西やん画論
             
第1章 正しく描くことはできない


(その1) 「2つの目で見ている」

写実的な絵、と言います。写真のように正確に書かれている、と言います。また、そういう力をつけるために

デッサンの修行をしている人もいます。でもどんなに修行しても物や空間を100%正しく描くことはできませ

ん。97%くらいまでです。描く以前に正しく見えていないのです。そのわけの1つは「2つの目で見ている」か

らです。右目と左目では見ている角度がちがうので見え方がちがいます。近いものほどちがいが大きいです。

どちらが正しいのでしょう? 頭の中では脳みそが2つの画像を1つに統合して立体にして見ています。立体

になれば1つですが、平面に描くためには右目の画像か左目の画像かどちらかです。だから正しく描こうとし

たら描いている間ずっと片目を閉じていなくちゃなりません。それはむずかしいので両目で見てしまいます。

すると絵の中のある部分は右目で見たもので、ある部分は左目で見たものになります。風景だと対象が遠い

ので差はわずかですが静物ではけっこう差があります。カメラの目は1つですから画像も1つに決まります。

カメラと人間はちがうのです。 05.10.8


(その2) 「真ん中しか見えていない」

視線を動かさずにまん前を見たとき、はっきり見えるのは視野の真ん中へんだけです。周辺はなんとなく見え

ているだけです。視線を右に移せば右の方もきちんと見え、左に写せば左もきちんと見えますが、視線を移す

ということは空間の軸を変えることになり、別の絵を描くことになってしまいます。たとえば自分が道のこちら側

のバス停にいるとします。道の反対側を見たとき道端の線は水平に見えます。でも視線を右に向けると道端の

線は右上がりに見えます。左を見ると道端の線は左上がりに見えます。これを同じ1枚の絵の中に描くと、道の

形は左右の木から吊るしたハンモックのように、あるいは上を向いた三日月のような形になってしまいます。

魚眼レンズで広い範囲を写した写真を見たことがあるでしょう。あんな絵になります。つまり3次元の物を2次

元の絵にすることには無理があるのです。でも見えている真ん中へんだけなら無理に出会わずに描くことがで

きます。広ーい範囲を描いた風景画は、そういう意味で皆ウソです。  05.10.9


(その3) 「遠くと近くは一度に見えない」

前の論で視野の端のほうはちゃんと見えていないことを書きましたが、同じことが奥行き方向についても言え

ます。近くを見つめている時、遠くはボンヤリとしか見えず、遠くを見つめると近くはボンヤリします。カメラでも

それは同じでいわゆるピント合わせです。風景写真をよく見れば、どこにピントを合わせた写真かわかります。

それなのに絵を描くときは、1枚の絵の中で近くを描くときに近くをみつめ、遠くを描くときに遠くを見つめて描き

ます。これは1枚の絵の中にピントのちがう何枚かの写真を貼りあわせているわけで、ある瞬間に目に見えて

いる映像とはちがいます。ここまでの話でお気づきかと思いますが「目に見えている映像」って結構へんな映像

なです。上下左右がボヤけていて近くと遠くもボヤけているのです。実際には視線や視点(ピント)をこまめに

動かすことで上下左右や近く遠くのボヤケをカバーしているわけです。そうやって脳みそがコンピューターのよ

うに合成して作ったボヤケのない映像を私たちは「本当の世界の姿」であると思い、それを描くことを「正しく描

く」ことだと思っています。でも、ここまでの話でおわかりのように「本当の世界の姿」には疑問があります。「本

当の世界の姿」というものがそもそもあるのか、あるとして人間はそれを捉えることができるのか、できたとして

それを2次元の平面に描き表わせるのか? 私の答はすべてノーです。 05.10.10