総構北東部分を守るは総構の土塁とこの天然の水堀、渋取川です。
現在は暗渠に覆われてしまい姿をかくしてしまっていますが、
道路として使われています。
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場所は小田原駅より東に向かい歩いて15分程度の距離です。
この地図では外堀とした部分を青く塗りつぶしてあります。
アスファルトで覆われていない暗渠の道路が渋取川です。
渋取川は井細田口から江戸口見付を抜け海岸まで続きます。
地図を見る限り、総構のあった場所と見事一致しています。
元々湿地帯だったようですが、大外郭形成時に天然の堀として利用したようで、
江戸時代に入り、稲葉氏の時代に田として利用したようです。
相中雑誌(1840年前後)という江戸時代の文献によると画像右手が渋取口になります。
秀吉の小田原攻めの際に当主の北條氏直が降伏を徳川家康に告げに、
渋取口から出た為、敗れ口とも言われたようです。
江戸時代の絵図、加藤図には石垣による喰違虎口が描かれており、
相中雑誌によれば元禄の頃に石垣を山王神社などに転用したと書かれています。
加藤図以降の絵図には渋取口が描かれていないので廃止になったと思います。
道路と言うよりも歩道なので街歩きに歩き易い道ですね。
井細田口付近になってやっと顔を出してくれた渋取川です。
現在では小さな小川程度ですね。
一度顔を出してくれた渋取川ですが、
再度暗渠に隠れてしまいこのまま北上します。
こちらは井細田口近辺です。
遺構らしきものは何ものこっていませんが、
クランク状の構造の道路が地図上のかつての甲州街道と一致しています。
井細田口の喰違の構造が現在にも残っています。
引用・参考文献
田代道彌、山口隆、平井太郎 2011北條氏の小田原城めぐりイベント配布資料及び解説