版画家 デービット・ブル氏 季刊紙 「百人一緒」
東京青梅市在住のカナダ人の木版画家。元ミュージシャンが日本の浮世絵に魅せられ、ついに音楽の道を断ち来日し、たいへんなご苦労と努力の末に彫り摺りを独学でマスターし、大好評の「百人一首」シリーズをはじめ、日本の浮世絵の復刻に魂を注いでいます。最近はオリジナルの作品も発表し、またNHKその他テレビ番組や、その他出版メディアでも多く紹介され、ますます活躍の場を広げています。
2010年11月にブル氏の取材をうけました。取材記事は以下のブル氏のHPに掲載されています。
http://woodblock.com/newsletter/jp/2010/081-jp-visit.html
職人を訪ねて
木版画の摺師に、仕事をする上で一番大事な物を尋ねたら、決まってこう答えることでしょう。「私のバレンです!」演奏家が、楽譜を音にして表現する道具としてバイオリンを使うのとまったく同じように、バレンは摺師が頭に思い浮かべることを具体化させる手段なのです。また、安物のバイオリンとストラディヴァリウスとでは、奏でられた音楽が違ってくるように、熟練職人によって作られたバレンで摺ると、品質の劣る道具を使うよりも遥かに満足できる作品になるのです。
木版画の世界には、ストラディヴァリウスのような存在はありませんが(木版画職人は、いつも無名のまま仕事をしてきましたから)、自分たちの使う道具の品質はすぐ分かります。摺師は、仕事をする日には朝から晩までバレンを握っていますから、ちょっとした欠点や不安定さがあると、我慢ができないのです。バレンの品質は、私たちが妥協を許さない―できない―物のひとつです。
伝統工芸に類する事柄について記述するとき、私たちは「古き良き時代をしのぶ」ような不満を、もらしがちです。でも、バレンの入手に関する限りそのようなことはないとお伝えでき、とても嬉しく思います。本バレンを作る技術は、後藤英彦さんがしっかり継承しているからです。神奈川県大磯にある彼の自宅には、必要な道具で周囲がびっしり囲まれているため、かろうじて座るところを残す、というほど小さな工房があります。私は、先週彼を訪ねてきました。
これから書く内容は、バレンの作り方ではありませんが、2段落を費やして紹介するその「レシピ」をお読みになれば、彼の仕事の意味を理解していただけることでしょう。
バレン作りの土台となるのは、厚さ数センチの円盤で、その上にとても薄い(本当に薄い)円形の和紙を軽く貼付けます。翌日、その上に再び、土台の縁を覆うように和紙を貼付けます。次の日にまた1枚。作りたい形になるよう、直径を変化させて1日1枚を重ねていき、およそ50日続けます。更にこの上に、キメの細かい絹地を重ね、最後に純粋な漆を何層にも重ね塗りします。最後に土台から切り離して仕上げをすると、当て皮(バレンの覆いの部分)の完成です。
でも、労力のほとんどを占めるのは、この道具の「実働」部分となる芯を作る作業です。使えるのは、選び抜かれた竹の皮の、ほんの小さな部分です。それを湿らせて、幅1ミリ程のとても細い紐状に裂きます。この紐を何千本も使って撚りながら繋げ、それを更に撚りという風にして、長い綱のような状態にします。この「綱」をきっちり巻いて糸で固定し、すでに作ってある当て皮の内側にはめ込みます。こうしてできたものを、竹の皮1枚を使って包むと、やっと摺れる状態になります。
この「大仕事」を、たった2つの段落にまとめてしまい、後藤さんが気を悪くしないといいのですが!でも、彼がここまで到達するのにどれほど膨大な研究と練習を重ねてきたか、皆さんは理解してくださることでしょう。実際彼は、何年もかけてこの技術を身に付けたのです。後藤さんがバレンについて習ったのは、摺師の訓練を受けていた頃で、伝統に習い、自分でバレンを作るよう言われたからです。それが引き金となったのでしょうか、道具を作るということが彼の興味を引き、私(他の摺師たちも)にはとても有難い結果となりました。
もしも私が本職のレポーターとしてこの記事を書くのなら、自分の意見や感情を入れることは許されないのですが、幸い違うので自由に記述できます。彼の工房に入り込んで部屋を見回すと、必要な道具などが見事なまでに整然と配置されています。長くて複雑なバレンの制作行程のひとつひとつを、どれほど慎重に行っているかが見て取れ、心底感動してしまいました。私は、あちこち触ってみたい気持をなんとか押さえましたが、自分を囲む素晴らしい道具や材料を使って、私もバレン作りを始めたくなったほどです。ここが気に入ってしまいました!
嬉しいことに後藤さんは私と同じ意見を持ち、知り得た情報はできる限り公開したいと考えます。そして今年の夏、バレンとその制作方法についての本を出版しました。制作行程は、細部にわたって実に緻密に説明されています。そのため、秘伝の技として残したい他の職人から批判されもしました。職人同士が競争相手であった昔なら、それも一理あるでしょうが、貴重な技が失われつつある現代に同じ事をするのは愚かなことです。
私が訪ねている間も、「秘密にしない」利点をお互いに確認し合いました。私は自分のホームページに掲載してある、明治時代のバレンの写真を彼に見せたのです。このバレンは外国の博物館に寄贈されたもので、1894年にアメリカで出版された本にあった写真をスキャンしたものです。丁寧に観察すると、制作者の名前と当て皮の重さが書かれていました。これはとても重要な情報で、明治時代に使われた道具の写真は現在日本に残っていないため、とても貴重な資料として後藤さんの研究に大いに役立ちます。もう疑う余地などありません。情報は公開して、分かち合うのが一番です!
彼の工房には、出番を待つ竹の皮が、いたるところに積み重ねられています。撚ってバレンの芯として使用したり、包み皮として使ったりするためです。良質の竹の皮を手に入れること、これは後藤さんの悩みの種です。竹が生長する季節の気候が供給量を決める大きな要因になるためですが、それ以上に、最近は竹の皮を利用する人が極端に少ないため(バレン用であれ、昔の食品包装用であれ)、もう集めようとする人などなく、落ちて腐るままに放っておかれるからです。
このジレンマを解決する唯一の道は、もっと多くの人が木版画を楽しむようになることです。そうすれば、より多くの人が版画を制作するようになり、道具も、より良い品質へと需要が高まるからです。最近後藤さんは、外国からもバレンの注文を受けています。彼の作る素晴らしい道具を使う版画家が、ドイツ、イギリス、アメリカなどの国にいるからです。(後藤さんは、包み皮用の竹の皮などの版画用具も販売しています。)
後藤さんが継承している伝統が、少しずつ世界に広まっているので、私たちはとても嬉しく思っています。いつか、彼と私の双方に時間のゆとりが出たら、バレンを総合的に解説した彼の本を英訳して出版したいと思っています。ベストセラーになるような事はないでしょうが、掛け替えの無い貴重な知識の宝庫ですから、ロングセラーになること請け合いです!
後藤さん、伝統工芸への献身的な態度に感謝です!これからも、その調子で続けてください!