滄浪閣土塁
そうろうかくどるい



滄浪閣跡
御幸の浜の近くの路地を西に歩くと滄浪閣と刻まれた石がありました。
滄浪閣は初代内閣総理大臣伊藤博文の別邸です。
起草委員に選ばれた穂積陳重、富井雅章、梅謙次郎の3名の法学博士らによって、
民法が練られたことから民法発祥の地とされています。


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小田原駅より海岸へ向かい15分程度の距離になります。

滄浪閣跡地の伊藤博文像
画像は滄浪閣跡地の伊藤博文の胸像です。

滄浪閣はその後大磯に移転し建物は伊藤の側近金子賢太郎に引き継がれます。
「養生館」と名前を変えリゾート旅館として運営されましたが、
明治35(1902)年、台風による高潮、小田原大海嘯によって大破します。
現在は民家の敷地になりますがご主人のご厚意により伊藤像の見学は自由です。

滄浪閣土塁
伊藤博文像は小田原城総構の土塁の上に建っています。
土塁上には伊藤が好んだ椿が植えられており、土塁を垣根として転用したと見られます。
約20mほど土塁が続いており海岸で見られるもので最も保存状態が良い遺構です。

土塁の断面の実測調査
独自に土塁の断面の実測調査を実施しました。
グラフは比較的保存状態が良い国指定史跡である連上院土塁との比較です。
赤の実線が滄浪閣、青が連上院です。
※地主の方のご協力の元調査をしております。

ほぼ同じ規模、あるいは滄浪閣の方が残土が多いことがわかります。
方や国指定史跡、方や未だ史跡未指定です。
滄浪閣土塁は城外側、海岸に向かって残土が流れるような緩い傾斜が見られます。
断定はできませんが、小田原大海嘯の影響が考えられます。
またこれだけ多くの土を使用していることから、
滄浪閣の垣根は土塁を転用したものであると考えて良いでしょう。

滄浪閣土塁の断面
この画像は現況で土塁の断面がわかるところです。
車庫入口によって土塁が断ち切られていますが、
その向かいにも土止めと見られるほぼ同じ断面の石積みが施されています。
おそらく画像手前側にも土塁が続いていたのでしょう。

滄浪閣土塁を残しましょう
滄浪閣土塁は海岸では貴重な遺構であるにも関わらず、
現在史跡指定を受けておりません。
また諸事情からこの土塁の存続が危うい状況となっております。
遺構は一度壊してしまうと再現できません。
この土塁を残すには国の史跡指定を受けることが唯一残された道筋ではないかと考えられます。


引用・参考文献

小笠原清 田代道彌ほか小田原市史編さん委員会 1995 『小田原市史 別編 城郭』 小田原市
小田原市史編さん委員会 2001 『小田原市史 通史編 近現代』 小田原市
平井太郎 2011 小田原まちあるき指南帖4庭園めぐりの巻 小田原まちづくり応援団


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