東海道筋通り町
とうかいどうすじとおりちょう
江戸時代の小田原は東海道の箱根越え直前の宿場町として栄えました。
東海道沿いに9町あり、「通り町」と言われました。
大名が泊まる「本陣(ほんじん)」や「脇本陣(わきほんじん)」、
一般の旅人が泊まる「旅籠(はたご)」等が並び宿場町のたたずまいがみられました。
1.新宿町(しんしくちょう) |
江戸時代前期、城の大手口変更によって東海道が北に付け替えられた時にできた新町。 町は、藩主帰城の時の出迎場であったほか、 郷宿(ごうやど−藩役所などへ村人が泊まる宿屋)や茶店があり、 小田原提灯(ちょうちん)づくりの家もあった。 |
2.万町(よろっちょう) |
町名は古くから「よろっちょう」とよばれた。 町内には、七里役所という紀州(和歌山)藩の飛脚継所(ひきゃくつぎたてじょ)があった。 江戸時代末期には、旅籠(はたご)が五軒あり、小田原提灯(ちょうちん)づくりの家もあった。 |
3.高梨町(たかなしちょう) |
東海道から北へ向かう甲州道の起点に当たり、古くから商家旅籠(はたご)が並んでいた。 町の中央寄りには下(しも)の問屋場(人足や馬による輸送の取継ぎ所)が置かれ、 中宿町の上(かみ)の問屋場と十日交代で勤めていた。 |
4.宮前町(みやのまえちょう) |
小田原北条氏時代には上町・下町に分かれていたと伝えられている。 町の中央に城主専用の入口、浜手門口と高札場(幕府の法令などを掲示する場所)があり、 江戸時代末期、町内には本陣一、脇本陣二、旅籠(はたご)が二十三軒あって、 本町とともに宿場町の中心であった。 |
5.本町(ほんちょう) |
小田原北条氏時代、この町は通小路(とおりこうじ)といわれていたが、 江戸時代前期にこの町を基準にして城下の町人町を左右に町割したとき本町と改められた。 隣の宮前町とともに小田原宿の中心で江戸時代末期には 本陣二、脇本陣二に旅籠(はたご)が二十六軒ほどあった。 |
6.中宿町(なかじくちょう) |
この町には上(かみ)の問屋場(人足や馬による輸送の取継ぎ所)が置かれ、 高梨町の下(しも)の問屋場と十日交代で勤めていた。町内には御用商人の小西家があり、 江戸時代末期には脇本陣一、旅籠(はたご)が十一軒ほどあった。 |
7.欄干橋町(らんかんばしちょう) |
町名は、この町から城内にかけられていた橋の名前によりついたといわれている。 町内には小田原北条氏時代から旧家外郎(ういろう)家があり、 江戸時代末期には本陣一、旅籠(はたご)が十軒ほどあった。 |
8.筋違橋町(すじかいばしちょう) |
この町は、橋の名が町名になっているが、橋についての史科は見当たらない。 町内の東海道筋を、西から諸白小路、狩野殿小路、安斎小路 (いずれも武家屋敷が並ぶ)が南に延びている。 |
9.山角町(やまかくちょう) |
小田原北条氏の家臣山角定吉の屋敷があったので、この町名がついたといわれる。 町内には小田原北条氏時代からの畳職人、屋根職人の頭、(かしら)などが住んでいた。 東海道筋を西から御厩(おうまや)小路、天神小路(いずれも武家屋敷が並ぶ)が南へ延びていた。 |