平成輔の墓
たいらのなりすけのはか



平成輔の墓
小田原城総構の早川口近くには平成輔のお墓があります。
中央の祠は高さ1.5mで江戸時代に造られた物で左右には2基の灯篭があります。
樹齢500年の古松がありましたが近年枯れてしまいました。


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場所は小田原駅より西南に歩いて25分程度の距離になります。

平成輔の墓説明板
以下は説明板より
平成輔は鎌倉時代の京都の公家で本名は平氏ですが、
屋敷が京都の烏丸通りにあったことから烏丸成輔と称しました。
又、官位が正三位参議で唐の呼び方から平宰相成輔とも呼ばれました。

平成輔の墓
後醍醐天皇の鎌倉幕府の倒幕に加担しますが、
計画が漏れた為に捕らえられ鎌倉に送られる途中のこの地で斬られました。
遺骸は当時建ったばかりの潮音寺に葬られましたが、
明治41年に法身寺に合併され墓所も法身寺の所有となりました。


引用・参考文献

立木望隆 1976 小田原史跡めぐり 小田原文庫
小田原市教育委員会 2001 小田原の文化財
史跡平成輔の墓説明板


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