松永記念館
まつながきねんかん

この特徴のある土塀に囲まれた敷地には松永記念館あります
この特徴のある土塀に囲まれた敷地には松永記念館あります。
松永記念館は小田原市郷土文化館分館として無料で公開されており、
現在の9電力体制を作り日本の電力事業に貢献した電力王、
電力の鬼とも呼ばれる松永安左ヱ門の邸宅です。

号を耳庵(じあん)と称し茶の湯の世界では最後の数寄茶人として有名な方です。
昭和21年にこの地に移り住み本邸として晩年をここで過しました。

耳庵の号は論語の六十而耳順(60にして耳に従い)から取ったものですが、
当初は60を期に茶室の名前で使いましたが、この名前を気に入り自らの号にしました。


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場所は箱根板橋駅より北に歩いて10分程度の距離です。
小田原駅から箱根方面行きバス、『上板橋』停留所から歩いて6分。
駐車場も完備しております。

松永記念館の地図です
この画像は配布資料『松永記念館 庭園散策のしおり』より私が加筆、着色したものです。
大きく上段中段下段と分かれており、
中段は松永耳庵の居宅老欅荘エリア、下段は財団法人時代の美術館のエリアです。

建物は本館と別館、収蔵庫、茶室の老欅荘、葉雨庵、烏薬亭の6棟。
お庭には大きな池と数多くの石造物があります。

各見所に番号を振りました。
まずは美術館のエリアから順番に説明します。

松永記念館・本館
①松永記念館・本館
松永耳庵が収集した古美術品を広く一般の方々に親しんでもらおうと、
昭和34年に財団法人松永記念館を設立して自宅内にこの本館は建てられました。
松永耳庵が昭和46年に亡くなった後、昭和54年に財団は解散します。
建物と敷地は小田原市に寄贈され昭和55年に小田原市郷土文化館分館として開館しました。

松永記念館・本館
1階展示室は郷土文化館所蔵の古美術品を中心とした企画展示がされており、
毎年秋には特別展が開催されています。

2階は茶会や集会など一般の方々が利用できる和室となります。
原三渓から送られた宇治平等院山門の古材が使われるなど、
築造された当時のままの状態で残されております。

収蔵庫
②収蔵庫
財団設立時の収蔵庫になります。
内部を見学することはできません。

松永記念館・別館
③松永記念館・別館
展示部門の拡充の為に平成4年に造られました。
1階には耳庵ゆかりの品々の展示、
2階には晩年を小田原の板橋で過ごした作家、
中河与一のゆかりの品々が展示されています。

播磨国分寺塔心礎
④播磨国分寺塔心礎
現在の兵庫県姫路市、播磨国分寺の塔心礎です。
奈良時代のものと言われています。

不退寺礎石
⑤不退寺礎石
現在の奈良県、大和の国真言宗不退寺の礎石です。
奈良時代のものと言われています。

石製炉
⑥石製炉
益田孝(鈍翁)ゆかりの石製炉です。
益田邸掃雲台の蝸殻庵の炉と言われています。


お庭の周り
資料館周辺は以上です。
次にお庭の周りを説明します。

長岳寺五重塔
⑦長岳寺五重塔
現在の奈良県天理市、高野山真言宗の長岳寺五重塔です。
平安時代のもので関東で最古の五重塔と言われてます。

長岳寺石橋
⑧長岳寺石橋
こちらも長岳寺のもので平安時代のものと言われています。

織部型灯篭
⑨織部型灯篭
詳しくはわかりませんがキリシタン燈篭とも言われているそうです。
奥に見えるのはポンプ室です。地下水をくみ上げ水を池に注いでいます。
かつては近くに流れる板橋分水路からの荻窪用水の水も池に注いでいました。

6月には菖蒲が咲き誇ります
6月には菖蒲が咲き誇ります。
この庭造りはその場においての光景が一つの絵になるように工夫がされています。

堂ヶ島から雲見を眺める景色を再現したものだそうです
石橋を渡って別の角度から長岳寺五重塔を眺みます。
この眺めは耳庵の夏の別荘のある堂ヶ島から雲見を眺める景色を再現したものだそうです。

久野川の石
⑩久野川の石
小田原市内を流れる久野川上流の石です。
自然石を庭に取り入れていますが、
耳庵さんは庭造りに関しては自然体が良いと言っており、
茶人故に若干控えめが良いと言っていたようです。

燈籠
⑪燈篭
久野川の石の近くの燈篭ですがこれには資料がありません。

池畔亭露地行燈
⑫池畔亭露地行燈
昭和30年代中頃、この地にあった茶室『池畔亭』にあった露地行燈です。
池畔亭は1回か2回茶会をした後燃えてしまった幻の茶室です。

自怡荘正門
⑬自怡荘正門
日経新聞や三越を経営した野崎広太(幻庵)亭『自怡荘(じいそう)』の正門です。
小田原市南町にあったものを昭和61年に茶室『葉雨庵』と共に移築しました。
恐らく当時は茅葺屋根だっただろうと言われています。

東大寺石造蓮池
⑭東大寺石造蓮池
奈良県華厳宗東大寺のものです。
石棺ではないかと言われています。

葉雨庵
⑮葉雨庵(よううあん)
野崎広太(幻庵)亭『自怡荘』の茶室『葉雨庵』です。
大正13年に建てられたものですが、茶室として会合などに利用する事もできます。
松永記念館では老欅荘と並んで国登録有形文化財です。

柿葺の屋根は換えたばかりのものですが、サワラを何層にも重ねた屋根です。
苔の付き具合で見頃を迎える屋根とのことですが、
10年に1回は交換が必要な維持管理を前提とした贅沢な屋根です。

烏薬亭
⑯烏薬亭(うやくてい)
葉雨庵の利便を図るために設けられた施設で、湯沸し室やトイレがあります。
建物の近くにある小田原では珍しい樹木『天台烏薬』にちなんで名付けられました。

踏み石
⑰踏み石

益田孝(鈍翁)ゆかりのもので掃雲台の本館の沓脱ぎ石です。

羅漢像
⑱羅漢像

老欅荘に登る階段の脇にありました。

美術館エリアは以上です。
以下は耳庵邸『老欅荘』エリアになります。

欅と巨石
①欅と巨石
老欅荘の名称は登り口にそびえる欅の老木に由来します。
この欅は樹齢400~500年はあろうと言われています。
欅の前の巨石は富山県の黒部ダムで有名な黒部川上流の自然石で、
重さ10トンはあると言われています。

老欅荘正門
②老欅荘正門
こちらが老欅荘の正門です。現在の松永記念館の正門は美術館の正門になります。
耳庵さんは大きな欅の老木と大きな石で、
お客様をお迎えしたいという気持ちがあったようです。
正門を通った時点で茶人としてのおもてなしが始まっているのです。

下り龍
③下り龍
登り口の脇には益田孝(鈍翁)ゆかりの下り龍という石塔があります。
益田邸掃雲台の不動滝にあったものです。

登り口
④登り口
登り口を登ろうと屋敷を見上げると土塀が目に入ります。
この土塀の高さは外からは屋敷が覗けないように、
又、屋敷の中からは外の眺めを邪魔しないように計算されています。

石積みの脇には水路があります
この登り口は左にカーブがかかり直接玄関が見えないようになっています。
階段を登るに連れ幅が狭くなり最終段で丁度半分となる遠近法が取り入れられています。
又、左の石積みの脇には水路が施されており、
お客様を迎え入れる時は水を流し水の音を楽しませたとのことです。

土塀と露地門
⑤土塀と露地門
登り口を登ったところに土塀がありますが、決して高くありません。
又、土塀が傾いていますが、これは当初からわざと傾けさせているとのことです。
露地門は昭和30年代に益田孝(鈍翁)別邸掃雲台より移築したもので、
瓦は通称十能瓦と言われる珍しい形をした瓦です。

老欅荘
⑥老欅荘(ろうきょそう)
松永耳庵が晩年を過ごした邸宅です。
松永記念館では『葉雨庵』と並んで国登録有形文化財になります。
茶人の居宅として数奇屋建築の意匠が各所で見られます。
昭和21年の12月に埼玉県柳瀬(現在の所沢市)より移り住むために建てられました。

松永耳庵自らデザインした窓
この窓は松永耳庵自らデザインした窓です。
茶人だけに茶釜の形を思い浮かべますが、
耳庵さん曰く平安時代をイメージしたと答えているようです。
実際に平安時代の何をイメージしたかは耳庵さんしか解りません。

老欅荘の案内図
老欅荘の案内図です。
この案内図の全体の屋敷を老欅荘と呼びます。

老欅荘は松下亭(しょうかてい)として15坪ほどの小さな屋敷として始まりました。
松下亭の名前の由来は大きな松の枝の下に建てたれたことからとなります。
右下のピンクのエリアから造られ増築を重ね現在の形になりました。
その後左上の鶯色のエリアの茶室を松下亭と呼ぶようになりました。

松下亭
この画像ではわかりにくいですが、画像奥の躙口のあるお部屋が現在の松下亭です。
非常にまぎわらしいのですが、建物は初め松下亭として造られ、
その後増築を重ね建物全体を老欅荘と呼ぶようになり、
松下亭の名前は移動し、この画像奥の茶室を松下亭と呼ぶようになりました。

7種類の畳が使用されています
この部屋は10畳の書院造の客間ですが、7種類の畳が使用されています。
まるでパズルのように位置を間違えると畳が入らない構造になります。
畳一つにも耳庵さんの遊び心が伺えます。
又、耳庵さんはこの客間を好み、寝室として使ったようです。

客間の床間は非常に大きく、『自分が死んだら床間に遺体を安置してくれ』という、
耳庵の遺言によって耳庵さんの体型に合わせて造られましたが、
実際に亡くなった後床間に安置される事はありませんでした。

三重塔
⑦三重塔
この三重塔は益田孝(鈍翁)ゆかりのもので掃雲台の本館にありました。
当時は客間からこの三重塔越しに相模湾を眺めるのを耳庵さんは好んだとのことです。

九重塔
⑧九重塔
こちらも益田孝(鈍翁)ゆかりの九重塔です。
益田邸掃雲台の春雨庵にあったものです。

黄梅庵の跡地
⑨黄梅庵(おうばいあん)跡地
老欅荘の前の空地は黄梅庵の跡地です。
昭和23年、茶室が出来たとき梅の実が黄色く熟した為に黄梅庵と名付けられました。
堺の大茶人今井宗久ゆかりの茶室と言われておりましたが、
現在は大阪府堺市の堺市博物館に移築されています。

以上で老欅荘の説明は終了とします。

松永耳庵の贅沢なお庭と設えを感じてみてください
松永記念館の施設は茶会をはじめ、短歌や俳句の会など様々な会合に利用できます。

是非、松永記念館まで足をお運びください。
最後の数寄茶人、松永耳庵の贅沢なお庭と茶室を感じてみてください。

お問い合わせは松永記念館まで 0465-22-3635
休み 年末年始(12月28日~1月3日)
開館時間 9:00~17:00 (施設利用は16:00まで)
観覧料 無料


引用・参考文献

平井太郎 2011 小田原まちあるき指南帖4庭園めぐりの巻 小田原まちづくり応援団
松永記念館配布資料及び学芸員浜田和政さんの解説


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