箱根の中世東海道『鎌倉古道(湯坂道)』をくだる
2011/7/15


7月15日に行われた小田原の城と緑を考える会主催の湯坂道見学会に参加しました。
当日のコースは以下の通りです。

精進ヶ池畔国指定重文石造建造物群=鶯坂=湯坂道入口=伝・鷹之巣山城址
=小涌谷分岐=浅間山=大平台分岐=湯坂城址=旭橋=箱根湯本駅。

講師は城と緑を考える会の会長、田代道哉先生です
講師は城と緑を考える会の会長、田代道彌先生。
私は残念ながら仕事の関係で途中、『曽我兄弟の墓』から参加となりました。
田代先生はお城をはじめ歴史の事だけではなく箱根を知り尽くした方、
始めから参加できなかったのが本当に残念です。

その私が参加できなかったところを、
当日参加された野良こねこさんがレポートされています。
↓是非参考にしてください。
箱根・足柄・酒匂川〜聞き書きせむ山仕事を〜
http://blogs.yahoo.co.jp/norako33530/25220412.html


曽我兄弟のお墓と言われる五輪搭
曽我兄弟のお墓と言われる五輪搭です。
造られた時代も鎌倉時代後期で既にその当時でも100年近く経ってしまい、
実は本物のお墓ではなく地蔵信仰の五輪搭だそうです。
どうしてそのような伝承が残ってしまったのでしょうね?

湯坂道入り口です
やってきました湯坂道入口です。
鎌倉時代の東海道と言われている古道です。
源頼朝が箱根権現にお参り行く際に使ったと言われています。

大門伝承地
そして湯坂道に入ったところが大門伝承地です。
鷹ノ巣城の大手門の伝承があるのですが、
もしこの場所がそうであるならばお城の規模が大きすぎますね。

土塁じゃないですよ
鷹ノ巣山へ向かって山道を登り始めると大きな土塁が現れました。
…じゃなくて、これはただの山道です。
長い年月の間、人が歩いた為に土塁ができたように見えるだけのことです。

実際私が近くで見てもこれだけ長い土塁はありえないと思いますし、
これだけ長いのに横矢掛り一つありません。
それに何処を守っているのかも解らない。
本やブログ等で鷹ノ巣城土塁とか書かれているようですが、
これは土塁ではありません。

ここは鷹ノ巣城ではありません
そして鷹ノ巣城本丸へ到着。
いえいえ、ここも違います、ただの頂上です。

確かに曲輪状になっていますけど、
近くに堀切もなければ土塁も無い、虎口もありません。
ちょっとした地形の変化は城と思って見てしまえば何でもお城に見えちゃいます。
ここを曲輪だと言うならば日本全国の山の頂上は全部曲輪になっちゃいますから、
騙されてはいけません。

じゃあ、鷹ノ巣城って何処なの?
鷹ノ巣城は天正18年小田原合戦の時に徳川家康が豊臣秀吉に手強い城として説明した城。
家康は攻略後に宿営し、今井陣場に向かったと記録が残る有名な城です。
そんな凄い城何処にあるの??

次の目的地は浅間山
次の目的地は浅間山。
浅間山は江戸時代の富士山信仰の山の事。
つまりその名が付いたのは江戸時代以降の話です。

浅間山近辺を城跡探し
現在の鷹ノ巣山は後鷹ノ巣山、浅間山は前鷹ノ巣山、
という字が残っており、つまり鷹ノ巣山は2つ存在したのです。
そして浅間山の方が鷹ノ巣城の可能性が高いとのこと。
ということで、浅間山近辺を城跡探し。

向かうは湯坂城です
…と言いたいところですが、
さすがにこの日は湯坂道ツアーなので調査の準備は何もしていません。
今後の調査に期待したいところです。
浅間山を後にし、向かうは湯坂城です。

午後3時すぎに湯坂城に到着
午後3時すぎに湯坂城に到着。
湯坂城が近くになるにつれての下り道は石畳が滑りやすくてきつかったです。
浅間山の下りから講師は山口隆さんにバトンタッチです。

湯坂城縄張図
画像はイベント配布資料から引用、私が着色加筆したものです。
(現本:小田原城郭研究会 1987 箱根をめぐる古城30選より)
赤丸の数字は私が各見所に番号を振りました。
黒字の12〜15までは地元箱根町の方が、
湯本側の入り口から50m間隔で現地に番号を振ったものです。

新編相模国風土記稿によると、
湯坂城は大森氏によって取り立てられたとあり、
湯坂道の抑えの城です。

西側の第一郭と第二郭は東側の郭と比べると構造的に単純で古いものです。
大森氏の時代のものと考えられ、
第三郭から第六郭までは北條氏によるものと考えられています。

第一堀切
@第一堀切
この画像は下見を行った時のものです。
2mのポールを立てていますので、
堀幅6m以上はありそうな山城としては大きな堀切です。

↓下見の模様はコチラ
箱根の中世東海道『鎌倉古道(湯坂道)』をくだる
現地下見報告


櫓台
A櫓台
これも下見の画像ですが、湯坂城第一郭の土塁につながる櫓台です。
2mのポールを使用して高さを計測しました。
現在の高さはM君の身長ぐらいだから1.7mぐらいですね。
400年以上も前の遺構ですから少なくても1m以上は盛土されていたでしょう。

第一郭土塁
B第一郭土塁
こちらも下見の画像ですが、
横矢掛りのようにクランク状になっている付近です。
かなり大きな土塁です。

第二堀切
C第二堀切
土塁の上から第二堀切を撮影しました。
高低差が解りづらいですが、
左に写っている人と比べると落差が解るでしょうか?

堀幅5mぐらいありそうです
こちらも下見の画像、横から撮影しました。
ポールの位置がわかりにくいので点線で囲みましたが、
堀幅5mぐらいありそうですね。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください。

人が歩いてしまう為に削られ登山道になってしまいました
D第二郭土塁
M君が立っている位置は本来は土塁がつながっていた所です。
人が歩いてしまう為に削られ登山道になってしまいました。


こちらが本来のルート、下見のときに草を刈りました。
土塁を周るような虎口にも見えます。

第二郭土塁の断面図
第二郭土塁は下見の時に点線部分の断面図を作成しています。
左が第一郭、右が第二郭で幅は約20m、高さは最も高いところで2.4mでした。
第一郭側と第二郭側では傾斜に違いがありますね。

喰違堀切
E喰違堀切
その名の通り、堀が登山道を境にずれています。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください。

3.5〜4mぐらいの堀幅です
こちらは下見の時に横から撮影したところです。
3.5〜4mぐらいの堀幅でそれほど大きくありません。

第三郭の堀
F第三郭の堀
ちょっとこの画像ではわかりづらいですが、
第三郭の南側を分断する堀です。
堀で区切られた枡形のような構造になりますね。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください。

まだまだ紹介したい所もあるのですが、
第三郭以降は藪が深くて少人数で刈りきれる規模ではありません。

お疲れ様でした
午後4時、以上で解散。
皆さん暑い中お疲れ様でした。

引用・参考文献
小田原城郭研究会 1987 箱根をめぐる古城30選 かなしんブックス
イベント配布資料


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