大阪大学医学部医学部を卒業し博士号を持つ手塚治虫氏は医師の資格を持つも、なぜ漫画家としての人生を歩んだのであろうか。実は手塚は学生時代に奇病とされる人面瘡についての研究グループに所属し、何らかの発見をしていたようである。

しかし、その病気は「存在自体が社会に対する影響があまりにも強い」という理由から大日本医師連盟から公表される事は禁じられていた。そればかりか医師連盟は、手塚に「マンガという手法で何気なく世間に人面瘡の存在を広めよ(※1)」という命令とも思える依頼をし、この依頼を拒否する時は、医師の資格を剥奪するという脅しもあったとさえいわれている。

人面瘡は、主にひざやひじに人の顔が浮かび上がり、言葉を話しモノを食べるというまるで他の生き物に寄生されたかの様な、奇妙な病気である。手塚治虫はヒョウタンツギというキャラクターをその人面瘡のなかでも最も処置の難しいとそれている「顔面における疾患の症例」として描き続けたのだ。

いまだ人面瘡は多くの謎に包まれているが、その症状は彼の漫画を見た我々の知識として蓄えられつつ有ることは拭えぬ事実であり、我々がその策略に填った事は否めない事である。

※1 医師連盟が「社会に対する影響」を考慮したとされる例として、彼に「きりひと賛歌/モンモウ病」があるが、他にも漫画家・山上たつひこ氏に「光る風/藻池奇形症」(1970)を、同じく漫画家・いしかわじゅん氏に「約束の地/進行性農夫病」(1981)を描かせた事は周知の通りである。


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