御前曲輪

御前曲輪石碑
現在の城山陸上競技場は戦国時代の御前曲輪に当たります。
この史跡石柱によるとこの場所は神仏を祭る場所だそうで、
また人質曲輪とも言われたそうです。


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場所は小田原駅から西部、歩いて15分ぐらいの距離です。
陸上競技場が御前曲輪にあたります。

競技場
周囲を山に囲まれた盆地ですが、かなりの広さを誇ります。
この谷戸には他の曲輪の存在の可能性もありますが、
昭和27年に発掘調査も行われないまま競技場として削平され、
史跡はほぼ消滅してしまいました。

御前曲輪想定縄張り図
1995 小田原市史 別編 城郭より加筆、着色

建設計画の図面と小田原市史の地図を元に想定縄張り図を作成しました。
谷戸がほぼ競技場として利用され綺麗に削平されました。
競技場造成以前の御前曲輪を知る方によると、
かなり深い谷戸だったようで、ここまで削平された事に驚かれていました。

御前曲輪を囲む毒榎平北堀
御前曲輪は発掘調査も行われずに消失した為に謎が多いのですが、
その一つに御前曲輪を囲む毒榎平北堀があります。
この堀は総延長350m、堀幅は1.5〜2.5m、深さは2〜3m、
この画像の藪の中、急激な傾斜の中腹にあるのですが、
御前曲輪よりも高い位置にあります。

僅かに残る土塁
画像は毒榎平、堀の上の僅かに残る土塁です。
通常堀は曲輪よりも低い位置に造られることにより効力を発揮しますが、
御前曲輪の場合逆の高い位置にある為、謎のままでした。
又、堀の掻揚げも御前曲輪の内側に向けてあります。

毒榎平北堀
画像は解りづらいですが掘です。深い藪で肉眼でも良く見えません。
堀の位置や向きを考えると御前曲輪を守っているようには思えません。
私はこの堀を御前曲輪の堀ではなく毒榎平防衛の堀ではないかと考えています。
おそらく大外郭形成以前の堀で三ノ丸形成の為の堀ではないかと思います。

御前曲輪
御前曲輪は平塚市の岡崎城、群馬県の箕輪城、静岡県の高天神城にもあり、
『御前』とは婦人ではなく神仏を指す敬称からいずれも城内祭祀の場と考えられています。
いずれの3城では城内最高地が神を祀る場になりますが、
小田原城の場合は例外として谷戸の中の最高地となります。

敷石遺構
画像はグラウンドを造成中に出土した敷石遺構です。
曲輪内最高地の地表面より0.5〜1mの深さから出土しました。
当初は先史時代の古い時代の物と考えられましたが、
周りに土器等の出土が無い為中世の遺構と考えられています。

敷石遺構
説明板によると東西約4.5m、南北に7.6mの規模で、
発見時には西側に玉砂利が敷かれていたそうです。
敷石中央のやや北寄りが窪んでおり、炭や焼土が出土しました。
亀の甲羅や鹿の角をを焼いて吉兆を占う儀式や
合戦前後の士気を高める為の儀式が行われたのではないかと考えられています。

御前曲輪を想像してみてください
御前曲輪は発掘調査もされないまま消失してしまいました。
ですが、何も残されていない場所の方が返って想像力をかき立てられるものです。
祭祀との関係の話は残念ながら研究家の方々による想像でしかありません。
又、毒榎平北堀の話も私の想像ですが、どちらの話も根拠が無い訳ではありません。

お城の見方の一つとして、想像力を膨らませながら見学するのは楽しい事です。

城山競技場は一般利用日ならば自由に見学ができます。
失われた曲輪の跡を幻想に浸りながら見学してみてください。
心の中できっと何かを見つけられるかもしれません。


引用・参考文献
小笠原清ほか小田原市編さん委員会 1995 小田原市史 別編 城郭 小田原市
田代道彌、山口隆、平井太郎 2011北條氏の小田原城めぐりイベント配布資料及び解説
史跡敷石遺構説明板
旧町名保存碑


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