小文集’2018                                


2018.1.6    本年もよろしく♪
 人類は宗教と科学を作った。宗教は人類を幸せにもしたが不幸にもした。科学も同じ。コミュニケーションツールは遠い人を結びつけ、近い人を切り離した。世界の状況を見ると明けましておめでとう、という気にはなれない。それでも科学にはまだ魅力がある。物理学の理論では高速で動くものにとっては時間も空間も縮んで短くなる。私がもし光の速さで地球を飛び出すと時間の進みが遅くなり空間も短くなり、つまり一瞬で宇宙の果てに着いてしまう。簡単に言えば時間も空間も0に縮み、つまり無くなってしまう。ということは高速で動いている光にとってこの宇宙は無いのと同じ。

2018.2.1     初めと終わり
 世界中にはいったい何種類の食べ物があるのだろう。何万?いや何十万? でも消化管を通って最後に出てゆく姿は、多少の色や固さのちがいはあれお馴染みのあれだ。何十万種類のものが一つの姿になってしまう。人間は何十億人もいて色のちがいはあるが初めは0才の赤ん坊だ。5才で生まれてくる子はいない。しかし終わりは様々だ。早死に、事故死、病死、戦死、自殺、他殺、過労死、餅のつかえ、老衰、と実にたくさんの形がある。初めが同じで終わりがちがう。宇宙は一つの点から始まった。終わりも一つの姿だと思うがどんな姿になるのだろう?

2018.3.1     テ レ ビ
 テレビで見るのはニュース、NHKの朝ドラ(今回のは見てない)と大河ドラマ、民放の報道番組、美術番組、科学番組、サスペンス(科捜研の女、相棒、十津川警部など主に再放送だが少し飽きてきた)、映画(西部劇とSFものが主だが少し飽きてきた)。ふつうの歌番組は見ないがジャズ、クラシックは選んで見る。カントリーやブルーグラスは見たいのにやらない。ドラマや映画で俳優の名前が中々思い出せず、妻と競い合う。オリンピックは全部ではないが見た。「そだね〜」「う〜ん」の仲良し感がよかった。外国選手も取材しろ、と言いたい。

2018.4.2     水彩と油彩
 12月号に絵のことを書いた。富士山のスケッチをまだ続けると書いたが、この冬の特別な寒さに負けて室内での油彩に切りかえた。水彩は目に映る世界を1、2時間で描くが油彩は自分の中に隠れている世界を探して何年もかけて描く。一度発表した作品でも直したいところが出てきて加筆する。こんな絵を描きたいという漠然としたイメージはあるのだが、いざ描き始めると中々それに近づかない。でもそれは充実した楽しい時間だ。もっと絵を描く時間を増やしたいが今は中々むずかしい。

2018.5.7     絵について
 よい季節になった。今までの私の絵のリストを見ると1月から4月までは少なく、5月から急に増えている。ブルーグラスの演奏や楽器の指導、編曲も楽しいが、絵を描いている時により深い喜びを感じる。自分が描きたい絵の方向がやっとこのごろわかってきた。それは水彩よりも油絵で表現できる世界だと思う。高校生の時に親が買ってくれた絵具箱を今でも使っている。6/2〜3の個展にはそんな油絵を何枚か出します。

2018.6.4     自分の世界
 楽器の生徒さんには申し訳ないでけれど絵の話が続く。私は水彩は感じたままに描くが油彩は自分の世界を作るために描く。自分の形、自分の色、自分の質感、それらは若いころにはわからないが年をとってくるとすこしづつわかってくる。それは人に教えてはもらえない。自分で探すしかない。数年前にドブのフタを絵に描いた。私にはドブのフタは美しい。描くことで自分の世界が確かなものになり、それを人にも伝えられる。めざす絵はうまい絵でなく自分の絵だ。

2018.7.2     **として生きる
 多くの昔の人にとって自分とは与えられた役割あるいは置かれた立場そのものであった。例えば自分は火消しである、とか武士である、とか髪結いであるとか、そのことに誇りを持ち、それが自分であるとして生きた。その外側に出ることはたぶん考えなかった。多くの今の人は初めから外側にいて、とりあえず何かのフリをして生きている。昔の人のように何かになりきってしまうことはできない。例外は「親」だが子供が成長すれば役割は終わり、何かになりきれない自分にもどる。ネコはそんなことを考えずに「ネコ」として生きているようだ。

2018.8.4     林くんのこと(1)
 異常な暑さがつづくこの夏、オウムの実行犯13人の死刑が執行された。自供により無期懲役となり現在も服役中の林郁夫は、高校時代同じクラス同じ美術部の友人だった。親友というほどでないが友人であった。ひたすら真面目な性格の彼は宗教の探究からニセの宗教に吸い込まれてしまった。そして獄中で23年、どんな思いで毎日を過ごしてきただろうか。13人の処刑をどう受けとめただろうか。人生にはいくつもの小さな分岐点がある。私にも怖い分岐点がいくつかあったのかもしれない。

2018.9.3     林くんのこと(2)
 2ヶ月続いた猛暑もいくらかやわらぎ、店先からスイカが姿を消した。私の1日は短い。すぐ夜になり、すぐ朝になる。服役中しない限りの林くんの一日は恐ろしく長いにちがいない。狂うかボケるかしない限り深い後悔がつづく。後悔に苛まれる一日は長い。やっと夜が来て、明日は目覚めなければいいと思うだろう。しかし夢も彼を苛む。目覚めればきのうの続き。また長い一日が始まる。人の命を救いたいと医者になった彼がどこかで道をまちがえて大量殺人に手を貸してしまった。時間は元にもどらない。

2018.10.1    林くんのこと(3)
 異常な暑さ、異常な台風発生、豪雨、大地震と天変地異がつづいた。軍備にお金をかけている場合ではないだろうに。兵器や爆弾を作る人、売る人、買う人。そして過剰な経済活動で地球が痛み始めている。林くんが獄中から出版した手記「オウムと私」を読み返した。そういう世界をどうにかしたいと彼は思い仏教に答えを求めた。それにはまず自分が「解脱(げだつ)」することだと考えた。その修行方法を求めて阿含宗、密教に進みオウム真理教に出会ってしまった。「心」を大切にしたよい医師だったのに。

2018.11.5    母 永 眠
 10月下旬、松戸の母が93才で永眠した。この数年は施設で寝たきりとなり、楽しみもなくなった上に30年来の頭痛もあって、早く夫の待つあちらへ行きたいと言っていた。老衰と言っていい心停止でほとんど苦しまなかったと思われる。遺言により子や孫11名の極めて簡素な家族葬で見送った。その顔を見たときに悲しみとはちがう何かがこみ上げてきて涙があふれた。「父の待つ秋空へきょう母が逝く」

2018.12.3    永 眠 と 睡 眠
 母が亡くなって早くもひと月以上が経った。同居していなかったせいか喪失感と言うものはない。ただ自分の人生も残り少ないという実感が強まった。うまくいってあと10年、うまくゆかなければ・・・はて? 生きていることに慣れてしまうと死は予想外のアクシデントということになるが、実は生きていることの方が予想外のアクシデントではなかろうか。ある時突然、自分と世界が現われたのだから。その自分と世界にやっと慣れたきたら今度は突然すべてが消えるなんて。 でも実は私と世界は毎晩消えています。


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