですか
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数日後に来たメールは私の遙か昔になくした不安を呼び起こした。
メールにはこう書かれていた。
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僕は一時期、同じ夢を何度も見ました。
エルビンという人として。
エルビンは自分が夢の世界の住人じゃないかといつも考えていました。
僕はエルビンの夢を見て、
今の僕が夢の中にいるのではないかと思ったのです。
ある時、僕は夢の中で今の僕である幸雄と話をしました。
幸雄は夢の世界で何がいけないのかと言いました。
僕はそれ以来、エルビンの夢を見ていません。
僕はあれが夢だったのか、本当に見たことなのか解らなくなってきています。
最後に幸雄は僕の本名です。
<<< 幸雄 XXXXX@XXXX.ne.jp >>>
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そう、私は昔、確かにエルビンの夢を見た。
そして「覚めない夢の中で」を書いた。
夢であるという確信を持ったにもかかわらず覚めない夢。
今生きていることがあまりにも空虚に感じたあの感覚。
全てが作り物に思えたあの時の不安。
私は何もかもが消えていこうとする記憶を文章として残したかった。
今、私はあの時の全てを取り戻そうとしている。
私の夢の中で、今の私である由紀夫が出てきてから全てを失っていったあの時を思い出している。
悲しいまでの空虚な気持ちと、偽りという不安が蘇ってくる。
今の世界が夢である事を意識しはじめている。
私はそれ以降、メールの主と頻繁に夢のこと、不安に思っていたこと、エルビンのことをメールでやりとりした。
数十回のメールのやりとりがあった。
ユキオという人間が、エルビンという名前となる夢を見て、現実か夢か悩み、そして全てが消えていく。
こんなにも同じ体験をするものが本当に存在するのだろうか?
何か大きな物にからかわれているような気分である。
大きな物、大きな意志、私のあずかり知らない物。
改めて、私は一つの結論に達した。遙か昔になくしていた結論。
幾月が過ぎた朝、私は会社の机ではなく、一つの扉の前にいた。
初めての町の大きな病院、見知らぬ病室の扉の前に...
たぶん、扉のノブをさわりかけた頃からだろうか、いつの間にかあたりは暗い。
暗いと言うより漆黒。
何も見えない。
ただ目の前には病室の扉が浮いていた。
私は一度記憶の海に沈んだあの時の事、あの時の夢を思い出していた。
「夢から覚めさせたくないわけだ」
後ろを向きながらそこにいるであろう人物に語りかける。
「夢から覚めさせたくないわけだ、由紀夫君」
振り返った後、もう一度由紀夫に言った。名前を言う頃には嫌み掛かった言い方に変わっていただろう。
由紀夫は何とも言い難い表情で私を見ていた。
「できれば、このまま元の生活に戻ってもらいたいよ」
由紀夫は仕方がないと言わんばかりに私、エルビンに言った。
「なぜ、夢であり続けなければいけないんだ。私の見る夢の中のエルビンの夢はいつか覚める。私の夢もまた同じように覚める。なら私、由紀夫が出てくる夢もいつかは覚めるじゃないのか。何故今覚めてはいけない。」
私は由紀夫に問いただした。
「確かにいつかは覚めるよ、でも、覚めたくない夢もあるじゃないか?、君にだって覚めたくない夢はあるだろう。」
確かにそうかもしれない、でも、今の夢の世界の中の夢ならそれは違うのではないか?
私は言葉をつないだ。
「夢の中の私は、由紀夫の出てくる夢を終わらせたいと思っている、そして扉の向こうにいる幸雄も夢を終わらせたいと思っている。それでも覚めてはいけないのか、現実には何があるんだ?」
由紀夫は沈黙した。
私は由紀夫が沈黙を破るのを待った。
由紀夫の表情は時がたつにつれ、悲しみが伝わるような物へと変わっていく。
「覚めてはいけないんだよ、何故覚めてはいけないのか、現実には何があるのか、僕は何も知らない。君たちが夢という限られた世界ではあるものの生きている、それはこの夢を見る人の願いなんだよ。君たちのように笑い、悲しみ、喜び、怒り、そして生きていきたい。夢を見ている人の望みを君たちは受け継いでるんだよ。」
私は由紀夫が何を言いたいのかよくわからなかった。
ただ、一つ気になることがある。
「私が生きることを受け継いだのなら、君は何を受け継いでいるんだ?」
「悲しみ」
由紀夫はぽつんと言った。
悲しみ?
何に対しての悲しみ何だ。
私が問いただそうと口を開き始めたが、それをまたつむぐ。
由紀夫が話しだしたのである。
「君たちがいきることを受け継いだ、でもそれはいつか夢から覚める事と同じなんだよ。全ての生活を何も制約無しに行えば、この世界の矛盾に気がついてしまう。夢だと気がついてしまう。」
そう、私は矛盾に気がついた。
そして、この扉の向こうにいる彼も矛盾に気がついた。
これが夢だと気がついている。
由紀夫は少し間をおいて話を続けた。
「さっきも言ったけど、この夢を見てる人は夢から覚めたくないんだよ。だけど、矛盾だらけのこの世界はいつか夢だと気がつく。君たちを夢から覚めなくするために存在しているんだよ。夢から覚めようとする君たちをとめるために。」
由紀夫は頭を掻きながら話を続けようとしている。
その行動は、私が思い悩むときにとる行動そのものである。
「もし、君たちと同じように生きることを受け継いでいたなら、君たちを止めることなど考えないはずだ。むしろ協力したはず。この夢を見る人の悲しみを受け継ぐことは、君たちを引き留める大きな力になるんだ。夢から覚めてはいけない。この悲しみを君たちは知らない方がいい。」
辛くどうしようもない時の鏡を見るようだ。
由紀夫の今の気持ちが
私にはよくわかる。
「君がそこまで苦悩する悲しみとはいったい何なんだ。現実には何があるんだ。」
私は夢から覚めることを放棄するつもりはない。
ただ、目の前に見慣れた男が苦悩する理由は知りたかった。
それは、夢から覚めた私の苦痛でもあるから。
由紀夫は小さく言った。
「何故悲しいのか解らないんだよ。悲しみ以外何もないんだよ。何故悲しいのか知らないんだよ、ただ締め付ける胸の痛みしか」
長い沈黙が流れた。
どんなことになろうとも、私の気持ちは変わらない。
私の表情を見て取ったのか由紀夫は仕方ないとばかりに沈黙を破った。
「君が小さかった頃、今と同じように夢から覚めようとして、そして諦めた。それは君が夢を見始めたばかりの状態で、記憶のどこかに夢から覚めてはいけないという情報があったからだと思う。でも今はその記憶も希薄なものになったはずだ。誰も君を止められないのかもしれない。あとは君に任せるよ。ただ君も一度は夢から覚めることを拒んでいる。現実はそういう世界なんだって事だけは解って欲しい。」
そういうと由紀夫は目の前から掻き消えた。
私もふっと意識が消えた。
..........今、病室の扉の前にいる。
扉の横の壁には、幸雄と書かれた名札がある。
夢から覚めてはいけないのかもしれない。
でも、私は自分の好奇心に負けた。
現実というものを知りたい。
どんなものか知りたい。
ゆっくりとドアノブを回し、扉を開ける。
もう一人の自分に会うために
今より先に進むために。
現実でありたいために。