三の丸外郭新堀土塁
さんのまるがいかくしんぼりどるい


三の丸外郭新堀土塁説明板
三の丸外郭新堀土塁と名付けられた公園は、
研修施設の跡地を小田原市が取得し、
平成24年3月24日より一般公開した新しい歴史展望公園です。


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最寄は小田原駅の南西に徒歩15分
箱根登山鉄道箱根板橋駅より徒歩10分程度になります。
駐車場がありませんので小峯御鐘ノ台大掘切方面、
若しくは小田原女子短期大学方面より徒歩でお寄りください。

三の丸外郭新堀土塁見取り図
画像は三の丸外郭新堀土塁の見取り図になります。
遺構として解り易い物として土塁があります。

新堀とは天正15(1587)年の古文書にはじめてその名の記載があり、
小峯御鐘ノ台大掘切東堀の延長線上に位置します。
後に小田原城大外郭(総構そうがまえ)に取り込まれ、
箱根方面から相模湾にかけての防衛として重要な位置になります。

小峰御鐘ノ台大堀切東堀
小峯御金ノ台大堀切東堀

小田原城の三ノ丸外郭として南西部の天神山に築かれ、
成立したのは北条3代目氏康の時、
上杉謙信や武田信玄の相次ぐ名立たる戦国武将の来攻から、
小田原城のさらなる強化の為に築かれたと言われます。

小田原城総構地形図
箱根外輪山より延びる丘陵地は御鐘ノ台にて3条に分岐し、
中心に位置する八幡山を囲うように山ノ神、天神山の2本の尾根が北と南に延びます。

一説にもよると小田原城の起源は鎌倉時代まで遡るとも言われますが、
大森氏あるいは小田原北条氏は2つの尾根に囲まれた中心部の八幡山を選び、
小田原城の普請を継続拡大していったのでしょう。

三の丸外郭新堀土塁入口
では、小田原女子短期大学方面から巡ってみたいと思います。
入口から入場するとゆるい傾斜地が現れました。

三の丸外郭新堀土塁
傾斜面を登り切ると土塁1が現れました。
画像右奥の土塁はかなりの規模の大きさです。
その土塁から小規模の盛り上がりが画像左手前まで続きます。
おそらく土塁の痕跡でしょう。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

三の丸外郭新堀土塁
別の角度から土塁1を撮影しました。
断片的に残された土塁ですが、かなりの大きさです。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

堀と土塁の成り立ち
堀と土塁の成り立ちの仕組みをアニメーション化しました。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

三の丸外郭新堀土塁
さらに進むともう一段高い敷地が目に入りました。
順路に従い登ってみます。

三の丸外郭新堀土塁
登り切ったところで振り向くと土塁の向かいには大きな窪みがありました。
これは遺構ではなく建物の地下室の跡です。

明治期では天神山のほぼ全域、この公園から城内高校までの広大な敷地に、
陸軍元帥閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう)の別邸が構えられました。
終戦後昭和37(1962)年からはMRAアジアセンターとして利用されました。

三の丸外郭新堀土塁
土塁2と説明板の越しに石垣山一夜城と細川忠興陣場を一望できます。

素晴らしい眺めです!!
素晴らしい眺めです!!
この地の防衛を任された武将は相模湾の海防と早川箱根方面の敵の動きを一目で監視できでしょう。
本城の八幡山丘陵地とほぼ同じ標高で城内の三ノ丸の丘陵地になりますので、
小田原北条氏の身分の高い武将が着陣したことでしょう。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

相模湾を眺めます
相模湾を望みす。

山7分海3分の地が病気療養に良いとして三井物産創始者の益田孝は、
小田原に掃雲台という巨大な別邸を構えますが、
眼下の板橋にかけて風光明美な天神山丘陵地には、
明治大正の大物政治家をはじめ軍人や実業家等の保養地が展開しました。

先に紹介した閑院宮載仁親王、元老山縣有朋、大成建設の大倉喜八郎、海軍大将の瓜生外吉、
清閑亭の黒田長成、坂の上の雲の主人公秋山真之が亡くなった、
山下汽船の山下亀三郎邸の対潮閣などが主なところです。
又、この時代小田原城の本丸二ノ丸、現在の城址公園の範囲は御用邸として利用されました。


三の丸外郭新堀土塁
高地部の土塁を観察しました。
規模ながら土塁が続きます。

三の丸外郭新堀土塁
さらに一段上に上ります。
最上段には庭園の跡らしき庭石がありますね。

三の丸外郭新堀土塁
最上段にも土塁が展開し展望台となっています。

土塁上の展望台から低地部を観察しました
土塁上の展望台から低地部を観察しました。
土塁がライン状に形成されているのがわかりますね。
※マウスカーソルを画像に当ててみてください

小峰御鐘ノ台大堀切東堀
三の丸外郭新堀土塁としての見どころは以上です。
公園を出て市道を渡ると新堀は小峯御鐘ノ台大掘切東堀へと続きます。

三の丸外郭新堀土塁
三の丸外郭新堀土塁の眺めは素晴らしいの一言に尽きます。
この公園には小田原城総構のガイダンス施設の建設が予定されていました。
諸事情から実現しませんでしたが、駐車場や休憩所を兼ねたガイダンス施設が実現すれば、
小田原城総構の回遊性向上につながり期待のかかるところです。
小田原のまちづくりの一環としてもガイダンス施設建築へ向けて応援しましょう!!


開放時間は年末年始を除く10時〜15時頃まで。
お問合わせは小田原市文化部文化財課0465-33-1718まで。


引用・参考文献
三の丸外郭新堀土塁説明板
小田原市教育委員会 1975 史跡小田原城址保存管理計画策定報告書
小田原市教育委員会 2010 史跡小田原城跡八幡山古郭・総構保存管理計画策定報告書
財団法人MRAハウス 2002 アジアセンターODAWARA40周年記念― 戦後の日本とMRAの軌跡 ―
平井太郎 2011 小田原まちあるき指南帖4庭園めぐりの巻 小田原まちづくり応援団
小田原市立図書館 1990 一枚の古い写真


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