小文集’2002
02.1.7 あけましておめでとうございます
まだ3ヶ月しか使っていないパソコンの基本OSがおかしくなり、どうにかその日のうち
に治ったのですが、いくつかのデータが消えてしまいました。すごいことができるのに壊れ
やすい、まさに現代文明を象徴していると思いました。そのバソコンへの軽い失望を手書き
の「教室だより」という形で表現してみました。なんと、ワープロよりずっと楽でした。
(実際の「教室だより」はこの月以降手書きになりました。)
02.2.1 一緒に回ってます
寒くなりました。地球が傾きながら太陽の周りを回っている証拠です。
何もない広大な空間を青い地球がもくもくと回りつづけている、その球の表面に私たちが
ひっついている。なんというファンタジー、なんというおかしさ! いい人も悪い人も
ミケちゃんも、みんな一緒に太陽のまわりを回ってます。
02.3.4 「20年」
20年前の3月に学校勤めをやめました。そして、この教室をはじめました。
マンドリン・フェスティバルをやって、グラス・ファミリーをやって、ファミリー・バンド
をやって、好きなように生きてきたら、あっというまに20年たっていました。
心の中は35才のままです。いや、20才かな。
02.4.1 即興音楽について(1)
ブルーグラスを初めて聞く人が、何曲か聞くとみな同じ曲に聞こえる。、といいます。
これはブルーグラスに限らず、ジャズもブルースも津軽三味線も、そして多くの民族音楽も
そう言えます。私はそれを**弁でしゃべっている会話、あるいは独り言のようなもの、と
考えています。その言葉を知らない人には同じことをしゃべり続けているように聞こえます。
02.5.1 即興音楽について(2)
会話や独り言は自由です。でもデタラメではなくて言葉の法則には従っています。
ある程度、話題が決まっていることもあるし、あっちこっちに話題がとぶこともあるでしょう。
ブルーグラス、ジャズ、ブルースなどはある程度決まった話題(コード進行とかテンポ、リズム)の中で、
なるべく自由にしゃべろうとする音楽です。
02.6.1 即興音楽について(3)
当然のことですが即興音楽は楽譜のいらない音楽です。見よう見まねで体験的におぼえて
ゆくのが本当ですが、時間の節約とビレッジ教室の経営のためには譜面ナシというわけには
ゆきません。ところがいったん譜面を手にするとそれで安心して、覚えようとする気持ちが
うすくなります。覚えてゆく、暗記する、という気持を強く持たないと即興音楽のとびらは
ひらきません。
02.7.1 即興音楽について(4)
即興音楽というとジャズのアドリブのように複雑でむずかしいことを速いスピードでやる
こと、と思ってしまいますが、いろんなレベルがあるわけで、まずはメロディーをちょっと
変化させることから。これをフェイクといいます。「いいですね」を「いいですな」と言い
替えるようなものです。「ええですな」「ええっすなあ」「ええのう」「いいじゃん」と
フェイクできます。
02.08.01 即興音楽について(5)
言い替えにあたるフェイクから、より自由なアドリブまで、演奏で会話(ときには独り言)
ができます。会話にも何かテーマがあったほうがいいですね。できれば多くの人に共通の
話題が。それがスタンダード曲にあたると思います。ブルーグラスのスタンダード曲、ジャズ
のスタンダード曲、それぞれの分野にスタンダード曲があります。
02.9.2 はやいもので
ビレッジ教室の正式開業は20年前の9月だったので、20年が過ぎ21年めに入った
ことになります。皆様のおかげで細く長くどうにか続けてこられました。感謝です。
教室だよりのVol.が241のはずですが、どこかで2つズレてしまったようです。
数字にはこだわりません。20年も21年もちがいはありません。
好きな仕事をつづけられれば幸せです。
02.10.1 パ ソ コ ン (1)
新しいパソコンを使い始めて1年たった。頭はよいが気まぐれで体の弱いこの道具と
仲よくなれそうな、なれなさそうな微妙な間柄だ。おそらく気まぐれと体の弱さは数年後
には改善されるだろう。そして産業革命と同じくらいの大きな変化を人間の社会に与える
と思う。既存の体制に束縛されずに地球上の個人と個人が伝達しあえる。地球が1つの国に
なることを速めてくれるのではないかと。希求平和。
02.11.1 パ ソ コ ン (2)
先月号のこの欄で楽観的なことを書いてしまった。パソコンが世界を一つにつなげて
くれるだろう、と。そういう可能性がないとは言えないが日々伝えられるニュースは人間
のかしこさよりも愚かさを明らかにしてしまう。どんなにすぐれた道具でも愚かに使われ
れば不幸な結果を招く。パソコンに世界平和をお願いするのは気楽すぎるというものだ。
02.12.2 時のふしぎ
師走である。季節のめぐりがはやい。と、感じる。流れる時間の中に我々は生きている。
時間を止めたら静止画像のような世界になるのかというと、ならない。時間が止まれば光は
見えなくなり、この世界が存在できなくなってしまう。だから静止画像にはならない。
時が流れているから我々も世界も存在している。ふしぎ・・・。