勝負の季節
ワー ルドカップ・サッカー、日本、惜しかったですね。というか、予想を覆して2つも勝ちました。これは惜しいどころではなくて、実にすごい結果でした。私の予 想では、日本はもちろんグループステージを突破できなくて、普通にいけば3敗。ひとつ引き分ければ、オンの字。これは私だけでなく、けっこうみんな、そう 思っていた。「当たらないのが予想」、とはいうものの、大外れでした。

大外れで、負け惜しみをいうのじゃないですが、予想が外れた原因は、岡 田監督が、直前で戦い方を変えたせい。あの舞台で、当初めざしていたように、みんなでボールを追っかけまわして、パスをつないで、なんてやっていたら、た ぶんひとつも、勝てなかった。ゴール前をがちがちに固めて、カウンターを狙っていく。それしかないところに、本当にぎりぎり直前で、落ち着いた。

だから、こ れで、日本のサッカーのあるべき姿がみえた、なんていうのは、どうかなあ。みんな、健闘祝賀ムードでしょうけれど、そんななかであえていえば、こんな退屈 なチームはなかった。だれひとり、独創性がない、個性がない。工夫もない。同じことを延々と繰り返すばかり。特に、あの、最後の、PK戦で負けた試合。相 手のパラグアイも似たようなチームでしたから、あんなつまらないゲームになった。あんなサッカーに、未来はないです。

でも、強くなったの は確か。せっかくグループステージを勝ち抜いたんだから、最後はもっと花のある、イングランドとか、スペインとか、アルゼンチンあたりと、やりたかっ たですねえ。それだけが心残り。なんか、あたったチーム、グループステージでのオランダを含め、みんな地味でした。さて、これからワールドカップ、いよいよ佳境に入ろうとしていますが、これをはじめ として、このところ、なんか、日本中、いろんな面で「戦闘モード」になっているようですね。


ま あ、参院選挙ももちろん、戦闘モードたけなわ、なんですが、ここではあまり、政治のむずかしい話はしません。ここ で取り上げたいのは、お相撲の話。あそこもけっこう、勝負の世界ですね。まあ、「勝負事」なんですが。公営の競馬かなんかにはまってりゃあ、別にどうとい うこともなかった。それで身を持ち崩そうと、誰も(家族でない限り)、文句はいいません。

そ れが、「野球賭博」。ふうん、そういうのが、あるんだ。これはちょっと、まずかった。歴然たる法律違反。でも、まずいけれど、意外ではない。もともと、勝 負事が嫌いなら、この世界にはいませんよね。駒形茂兵衛は、ばくち打ちに身を持ち崩す。私が本当に驚くのは、スポーツマンとか、勝負に命を賭けてるような 人って、気分転換をするにも、勝負事でします。

この勝負事というのは、金を賭けているという意味じゃなくて、勝ち負けを競うというだけ の意味です。例えば、野球選手って、シーズンオフになると、待ちかねたように(本当に待ちかねてるんでしょう)、ゴルフします。少しのんびりと、人と競 争することを忘れて、読書するとか、映画みるとか、すりゃあいいのにね。まあ、それもしているのかもしれないけど、とりあえずはゴルフをするようです。

もっ と凄いのは、将棋の大山名人。王将戦とか名人戦とか、なんかのタイトルのかかった試合を、泊まり込みでしますよね、夜になると、観戦記者のところにきて、 マージャン打ってたといいますから。私などからすれば、観戦記者の立場だって、夜にはマージャンなんか打ちたくなくなってるんじゃないかと思うほどです が、そうでない。戦ってる本人が、夜、マージャンをやってる。

私のような怠け者には想像もつかない世界です。相撲取りもやっぱり、相撲で 戦うだけじゃすまなくて、人の戦いにまで賭けている。考えてみりゃあ、自分の相撲に勝って、懸賞金もらったりしてますから、自分の生業が半分はバクチみた いなもんです。罪の意識も、軽くたって仕方がないような気もする。相撲取りが「野球賭博」っていうから、一瞬、不思議な気がするけど、相撲取りが「相撲 賭博」やってるよりは、はるかに健全だ。

そういえば、世の中には「相撲賭博」っていうのは、ないんですか。野球人は、相撲賭博をやってたりし て。野球人と相撲人、相互の間で、星の貸借関係ができちゃったりしたら、こりゃあ、大問題だなあ。冗談ですよ、もちろん。こういう問題が、必要以上にシリアスになっちゃって、冗談もいえないよ うな雰囲気になることが、なんだか、へんにイヤな感じですね。

そういえば、この問題のために、名古屋場所を開催するべきではない、なんて いう議論になるのは、不思議です。なんか、論理的に、つながっていないような気がする。もっと不思議なのは、NHKが中継するべきだとか、するべきでな いとかいう話になること。普通に挙行して、もう、相撲なんていやだ、嫌いだ、と思う人は、みに行かなけりゃいい、テレビをつけなきゃいい、というだけの話 に、なぜならないんでしょう。

さ て、ここで『お相撲さんとその世界』(野崎誓司著、恒文社)という本を引っ張り出してみます。1977年というからいまから30年以上前に出た本ですが、 昔からお相撲さんは、野球が好きです。龍王山という相撲取りは大の野球好きで、それも早稲田大学のファン。「キョウアス ワセダ カツ」という意味不明の 激励電報が、ファンから届いたそうです。だからあんたも勝て、ということらしい。よく、「きょうはエラーをした」なんて、自分の取り口を振り返ったそうで す。

金乃花という人は、相撲、野球、どっちの道でもよかった、といっていたそうで、中学時代は4番バッター。このときの3番は、のちの大洋のス ラッガー、桑田だったとか。いたんですよ、そういう強打者が。ホームランか三振か。こういう風に、子どものときは万能選手で、例えば中学校の水泳の自由形 の記録を持ってたとか、そういう人って当然、お相撲さんの中にはいますよね。

1949年、秋場所(大阪)、横綱の前田山は、6日目まで1 勝5敗。7日目から休場して帰京した。その休場中に後楽園球場、現在の東京ドームに、野球をみにいった。おりから、メジャーのサンフランシスコ・シールズ というチームが来日して試合をしていたんですが、その観戦中のところを写真に撮られて、新聞に載った。どこかで最近、聞いたような話ですね。

前 田山、急いで大阪に戻って、再出場を申し出たんですが、出場禁止処分。場所後、引退勧告を受けて、あえなく引退に追い込まれたそうです。まあ、本業をさ ぼって、野球だのサッカーだのにうつつを抜かしてはいかん、という、教訓ですね。ワールドカップにうき身をやつし、夜更かし、早起きで、昼間、居眠りばか りしているわが身を振り返ると、内心、忸怩たるものがあります。

さて、こういう風に「勝負」に人生を賭けているサッカーの日本代表の選手 たちや関係者諸氏、お相撲さんと相撲協会の皆さま、それに参院選候補者の方々、ことしの蒸し暑い梅雨を、さらにいっそう暑く、うっとうしく(サッカーを除 く)してくれているわけですが、こういう人たちには、戦うことは仕事であり、人生であるわけです。ご健闘をお祈りします。

ところが、そう ではなくて、一般社会に生きている普通の人たちのうちで、「人生は戦いだ」という風に思っている人の割合というのは、いま、かなり高いんじゃないでしょう か。それがいけないというわけではないけれど、戦いとなれば、勝った人と負けた人がいるわけだ。実際に、「勝ち組」、「負け組」というようなわけ方を、必 ずしも適切とは思えないような場面で、目にすることも多い。

勝った人はそれでいいでしょう。願わくば、ますます居丈高になっちゃって、他 人に説教たれたりしないように。負けた人、自分で自分を「負け組」に分類した人、これはなかなか、そのあと生きることが、辛くなるでしょうね。『昭和枯れ すすき』の世界だ。どうか、人の一生って、勝ち負けじゃないんだ、ということに気がついて下さい。人生は、戦いじゃ、ない。すくなくとも、そんな基準によ らない、それ以外の生き方もあるんだ、ということを。

え、「どんな基準で、どういう生き方があるんですか」と、それを私に聞くんですか。 それはねえ、ご自分で考えてくださいよ。あ、バクチでしくじったお相撲さんたちも、「世間に負けた」という風に思わないで、どうぞご自分で、自分の生き方 を、しっかりお考え直しみててください。まだまだ、再起できるよ。そうだなあ、とりあえず、読書するなんていうのが、いいですよ。

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