浜降祭TOP 濱降祭の起源と実際  2003年10月10日 




濱降祭ポスター

画像は平成23年のものです。
ほかの年度のポスターは
こちら

 湘南地方に本格的な夏の到来を告げる「暁の祭典濱降祭」。遠い昔から、濱降祭で梅雨が明けると言われてきた。神社や神輿道には注連縄が張られ、遠く祭囃子が聞こえて来る。宵宮には神官によって御霊遷しが行われ、参道には提灯がともされる。茅ヶ崎海岸南湖の浜に、寒川神社の神輿を筆頭に、寒川町、茅ヶ崎市の神輿約40基が乱舞する盛大なお祭りです。
 史料的な裏付けのある時代から数えても200年を超える歴史と伝統をもっています。〔神奈川県無形民俗文化財指定〕

 神輿が海に入り、海水で清められることから「みそぎ神事」とも呼ばれます。祭名の「浜降り(ハマオリ)」または「ハマクダリ」は全国的に共通する呼称ですが、これだけ数多くの神社神輿が集まる海の祭典は、この茅ヶ崎が唯ひとつだと思われます。勇壮な祭典をひと目見ようと、南湖の浜は毎年十数万人の人々の熱気で溢れます。長い間(明治9年以降)7月15日に斎行されてきましたが、平成9年からは「海の日」に変更になっています。但し、歴史ある浜降祭祭典日を永く後世に伝えるため7月15日に浜降古式祭が寒川神社で行われている。
(注)海の日;平成9に制定される。平成9年〜15年は7月20日、平成16年からは7月第三月曜日
に変更された。

 尚、寒川神社と菅谷神社は、平成2年まで全コースを徒歩で渡御していました。寒川神社から8
km、菅谷神社から寒川神社経由で10kmの道程です。コースは寒川神社誌参照。

 濱降祭に関しては「神奈川県民族芸能誌」をはじめ数多くの文献があるが、特に濱降祭の起源については、いずれも結論めいた言い方はしていない。史料が乏しいし執筆者の立場上やむを得ないとは思うが、読んでいてなんとなく残念でなりません。地元育ちの神輿野郎の一人として、そろそろ整理したい衝動にかられ濱降祭の起源と実際について考察を試みた次第です。特に「浜降祭日記」なるものが存在し丹念に読んでいくと面白い発見もありましたので、寒川町史の主だった記事も含めて順次紹介していきたいと思っています。

 
最新更新日2004年2月5日
CONTENTS(各項をクリック)     

浜降祭の意味・民族

浜降祭の概要
浜降祭の起源と歴史
鶴嶺八幡社の浜降祭
5泊6日の浜降祭
浜降祭次第
江戸時代の浜降祭
明治時代初めの浜降祭

明治から昭和にかけての浜降祭
 
(参加神社、年代毎の一覧表)


規則と費用
中断されかけた浜降祭
伝承としての浜降祭の起源
浜降祭日記の注目記事
明治時代の新聞記事

菅谷神社の天保神輿
  
参考資料一覧
   
掲載している神社名は、史料にでている出輿届け時の社名をそのまま引用している。
したがって通称と合致しない場合もある。例;鶴嶺八幡宮、御嶽神社(遠藤)

浜降祭日記は誤字・脱字等が散見されるが、あえてそのまま引用し記載した。


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