大磯・こゆるぎの詩

鴫立庵(しぎたつあん)
心なき身にもあはれはしられけり
鴫立沢の秋の夕暮
西行
秋の暮れの美を詠ったのは中世の歌人で、新古今集に西行の詩と合わ
せて三つあり、三夕の歌として有名である。因みに、他の二つは、
み渡せば花ももみぢもなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮
藤原定家
さびしさは其の色としもなかりけり
まき立つ山の秋の夕暮
寂蓮和尚
西行のこの歌は、現在の大磯町鴫立沢と言う地名の場所で歌われたと言わ
れている。そこには鴫立庵と言う庵もある。しかし、順序は逆で、平安時
代に、この地でかの有名な歌を読んだが故に、そこの地を鴫立沢と後の人
が呼び、江戸時代に小田原のういろう薬屋本舗の主人宗雪が別荘を建て、
そこに京都から歌人大淀三千風が西行の像を持ち込み御堂に奉り、俳諧道
場とした。鴫立庵が有名になり、現在に続いており、庵主は草間時彦氏で
第二十一世になる。毎年、3月に西行祭が行われ、句会が毎月持たれる。
鴫立庵は京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び日本の三大俳諧道場のひとつ
に数えられている。

西行のこの歌の歌碑は敷地の中央に位置し、明治の歌人で万葉集研究の権
威者である佐々木信綱氏の筆で書かれたもの。因みに、「サラダ記念日」
作者の俵万智さんの早稲田大学時代の恩師である佐々木幸綱早大教授は、
この佐々木信綱のお孫さんに当るということである。
「心なき身」とは、人の気にも止まらないような身分の自分ではあるけれ
ど、の意味。


相模道(さがむぢ)の
余呂伎(よろぎ)の浜の真砂なす
児らはかなしく思はるゝかも
読人不祥・万葉集・ 巻十四東歌相聞
相模治乃 余呂伎能波麻乃 麻奈胡奈須
児良波可奈之久 於毛波流留可毛
相模の国は現在の神奈川県を指し、余呂伎の浜とは大磯から小田原市国府
津にかけての海岸を言います。「古今集」や風俗歌には「こよろぎの磯」
とうたわれる。「こゆるぎ」は「超ゆ」「揺ぎ」、または磯を「急ぐ」の
ことばに掛けて歌に詠まれた。「余陵」または「淘陵」の漢字も使われて
いた。
ところで、「揺ぎ」は「動ぎ」(ゆるぎ)とも関係があるのではないか
と思う。この地の沖合いは関東大地震の震源地でもあり、フィリピンプレ
ートとユーラシアプレートとがぶつかっている場所で約70年周期で大地
震の記録が残っている。いにしえより、地震が度々起き、「ゆれる」土地
から「ゆるぎ」と言われて来たのではないかと思う。小田原市入生田にあ
る神奈川県温泉地学研究所の資料で見たように記憶している。


かず知らぬ浜の小石も それぞれに
おのが色あり おのがかたちあり
佐佐木信綱「心の華」明治三十二年
こゆるぎの浜ではいろいろと万葉の時代から歌が詠まれて来た。万葉集研
究の草分け、明治の歌人佐佐木信綱氏の歌です。私の好きな歌です。自然を、
自分の環境をそのままあるがままに歌っている。勇気付けられますね。
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