浜降祭ルート散策  2003.03.20 天候 晴れ暖かし


  浜降祭今昔物語の「もう歩けない限界だ」に書いたが、徒歩で渡御していたルートをたどって
 みたいと思っていた。菅谷神社から10�qと聞いていたが、そのとおりだった。

 実家→菅谷神社(1.3�q)    
(  )内は菅谷神社からの距離
 菅谷神社→寒川神社(1.9�q)→一之宮(3.9�q)→田端貴船神社(5.1�q)→萩園三島宮(6.3�q)
 →鶴嶺八幡社(7.4�q)→南湖通り(9.2�q)→134号線(10.2�q)→南湖海岸祭場(10.5�q)
 
  復路の寒川へ入ってからのルートはその年によって違いはあるが、距離的には略同じである。
 寒川神社境内も含めると、実家から南湖海岸まで12�q(往復で24�q)を歩いたことになり、
 運動らしい運動をしていなかった当時、途中で歩けなくなったのもうなずける気がする。

  徒歩での渡御はいつ頃までだったか?つい最近までのような感じもするが、寒川神社で確かめ
 てみたら、平成2年(1990年)までだった。
(平成元年は昭和天皇の諒暗中のため車両で巡幸した)
 平成3年以降、田端〜浜見平団地(4.1�q、約4割)間は車両での巡幸となり、現在に至っている。
                                   
  今回の調査で、他の事項を含めていろいろと質問をしましたが、快く対応してくれた寒川神社
 の権禰宜の方(八幡大神の宮司を兼任とのこと)ありがとうございました。
 

菅谷神社

寒川神社

寒川神社 神門

旧の神門 寒川さんを迎えに行くときはここから入る。

寒川神社神殿

梶原景時の館跡(一之宮)

浜降祭の碑(梶原景時の館跡近く)
浜降祭の碑
碑文には概略次のように書いてある。(ちいさな漢字は当て字、ひらがなに直すと読みやすい)
濱降祭駐輿記
相模国一之宮寒川神社神輿茅ヶ崎南湖濱
爾渡御在良世良留此乃日近郷近在十数社神輿供奉志縣下唯一乃盛儀奈里
昭和8年6月
この他、川崎家が環幸時に麦殻を燃やして、投げかけた故事なども書いてある。
この場所は現在でも神酒所になっており、復路に立ち寄る行在所のひとつである。
子供の頃は、寒川神社と菅谷神社が待ち合わせた場所でもある。

貴船神社  「もう歩けない限界だ」になった所

鶴嶺八幡社(信号機名称は鶴嶺八幡宮になっている?)

住吉神社

魚 金
(南湖のさかな屋さん)  

烏帽子岩と富士山

上の二枚の写真

徒歩の頃は、住吉神社の前の細い道を通って、魚金の店の角を曲がり、海岸への通りを進んでいった。
店の中のおばさんが暗くて見えないけど、その頃のことを懐かしそうに話した。「いつも氷をだしてくれて、ありがとう」
関係者を代表してお礼を言っておきました。

烏帽子岩
今でこそ、サザンの歌で茅ヶ崎海岸のシンボルだが、昔、米軍が辻堂海岸からの実弾射撃の標的にしたと聞いたときには、まだ子供だったが腹が立ったことを覚えている。
画像はS.taguchi(HP)さん撮影