井細田口


先町
井細田口は総構の甲州街道の出入り口として北東に位置します。
画像は先町と呼ばれる付近です。


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場所は小田原駅より北東に向かい歩いて10分程度の距離です。
この地図では外堀とした部分を青く塗りつぶしてあります。
又、広小路と言われた部分を紫で塗りつぶしました。

広小路付近
画像左の建物のある付近が広小路推定地です。
江戸時代の地図によると竹の花町の北端の街道に沿った西側の部分に、
かなり広い長方形の一角があり、ここを井細田口に付属する勢溜りとしたようで、
江戸城下の火災時の類焼防止とは目的が違うようです。

喰違の構造が残されています
史跡は何も残されておりませんが、
井細田口の喰違の構造が現在の国道255線にそのまま残されています。

喰違とは敵の侵入を拒むためにわざと城壁や堀を設置し、
進行方向を90度折り曲げさせるようにする構造のことです。
これにより横から矢をかけることが出来るようになり防御の面でより強力となります。

井細田口城門付近
画像は方向を変えて反対側から撮影しました。
画像奥から自動車が90度方向変えてこちらに向かってきます。
この辺りに井細田口の城門があったと思われます。

城外から井細田口を撮影
城外から井細田口を撮影しました。
画像奥の自動車が90度方向を変えてこちらに向かってきます。
喰違の構造がそのまま残されているために90度の方向転換を2回行うことになります。
自動車で通行する場合、慣れないと非常に走りくい構造の道路です。

地図を見ると画像奥のビルの辺りに堀と城壁があるので近づいてみます。

暗渠に隠れてしまった渋取川
暗渠になってますがこの下には総構の堀、渋取川が流れています。
地図を見る限り、総構のあった場所と見事一致しています。
この堀はそのまま画像奥の建物の下に入り込んでいます。

顔を出してくれた渋取川
外郭線に沿って歩いてみると渋取川が顔を出してくれました。
江戸時代までは川幅も広かったと思いますが、現在では小さな小川程度ですね。
渋取川は再び暗渠に隠れてしまいますが、海に向かって江戸口見付まで続きます。


引用・参考文献

小笠原清ほか小田原市編さん委員会 1995 小田原市史 別編 城郭 小田原市
田代道彌、山口隆、平井太郎  2011北條氏の小田原城めぐりイベント配布資料及び解説
田代道彌 2010 西さがみの地名 小田原ライブラリー
 株式会社ポスト広告出版局 1987 町名みてある記 株式会社ポスト広告出版局


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