東海道筋南部 脇町
とうかいどうすじなんぶわきちょう
東海道筋の南側の海沿いにあった町を「脇町」といいます。
これらの町には魚商 、廻船業、漁業関係者が多く住みました。
昭和の時代まで続きましたが、
早川に小田原漁港ができるとそちらに移動してしまいました。
10.古新宿町(こしんしくちょう) |
この町は、もと新宿町と呼ばれていたが、江戸時代前期、 東海道が町の北寄りにつけかえられたとき、 新たな東海道沿いに町ができこれを新宿町としたためこの町を古新宿と改めた。 千度小路と共に漁業の中心地であった。 |
11.千度小路(せんどこうじ) |
小田原北条氏時代、この町は漁村であったため、船方村と呼ばれたと言われている。 江戸時代においても城下の漁業、廻船業、魚商の拠点であった。 なお、明治以降昭和四十三年までここに魚市場があった。 |
12.代官町(だいかんちょう) |
小田原北条氏時代には代官小路と呼ばれていた。 江戸時代、町内には魚座(魚商人の同業組合)商人が多く、魚座名主も住んでいた。 |
13.茶畑町(ちゃばたけちょう) |
江戸時代前期の文書に初めて町名が見られるが、その由来は明らかではない。 町内には郷宿(ごうやど−藩役所などへ出向く村人が泊まる宿屋)があり、 海に近いこともあって、漁業・廻船業者なども住んでいた。 |