眠さんの虚無日誌
柴 田錬三郎という作家を、いまの若い人は、どれくらい知っているでしょうか。そう、あの眠狂四郎の生みの親です。え、柴錬も眠さんも、知りません?だっ て、市川雷蔵のやった、眠狂四郎ですよ。円月殺法。うわあ、雷さまも、知らないんですかあ。行く春や、昭和は遠くなりにけり。実際に、若い人に聞いて確かめた わけじゃないから、わかりませんが、いまやこんな感じなんでしょうか。心配だ、心配だ。

眠 狂四郎の映画。最近もよく、テレビでやってますから、少なくとも、市川雷蔵の作品は若い人もけっこう、知ってるのかもしれませんね。田村正和もやって たのは、知ってますか。あと、片岡孝夫。でも、やっぱり、狂四郎といえば雷蔵。着流しの立ち姿のきれいな人で、京都人だから、かすかに訛りがある。「無頼の 徒さ」なんていうニヒルなセリフが、ほんの少し訛ってたもんです。それもまた、色っぽいというかね。

さて、小説の方の眠狂四郎シリーズの一冊を、今度、読 みましたら、さすがになかなか面白いです。題名が、『眠狂四郎虚無日誌』(1969年初版発行、新潮社)という。へえ、眠さんて、日誌つける人なんだ。夏 休みの宿題、朝顔日誌、みたいだ。発表会で、演壇に立たされちゃって、「虚無日誌、5年2組、眠狂四郎」なんて朗読させられたりして。それとも、日誌というからには、 業務日誌みたいなものかな。「8月10日、本日は円月殺法で、3人を、殺害。他に異常なし」なんてね。

い ま、時代小説がブームなんだそうで、新しい書き手がどんどん出現して、百花繚乱のおもむき。そういう新しいのと比べると、眠さんは暗い。時代の反映なんでしょう けれど、虚無と銘打っているだけあって、ニヒル。小説でも映画でも眠狂四郎に先行する、中里介山の『大菩薩峠』。これになるともっと徹底してい る。冒頭、机龍之助(雷蔵のほかに、仲代達也もやってるそうです)は、いきなり、巡礼でしたか、爺さんを、意味もなく斬り殺しますからね。もう、完全に、殺 人鬼。

眠さんはこれよりはいくらか穏やか。なんとなく、いろんな事件に能動的に絡まっていくし、性格の根底に、強い正義感がある。口で いってるほどワルじゃなく、ほんとは優しい人じゃん、というのが、時折、透けてみえる。まあ、そうでないと、ストーリーができなくなっちゃうからでしょうけ ど。現に、『大菩薩峠』は次第に、なにがなんだか分からなくなっちゃう。机さんなんて、どっかに消えたみたいなことになってしまうようで す。

眠さんも机さんも、自分が人を斬ったということを、あとあと、背負って生きているというところがある。それなら斬らなきゃいいじゃな いか、と思うけれど、そうはいきません。それが彼らの宿命というか、業というか、辛いところです。だから、眠さんの友人(というのともちょっと違うでしょ うが、ほかにいいようもないので)の押上村の竜勝寺住職、空然という坊さんは、眠さんのために、「依眠狂四郎被斬殺諸精霊位」という位牌を作って、拝んで くれる。

「いや、拙僧が勝手につくりましたのじゃ。厄介なことに、毎年、新しいのをつくらねばなりませんな」
「……?」
「あの御仁は毎年、新仏をつくりなさるので、去年の位牌では間に合わぬのです」

ということになるわけです。眠さん本人のセリフも、聞いてみましょうね。

「市井に無頼な行状を重ねている者ゆえ、これまで、数多くの人をあの世へ送って居り申す。いわば、正しく修業を積んで一流を樹てた兵法者とは、全く逆の、裏道を辿って来た殺人鬼にすぎぬ、とお思い頂きたい」
「これ以上、私の脳裡に、業悪の記憶を加えて欲しくはない」

かぁっ こいいですね。雷さまの声が、聞こえてきます。こういう罪の意識、業の深さが、彼らをニヒルに、暗い影を背負った人格にするわけです。さて、眠さんの生みの親、柴田錬三郎ですけど、調べ たら、1978年に亡くなっている。ええ!享年61歳。若えなあ。早死にだあ。よく。テレビなんかにも出た人で、私の記憶にもはっきりありますけど、 あれ、たぶん50代だったんだ。もっとずっと、爺さんにみえた。こっちがそれだけ、若かったわけだねえ。

風貌も、年とった眠狂四郎みたいな雰囲気が、あ りました。「やっぱり、お書きになる時は、ホテルに缶詰めになるんでしょう。資料なんかいっぱい、抱えていかれるんですか」と聞かれて、「資料なんか、な んにも持っていかねえよ。必要なことは、全部、頭ん中にはいってんだ。江戸の町なんか、ナントカ藩の藩邸の隣になにがあって、そこから駕籠に乗って、どこ までいきゃあ、時間がどれくらいかかって、駕籠代がいくらだまで、なんにもみなくったって、ぜーんぶわかってらあ」なんて答えてたのを、憶えてます(ことばは不正確ですが)。

こ ういう罪業を背負った眠さんたちに比べると、いまの時代小説のヒーローたちは、ずっと明るくみえる。健康な家庭人。どの小説とは特定しませんよ、あくまで 一般論ですが、剣の腕はたつけれど、常識人。だから、誰からも好かれる。眠さんも、誰からも好かれるんだけど、好かれ方がちょっと違う。眠さんの好かれ方 は、「一蓮托生型」とでもいいますかね。「破滅型」といいましょうか、あなたとならば、地獄へまでももろともに、という風。

だから、男も 女も、眠さんに惚れたら最後、ほとんどが不幸になり、だいたいが死んじゃいます。地獄へもろともだったはずが、最終的には眠さんひとりは生き残って、草原 を吹く風に、着流しの裾をはためかせている。あとには累々たる屍(敵・味方とりまぜて)。惚れる方も大変だが、こういう惚れられ方をしたら、惚れられる方 だって、なかなか大変だ。そういう経験をしたことはありませんが。幸い。

最近のヒーローたちの好かれ方は、こういうんじゃありません。な んというか、人気者なんですね。大工の棟梁とか、煮売り屋のおばちゃんとか、目明しの親分とか、大岡越前守とか、とにかくいろんな人に好かれます。その好 かれ方は、守ってあげたくなっちゃう、という感じで、「母性愛・父性愛刺激型」です。だから、生活は苦しくっても、なんとか長屋で生きていける。その代 り、世の中を救うような大仕事をしている割には、いつも貧乏です。そうでないと、人の庇護欲を刺激できない。

この原点は、いうまでもなく 藤沢周平の、用心棒シリーズとか、獄医・立花登なんかにありそうです。青江又八郎も、いつも金に困っていて、大けちんぼの婆さんの用心棒をしたりしてまし た。性格的には素直で、親切。欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。1日に玄米4合…けっこう大食いですね。誠実、正直、熱心、あらゆる美徳 をそなえている気持のいいやつで、これならそれこそ、誰にでも好かれずにはいません。

ところが、この青江さんも、立花さんも、思ったほど 人を殺さない。立花さんは、柔術でしたか、そういう体術の達人でして、素手で戦うもんですから、殺人は、まず、しません(まったくなかったかどうか、全部 見直してたしかめるのも大変なので、確言はしません)。いまのヒーローたちは、眠さんよりもさらに、人をよく斬ります。これも一般論で、具体的な作品につ いていっているわけではないので、当てはまらないのももちろん、たくさんありますよ。

だから、青江さん、立花さんが、精神的に健康でいられるのはよくわか るんですが、最近のヒーローの場合は、その辺が、ちょっと理解不可能だったりします。彼らは一仕事終えて帰宅すると、奥さんやお嬢さんたちと一緒に、一家団欒の食事 をしたりします。だいたい、一家団欒、みんなで楽しくお食事、なんて風景はごく最近のものじゃないですかね。私が子供のころでさえ、食べるときは口を利かず、静か に、というモラルが、まだ生きていたんですが。

「いやっだあ、お父上ったら。ばっかみたい」
「これ、父上に向かって、なんという口のきき方をします。こんなことじゃあ、本当に。お嫁になんか、いかれやしませんよ」
「ははは、まあ、そう怒るな。この子だって、年頃になれば、しとやかな口のきき方のひとつも、憶えよう。のう」
「まあ、いやですわ。わたし、お嫁になんか、絶対にいきませんことよ。ずーっと、お父上のそばに、いるんです」
「うひょ、うひょひょひょ、ひょー。なんとまあ、かわいいことを申すではないか。でもな、本当はそうもいかんのだよ。いずれはちゃんと、嫁にいかにゃあ」
「なんですよ、子どものいうことを、真に受けて、デレデレ喜んでいる人が、ありますか。ばっかみたい」
「おまえ、いうに事欠いて、ばかとはなんですか、ばかとは」
「だって、この子だっていま、ばっかみたいっていったじゃありませんか。この子ならよくて、私だと怒るんですか。あなたという人は」
「あ、いやいや、そういうわけではないが。それにしても、のう」

「えー、旦那。お取り込み中、恐れ入りやすが、旦那」
「お、目明しの安ではないか。どうしたな」
「どうしたじゃ、ありやせんぜ。おっしゃる通り、死体を番屋に運んで、調べましたがね。ありゃあ、だめです。身元の分かりそうなもなあ、なにひとつ、持っちゃあいやせんぜ」
「死体って、あなた、なにかあったんですか」
「うん、まあ、さっき、帰り道でな。刺客二人に襲われたのよ」
「まあ、それでお怪我は」
「いやあ、あまり強くない連中だったから、二人とも斬って捨てた。手傷も負うておらぬ。大事ない、大事ない」

人 を二人も斬り殺してりゃあ、大事なくもなさそうですが、こんな風だったりします。考えてみると、人と命のやり取りをしてきた直後に、一家団欒しながら食事 できる神経というのも、大変なもんです。健康的な好青年や好中年であるどころか、異常も異常、眠さんや机さん以上の、大殺人鬼なのじゃ、ないでしょうか。 ジェフリー・ダーマーとか、アンジェロ・チカティロなんていう名前を、思い出しますね。彼らも普段は、健康な一市民と思われていた。

そ うしてみると、彼らの素直さ、健康さ、誰からも好かれて、いつもにこにこしているところ、なんかが、なんだか逆に、不気味なものに思えてきます。夜、長屋 に訪ねていったら、そいつがひとりで、暗い所で刀を抱えて坐ってたりしたら、ちょっと、声かけたくないなあ、みたいな。まあ、そこまで考える必要なんか、 もちろんなくて、彼らの恋や冒険を、素直に楽しんでいればいいに決まっていますが。こういう役にも立たないことを、つい、ながながと考えてしまうのも、こ ちらが素直さや、健康などの、多くの美徳を、すでに失っている証拠なんでしょうね。

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