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1出会い

文通

再会

日本滞在2年間

さようなら牛源さん

再び中国へ

草原に生まれ、砂漠のオアシスの街に育った、牛源さんと出会ったのは、2000年4月だった。 私達は、中国
の奥地に、日本では希薄になってしまった情愛・強い家族の絆が、未だ色濃く残っているのではなないかと、それ
に触れたくて旅の副目的として出掛けた。 そして悠久の大地、ゴビの敦煌莫高窟で、1青年 牛源さんに出会う

牛源さんは、敦煌莫高窟研究院、接待部に勤

しており、大学で日本語を勉強していたの

分に意志の疎通が出来た。 我々二人だけの

内だったので、世間話から私的な事まで会話

弾んだ。 そして牛源さんに好感を持てた

のは、その場凌ぎを言わない、実直な話し方と

態度だった。 一生懸命、正確に説明しようと

努力していた。 分らない事には必 『知識

不足で申し訳ありません』 と付加えさわやかで

純粋なものを感じた。 これは中国人の国民性

か或いは研究院の接客方針だったのかもしれな

いが、我々には非常に新鮮に目に映り、稀に見

る好青年に感じた。 

牛源さんからの手紙の一節

色々な国の人と文通をしましたが、殆ど1〜2回で途切れしまいましたが、牛源さんとは

4年間も文通が続きました。  年賀状・季節の様子など、次の便りが待ちどうしくなる

る程でした。  勤勉な牛源さんは、文通で日本語の勉強も兼ねていたのです。 そして

4年が過ぎたある日 『今日は嬉しいお知らせがあります』 と前置きした手紙が届いた。

2年間の日本留学が決まったとの知らせの手紙だった。

2000年4月

2000年4月〜2004年3月

2004年3月

4年振りの再会は、家にお招き して・・

妻が『ニーハオ!』 牛源さんが『ようこそ!』 私が『言葉が反対じゃない!』 賑やか

再会だった。  新婚だった牛源さんは一児の父親になっており、青年から落着いた紳士

変身していた。  4年前に一度だけしか会っていない、間柄とは思えない親しさがお互

いにあり、4年間の文通が親近感を増していた。

4月になると、一面に凍った川に、あち

こち小さな穴があき、そこからコロコロと

流れの音が聞こえ、春を知らせている。 

この音は、世界で一番素晴らしい音だと思

います、この季節が私は一番好きです  

牛源さんに『何処に行きたい?』と聞くと

海を見たい、緑の森を歩きたい と言うの

で、一番に富士山と海岸に連れて行った

森では何回も深呼吸をし、海岸では両手を

上げて万歳をしていた

2004年4月〜2006年3月

牛源さんは中国にて、数百人の中から1人選ばれ、日本の某大手新聞社の招きにより成城大学

大学院で東洋美術史を2年間勉強する公費での留学だった。 正に努力の現われに思えた。学生

生活は寮に入ったが、やがて日本に慣れるに従い、休日には家に遊びに来たり、お正月など連休

は、家で過ごす様になった。 私達は、日本の文化・風習を理解して貰う様に努めた。 家の子供

達・孫達とも親しくなり、2年目のお正月には牛源さんの奥さんも来日し、皆で観光地を案内した

り、家族ぐるみの交際が始まった。 そして絆は更に深かまり、数々の想い出を作っていった。

家でくつろぐ

東京大学にて

成城大学にて

勉強中

除夜の鐘

牛源さんの 奥さん来日

考古学の留学生と愛知万博へ

茶道の体験させて頂く

新疆の常食 羊の肉を非常に喜ぶ なんと牛源さんは香辛料を国から持って来ていた

妻の知人 安食様ご夫妻より

2006年3月

身延の枝垂れさくら

国技大相撲見物

2年の歳月は過ぎ、夫々熱い思いを胸に別れの日を迎えた。 成田空港で見送りの子供達の叫びを背に、牛源さんは、出国のブースに振り返りながら消えて行った

成田空港

皆で見送り

送別会

牛源さんが好きだった食物を皆で持ち寄った

焼肉・餃子・イナリ寿司・煮物・煮豆 等々

牛源さんの挨拶
中国に弟や家族が居る事を忘れないで!
子供・孫達の挨拶
大きくなったら遊びに行きます

再会を願って

ダルマさんに

片目をいれる

そして、牛源さんは家族の待つ砂漠の街、敦煌に帰った

成田空港屋上にて、暫しの時間を惜しむ

2006年11月

私達は、牛源さんと再び会いたくなって、シーズンオフ(牛源さんに暇ができる頃)を待って、敦煌に出かけた。 その頃になると飛行機は欠航になり、敦煌の最寄都市ウルムチまで飛行機で、後は汽車で行く事にした。 牛源さんは800`離れたウルムチ空港まで、一昼夜かけて夜汽車と車を乗り継ぎ迎えに来てくれた。 その好意に甘えつつ、心の暖かさを噛みしめた。

ウルムチ空港で感激の再会 僅か8ヶ月振りなのに、永い間会わなかった様な懐かしさがこみ上げてくる

妻=『牛源さんのお母さんに会いたくて』

牛源さん=『母もお待ちしています』

初 詣

巫女さん総出で

歓迎して頂く

私が探し求めていた、家族の絆中国の奥地には

確実に残っていた。 親が子を愛しみ、子は親を

尊敬する。 当たり前の事だが、その深い土壌か

ら純粋な人間が生れ育っているのだと思った。 

個人差・貧富差・諸条件など色々違いはあるだろ

うが、根底にこの精神が流れている。 願わくば

その美しい心を温存しながら、経済発展を遂げて

貰いたい    日本の轍を踏まぬ様に!

嫁が姑に盃を差し上げている

.

孫が祖母に挨拶をし、お小遣いを戴いている

夫婦二人揃って何か挨拶をしている  今の日本にこんなメリハリのある光景があるだろうか   ご尊父は他界していた

ご母堂と初対面

家庭に招かれ歓迎をうける

念願が叶いダルマさんに両目が入る

牛源さんが自慢する、お母さんが作る手製のラーメン さすがに美味しかった

中 国 人

(大地の子を育てた心)

目次
1. 出会い
2. 文通
3. 再会
4. 日本滞在
5. さようなら
6. 再び中国へ

お赤飯を炊き、手製の味噌汁・お刺身

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出会いの花 シクラメン 

牛源さんと私たち
国境を越えて8年
永久の友情を育む