うちの車たち・・・
小さいときからの車好き・・・幼稚園の出席シールも「自動車」でした。気がつくと40歳(はぁ〜)。
でもって!!、記憶をたよりに書いてみました。
スバル時代(スバル360 スバル1000)
トヨタの時代(トヨタマーク)
シトロエンの時代
ホンダの時代
シトロエンふたたび(GS pallas 2CV)
オペルの時代
はれて今・・ふたたびシトロエン
オヤジの車たち(おまけ)
スバル360(一番小さいのがボク)
いわずと知れた、富士重工社製の名車。フロントのトレーリングアームを支えていたのは「ひねり鋼鉄棒」でした。
フロントサスペンションは「ふわふわ」。当時のボクがバンパーに乗っかってもトランポリンのように・・・。RRレイアウトの車内はトランクの下に入り込むようなフットスペースがありました。混合油の独特な香り、マフラーの先からリズミカルにはき出される排気ガスは急加速ではリアウインドウ越しに渦を巻いて。 箱根の小涌園では入り口への急坂が上れず(家族4名乗車)、母と兄は歩いて、そして名車スバルはバックにて登りました(笑い)。東京に住んでいた家族でしたが、この車によって多くの旅を経験したね〜。国道17号では「ああ、気づかなかった」とダンプに幅寄せされ、歩道の縁石でタイヤがとれる(!)アクシデントも。リアヒンジのドアにリクライニングシート、当時はね〜、同じ車に出会うと「にっこり手を振る」 これ、「当たり前」。「インド人もびっくり(懐かし〜)」豊かになりかけた日本の風物詩でした。 そうそう、バックして急停止すると「車高があがった(・・・シトロエンではないが、こういうのはVWビートルでも)」 トレーリングアームのおみやげですね。
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スバル1000 deluxe
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スバル1000です。これは既に乗用車。スバルが世に問うたFFセダンでした。これはストラットのサスをもったFFセダン。うちのは4ドア。はじめて「自分のドア」を持った快感。ロックは自分でするんだよ〜、と教わりました。先進の水平対向4気筒はこの車から。このクルマは水冷でしたから、坂道での水温計の変化は気になるものだったようです。当時の自動車事情ではどこの山道、渋滞にいっても必ず数台は路肩でボンネットを開け、家族はその近くの歩道にたたずむ・・・そんな風景がありました。スバル360の頃はそんなのを横目にトラブルなしで坂道を上ったものでした。しかし、スバル1000になってからオーバーヒートの経験もありました。やかんやじょうろ、果ては洗面器などで民家からお水を借りる姿・・・よく見ましたね。今みたいに加圧されるラジエターではなく、クーラントも無かったような気がしますね。
さて、当時はステキなクルマがたくさんありました。トヨタパブリカ、日野コンテッサ、マツダファミリア、いすゞフローリアン、日産サニー、トヨタカローラ、いずれ劣らずデザインはスタイリッシュだった印象が。当時は「ケロヨン」が「トライアンフTR-4」かなにかに乗っかっており、「コメットさん(九重ユミコさんの)」が女中で入ったお家(確か、伊丹十三さんだったのではなかったか?)のマイカーはAlfa
Romeo 1650 だったと・・。パブリカ、ホンダの「エスロク」、トヨタの「ヨタ8」などの小さいオープンはかっこよかったなあ・・。でも、当時個人的には「日野コンテッサ(ピニンファリナ?)」が好きだった。あのリアビューがかっこよかった。 トップ↑
トヨタマーク(九州のナンバーなのに阿寒湖まで35km・・)
トヨタマーク・・これはスバル1000で九州に転勤となった「ちちいそ(おおいその父)」が2ドアにチャレンジした最初で最後(スバル360は除く)のハードトップ車でした。この車から「クーラー」というものが車内を冷やし、夏の渋滞はオーバーヒートの恐怖、燃費の問題か?ちちいその怠慢か?高速でのガス欠、ラジエターホースの破裂、マフラー脱落による暴走族化(上り坂で顕著。こわかった〜)。といろいろありました。印象の少ないクルマだったんです。すれ違いざまに「手を振る」などもなくなっていたし。黒いビニールレザーのシートは夏の暑い車内では 張り付くように熱く(小学生だから半ズボン)、冬はスキー一家としてはスキー場に行かないわけには行かず、チェーンまいても大スピン(死なずに済んだが)。これまでのFFから一気にパワフルFRですから、ダメですな。しかし、このクルマが一番乗り込みました。170000km。壊れたわけではなく、下取りされていきました。
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citroen GS
club
シトロエンの時代です。マークの最後を迎えるとき、
ボクの密かな作戦が展開していたのです・・・。