板橋見附


現在の国道1号線右に曲がると旧東海道です
板橋見付は戦国時代には無く、江戸時代になってから造られました。
東海道の西の出入り口の為、上方見附とも言われました。
画像は現在の国道1号線ですが、右に曲がると旧東海道になります。


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場所は小田原駅から西に向かって歩いて20分程度の距離です。

板橋口跡
江戸時代の地図、文久図を参考に板橋口矢来門があった場所を撮影しました。
門の両脇は石垣積みの土塁と土塁上の木柵で厳重に守りを固めてたようです。
小田原用水を堀としているようですね。

画像右赤い屋根の鐘楼のあるところに土塁があったようです
画像右は江戸時代の地図にも描かれる光円寺というお寺さんですが、
丁度赤い屋根の鐘楼のあるところに土塁があったようです。

喰違の構造が残されています
新幹線のガード下で左に折れ曲がっています。
喰違の構造が見事に残されています。

旧東海道の古い街並み
新幹線のガードをくぐると旧東海道の古い街並みが顔を見せてくれました。
この板橋地区は他に古稀庵や山月など、
政治家をはじめ明治、大正の著名人の邸園がたくさん造られました。

小田原用水
こちらは日本で初めての水道、小田原用水です。
戦国時代、北條氏によって早川から小田原城下へ水が取り入れられました。
現在ではその殆どが暗渠に隠れてしまいましたが、
板橋地区では民家の脇道で見る事ができます。

小田原用水の取水口
画像は現在の小田原用水の取水口です。
左手の山は石垣山一夜城です。

板橋の地名はこの小田原用水に板の橋がかかっていた所であることに由来するようです。
お城と邸園、小田原用水と旧東海道の古い街並みを眺めながら、
板橋地区を散策するのも面白いですよ。


引用・参考文献

小笠原清ほか小田原市編さん委員会 1995 小田原市史 別編 城郭 小田原市
史跡板橋見附説明板
史跡小田原用水説明板


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