上杉龍若丸の墓
うえすぎたつわかまるのはか
山王小学校の入り口は北條氏康の平井城攻めの際に捕らえられた
山ノ内上杉氏、憲政の嫡男龍若丸のお墓への入り口です。
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場所は小田原駅より西南に歩いて35分程度の距離になります。
入り口から山王小学校に向かって歩くと小さな神社がありました。
上杉神社と書かれています。
説明板を見ると驚きました、平井城保存会と書いてあります。
天文20(1551)年、龍若丸は平井城落城前に、
降伏の使者として北條氏康のいる小田原に従者6人を引き連れて参ります。
12歳又は13歳の幼少の身ですが大敵の嫡男故に、
氏康は家臣の神尾治郎右衛門に首を刎ねさせます。
神尾治郎右衛門はまもなく疫病を患い亡くなりました。
上杉憲政が息子龍若丸を置いて長尾氏を頼り越後(新潟県)に逃れた後、
状況を見て北條氏に従うとした上杉家臣の裏切りで龍若丸は北條氏康に差し出されました。
『逆心を起こす者など召抱えることができるか』と腹を立てた氏康はこの上杉家臣を殺し、
幼少ながら大敵の嫡男であるが故に龍若丸も殺したと小田原北条記では書かれています。
五輪搭は6基あり中央が龍若丸のものだそうです。
幼少の身でありながら悲運の死を遂げた龍若丸。
これを知った小田原の人は龍若丸に同情し五輪搭を立てここに供養をしました。
引用・参考文献
原著 江西逸志子 訳 岸正尚 原本現代訳 小田原北条記 (上)、(下)
史跡上杉龍若丸墓説明板