小文集’2009 新しいものが上になっています。
09.12.2 年 の 瀬
季節というものは輪になっているので、どこが始めでどこが終わりということはない
のだが世間一般には1月から1年が始まり12月で終わるようだ。私はスイカが八百屋
になくなったときに今年が終わったと感じる。では始まりは秋かというとそうでもない。
それはきっと農業のように1年を単位とする生活をしていないからだろう。だから年賀
状も私にはあまり意味がない。誰にも出さないし、いただいても返信しないので悪しか
らず。節目のない生き方をしています。
09.11.4 水彩画展終了
6日間で970人という予想をはるかに超えた来場者数を記録して「第1回えのぐばこ
水彩画展が11/3に終了した。「やってよかった」というのが私を含めた9人の実感だ。
額装した自分たちの絵が全部で110点、会場に並んだ壮観に「私達ってこんなにすごい
んだ」と皆あらためて思ったようだ。そして知らない人が何人も「いい絵ですね」と言っ
てくれたことで、自分たちの絵とサークルが世の中に認められたと確信できたと思う。
25年めの展覧会、生まれた赤ん坊が結婚するくらいまでの年月だ。よくこんなに長く続い
たと思う。9人のそれぞれの人生をふり返る展覧会でもあった。
09.10.5 30年
先日、平塚のブルーグラス・コンサート「グラス・オープリー」が30年めを以って
幕を閉じた。娘も息子も30才前後になり、ビレッジ教室は28年めに入った。今月末
に展覧会を行なう絵画クラスも26年めに入り、いろいろなことで30年という長さが
立ち現れてくる。50年ほどの重みはないが10年とはちがう量感がある。
江戸時代300年というのはこの10倍かと考えると妙に実感がわいてくる。長いようで
短い。短いようで長い30年。2つの30年を経過した私の人生は1つめは長く、2つめ
は短く感じた。3つめはどうなるのか、それは28年後のおたのしみ♪
09.9.2 夏
また夏が終わった。それは8月が終わったという共通の話ではなく、スイカとブルー
グラスフェスとTシャツと青空と冷やしタヌキ蕎麦の喜びが終わったという、きわめて
個人的な話だ。私にとって夏とはそういうものが合わさってできた一つの世界だ。あな
たの夏と私の夏は似ているけれどもちがう。あなたにはあなたの夏があり、私には私の
夏がある。その共通部分が夏という字になる。だから夏という字は空っぽに近い。
空っぽの字に私の感覚や体験が入ってゆく。あなたの夏と少しちがう私の夏。同じよう
にあなたの秋と少しちがう私の秋。あなたの幸せとすこしちがう私の幸せ。
09.8.5 ら せ ん 階 段
前号に書いたように音階はドレミファと昇ってゆくとまたドに戻る。最初のドと全く
同じではないけれど同じ響きの音なのです。これはちょうど螺旋階段をひと回り登って
同じ位置の高い所に来たようなものです。年月もこれと同じ構造をしており、去年の8
月6日からひと回りして今年の8月6日になります。年月の螺旋階段のずっと下の方に
は悲惨な8月6日があります。ずっと上のほうにはどんな8月6日があるのでしょう。
美しい自然と愚かな人間をのせて地球は回りつづけます。
09.7.1 オクターブの不思議 紫色の不思議
ドレミファソラシドの次は初めのドより1オクターブ高いドです。振動数がちょうど
2倍になるからですが、でも不思議ですよね。その高いドから上のドレミファソラシドは
低いドレミファソラシドとちがう音なのに同じメロディーに感じられる。ちがうのに同じ。
不思議です。
色は光の一部でやはり振動です。目に見える光で振動数が一番少ないのが赤で、多いのが
紫です。だから振動数の順に色(光)を並べれば赤橙黄緑青藍紫と一直線に並びます。
ところが赤と紫は一番遠いのに、目はこの2つの色を近い色に感じます。それでこの一直線
の端と端をつなげて輪にすることができます。いわゆる色相環です。不思議ですよね。
09.6.3 スタンダード曲
ほとんどの音楽ジャンルにはそのジャンルのスタンダード曲というものがある。多くの
人に好まれ、演奏され、記憶されているいくつかの曲だ。自分の音楽の世界を広げようと
する時はやはりスタンダード曲から入ってゆくのが無駄がなく。後で役に立つ。
スタンダード曲はありきたりでいやだ、という人もいるが、それはスタンダード曲を弾け
るようになってからの話だろう。スタンダード曲にはそのジャンルのエッセンスが詰まっ
ている。ブルーグラス、ジャズ、ハワイアン、ボサノバ、カントリー、ブルース、ロック
からクラシックまで魅力的なスタンダード曲がたくさんある。まだ知らないスタンダード
曲がたくさんある。ああ、広大な音楽の世界!
09.5.7 えのぐばこ展
4/26の教室発表会の後10日間のゴールデンウィークでした。いつもなら千葉の春
フェスなどブルーグラスのイベントなどがあって音楽を中心に日が過ぎるのですが、今年
はあえて音楽の予定を入れず、絵描きになりました。それにはワケがあり今年の10月か
ら11月初めにかけて月曜絵画クラスが市民プラザで展覧会を行なうことになったのです。
ビレッジ教室の絵画科は26年間一度も展覧会をしていません。だからこれは画期的なこ
とです。展覧会は「えのぐばこ」というサークル名で行ないますが、もちろん私も出品する
ことになるわけで、古い絵ばかり出すわけにはゆかないので今から少しづつ準備してゆか
ないと、というわけです。この10日間の成果は水彩3枚、油彩3枚でした。
09.4.3 無料体験レッスン
無料体験レッスンはないのですかという問い合わせが時々ある。説明すると長くなるので「あ
りませんが見学はできます。」と答えている。新しい生徒さんを獲得するにはいい方法だろうが、
私がそれをしないのは月謝を払ってくださっている生徒さんに申し訳ないからだ。最初のレッスン
というのは特に大事で、音の合わせ方から、右手の形、左手の形、譜の読みとり方など盛りだくさん
で、1人の生徒さんに1時間かけてしまうこともある。そんな大事なレッスンを無料でやるわけには
ゆかない。それをしている教室ではおそらくそれはそんなに丁寧なレッスンではないと思う(例外は
あるかもしれない)。丁寧でないレッスンをするくらいなら見学してもらうほうがよい。そういう
わけで無料体験レッスンはおこなっていない。
09.3.3 う さ ぎ お い し
前号のつづきです。脳みその練習とは具体的にどういうことかというと、2つ(以上)の
ことを一緒に行なう練習です。3拍子の曲「ふるさと」を手で1拍づつ机を叩きながら歌ってみます。
はじめのうーさーぎーは、うとさとぎのところで手を叩けばよいので簡単です。しかし次の
おーーいしーはおーいーしーではないので、いが手の拍とずれます。おーおいしーと歌って、
いの前のおで手を叩くと一定の3拍子になります。メロディーには伸び縮みがあり一定ではありません。
それを正しく歌ったり弾いたりするためには脳みそのどこかで手が机を叩いていなくては(そういう
想像をしていなくては)なりません。それは伴奏のようなものです。音が出ていなくても伴奏は必要なのです。
09.2.2 楽 器 の 練 習
楽器の練習は手や指の練習だと思っている人が多い。それはまちがいではないが、それだ
けではなくて、脳みその練習です。練習している曲を口ずさめること、リズムのむずかしい
部分をちゃんと口ずさめること、これが脳みその練習です。これは楽器がない時でもできま
す。よほどの速弾きは手や指の筋肉や神経の訓練が必要でしょうが、ふつうはむしろ脳みそ
の練習の方が大切なように思います。同じように、絵を描く力も視力や手の力ではなく物を
どう見るか、どう感じとるか、という脳みその力です。音楽以上にそれが言えると思います。
口ずさむに相当することは、心に絵描くことだと思います。
09.1.5 A HAPPY NEW YEAR ことしもよろしく!
世界全体は決してHAPPYではない年明け。
HAPPYって何だろう? それは痛くないこと、苦しくないこと、飢えていないこと、凍
えていないこと、いじめられていないこと、無視されていないこと、そんな、ふつうの日本
人にとってあたりまえの(そうでもないか・・・)ことが幸せの答です。それ以上のものを
求めることは他の国の人の幸せを奪うことになります。幸せは心が創り出すもので、お金が
作り出すものではありません。世界中の子供が幸せになるために大きな知恵がほしい!