富士山砦
ふじやまとりで


富士山砦
箱根外輪山より延びる丘陵地から早川に向かって突き出すこの山は、
形が富士山に似ていることから富士山(ふじやま)と呼ばれています。
江戸時代の浅間信仰の対象となり、頂上には浅間神社の社が現在も残ります。
ここで採れる安山岩を真鶴の小松石に習い富士小松と呼ばれます。


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箱根登山鉄道箱根板橋駅より徒歩20分程度になります。
駐車場がありませんので徒歩でお寄りください。

『板橋村明細帳』や『新編相模国風土記』などでは細川藤孝(幽斎)、忠興親子が、
早川の近くの山上に陣を構えたとあり、さらに遺構の範囲として、
長さ60間(約109.1m)、幅30間(約54.5m)、四方に土手があると記されています。
小田原城郭研究会による実測では東西に140m、南北に49mと近い値を計測しており、
富士山が細川親子の陣場であると言って良いでしょう。

富士山陣場実測平面図 付縦横断図
小田原市史編さん委員会 1995 『小田原市史 別編 城郭』 小田原市
図3-3-1 富士山陣場実測平面図 付縦横断図 一部加筆

画像は富士山砦の縄張り図になります。
標高110mの第1郭を最高地として第4郭へと曲輪が続く連郭式の山城です。
第1郭から第4郭へと向かって低くなっており、西端に堀が施されています。
以上から西に向かって重要性の低い曲輪が配置されている状況がわかります。
つまり西を警戒した曲輪取りとなっており、築城者は北条氏と見られます。

小田原城高林寺山西より富士山砦を望む
小田原城高林寺山西より富士山砦を望む
天正11(1583)年と見られる『某清成書状』には人足3千人を動員して、
「富士山」に普請する計画が記されています。
当初富士山砦は北条氏によって取り立てられた出城でした。

小田原城と富士山砦の位置図
小田原城と富士山砦の位置図
参考:小田原市史編さん委員会 1995 『小田原市史 別編 城郭』 小田原市

大雑把でありますが小田原城と富士山砦との位置関係を図に示しました。
土塁はアルファベットの「E」の文字のように第1郭と第2郭を囲むように配されており、
さらに北東には堀が施されています。
堀と土塁いずれも小田原城に向かって配されています。

曲輪取りは傾斜に従い西を警戒した配置、
土塁は小田原城側を警戒した配置であることがわかります。
これは警戒地域がある時期に変わったことを意味しており、
現在の富士山砦はその最終形態と見ていいでしょう。

三の丸外郭新堀土塁より
小田原城三の丸外郭新堀土塁より富士山砦を望む
天正18(1590)年4月8日、細川忠興は韮山城攻囲軍から外れ、
織田信包、蒲生氏郷らと共に小田原城攻囲軍に加わることになりました。
そこで忠興は豊臣秀吉から「早川口の松山」の攻略を言い渡されたのでした。
この松山は富士山を指しており、当時は松の多い山を称して松山と呼んだらしいです。
以上のことは『関八州古戦録』や『続武家閑談』などに記されています。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

石垣山より
石垣山より富士山砦を望む
富士山砦の攻略には堀際に迫って仕寄(しより又はしよせ)をつけながら攻撃を加え、
又、砦側からも北条軍が細川忠興の営に切り込んだとの記述が『松窓漫録』に見られます。
おそらく数日かけての激戦が繰り広げられ、
また、殆ど傾斜の緩いところの無い地形の為攻城軍は苦戦を強いられたと考えられます。

屏風状の尾根
画像は小田原城一枚畠より屏風状に続く尾根です。
この尾根が石垣山方面から小田原城への眺めを遮断します。
秀吉陣営としてはなんとしても手に入れなければならない砦だったのです。

歴史的な背景は以上です。

富士山に続く尾根
画像はその尾根です。
現在はこのように道路として整備されてしまいましたが、
かつてこの尾根の線上に掘切があったと言い伝えられています。
北条氏若しくは豊臣方のどちらかが築いたかはわかりません.

浅間神社の参道
こちらは虎口のように見えますが、
浅間神社の参道入り口です。

浅間神社の社
浅間神社の社です。
かつては御正体(みしょうたい)が出土したらしく、
その跡地に「大尊土中出現之跡」と彫った石碑がありました。
現在は居神神社の境内に移されています。

浅間神社から小田原城を望む
浅間神社境内から小田原城を望みます。
向かって右手が小田原城の先端部、一枚畠です。
左手は宇喜多秀家の前衛、佐野天守です。

現在民間企業の所有地となっております。
富士山砦の現況を紹介したいとことですが、
現在民間企業の所有地となっております。
不法侵入は出来ませんのでこれ以上はご紹介できません。

板橋の内野邸
近隣の板橋地区では小田原用水や内野邸、古い街並みなどで、
歴史的景観を重視した取り組みが始まっています。

一刻も早く史跡指定を!!
富士山砦は小田原城攻囲軍の陣場として最も保存状態が良い遺構です。
残念ながら現在史跡指定を受けておりません。
遺構は壊してしまうと二度と再現できません。
開発されてしまう前に国の史跡指定を受けることを祈るばかりです。


引用・参考文献
小笠原清 田代道彌ほか小田原市史編さん委員会 1995 『小田原市史 別編 城郭』 小田原市
蘆田伊人 1970 『大日本地誌体系20 新編相模国風土記稿』 雄山閣
杉山博 下山治久 1993 『戦国遺文・後北条氏偏第五巻』 東京堂出版


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