旧相模川の橋脚           茅ヶ崎市町屋        散策日2003.02.03


旧相模川の橋脚
 現代の相模川から約2km東へ行った新湘南バイパス茅ヶ崎西IC付近。
 関東大震災(1923年)の時、水田の中から7本の丸太が地上に浮き出てきた。専門家の鑑定により鎌倉時代(1198、建久9年)、源頼朝の家来の稲毛重成が亡き妻(北条政子の妹)の供養のため、相模川に架けた橋の橋脚と判明した。

 この橋脚は、直径60センチの檜の丸材で、橋の幅は約7メートルあったと推定され,当時、全国有数の大橋であったと思われます。
 また、この橋の出現によって、相模川は今よりだいぶ東を流れていて、氾濫を繰り返しながらその流れを次第に西へ移動したことが判りました。国の史跡に指定されています。

馬入川の由来と源頼朝の死亡説
 源頼朝がこの橋の渡り初めをした帰りに平家の亡霊が現れ、驚いた馬が暴れだし、頼朝は馬から落ちてしまい、その馬が相模川に入ってしまったと言われており、これが相模川の下流を馬入川と呼ぶ由来です。
 この時10人の警護の武士が責任をとって自害しました。この武士たちのお墓が龍前院の境内にある10基の五輪塔であるとも言われている。尚、頼朝はこの時の落馬が原因で死亡したという説もあります。

左の写真は現馬入橋から銀河大橋方面を望む。
 

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