北 京
今は亡き先輩と亡き妻との3人で会社
を休んで、万里の長城を見物に行った
遠く霞んだ思い出だが、写真を見ると
淋しさより暖かさが一度に甦ってくる
《先輩は、この時には既に奥さんを亡くしていた そしてこの旅行の1年後には、ご自分も他界する》
1995年2月
.
万里の長城
天安門に登るなどこの時には考えられない程、国情に厳しいものがあっただが、5年後の2000年4月には登れる様になっていた(高い入場料)
天安門
先輩が『北京ダッグを食べようヨ』
安くて非常に美味しかった
故 宮(紫禁城)
大和殿
中心の建物
と 玉 座
孫悟空のモデル 金糸猴(キンシコウ)
頤和園(イワエン)の石舟
明の十三稜 地上では見る事が出来ないが、地下に大理石の大宮殿がある 13人の皇帝の陵墓
皇帝が五穀豊穣を祈った天壇公園の祈念殿
遠く霞む故宮の城壁
朝、日が昇ると何処からともなく人が集まって来てダンスをしたり太極拳をしたり、健康的だが務めは如何なっているのだろう
ごく一般的な住宅街
この写真の13年後、妻もすっかり白髪になりそして他界した 先輩も妻もガンだった 歳月は空しさを運んで来る 生者必滅 会者常離
嘗ての独裁政治、戦後よりの竹のカーテン、多色の建築物、オクターブの高い言語
我々3人には受け入れられない異文化だった それが旅行を終えた今は、3人は
異口同音 『我々は間違っていた・中国の文化に頭が下がった』 だった そして
この時に感じた中国の印象により、妻は将来、中国と深い関わりを持つ様になる