1. 渡島駒ヶ岳 ( 1998・09・17〜19 )

 山の会「ホイッスル」の仲間の功刀さんから、「渡島駒駒ヶ岳」へ行きませんか? とのお誘いを受けた。

 功刀さんは、毎年のようにこの麓のゴルフ場へ来ていて、気になっていた山だったそうだ。話は直ぐにまとまり、同じ山の会の山田さんを誘って、妻との4人での山行となった。

 羽田から空路で函館に向かったが、台風の通った後で天気は良く、途中眼下に褐色に染まった「早池峰山」一帯がが眺められた。
ここも、行きたい山の1つでワクワクした。

 一日目は、時間の都合で「恵山」に登ることにした。
  函館空港から恵山の六合目の駐車場までタクシーで入った。途中下北半島や津軽半島などがよく見えたが、大雨があった直後のため、波打ち際は海の色が変わっていた。
 ドライバーが、途中眺めの良いところでタクシーを停めてくれた。海岸に「バフンウニ」が打ち上げられていたのを拾い、味わった人がいた。

 駐車場発
11時10分。六合日から山頂にかけては、ガンコウランとエゾイソツツジの大群落で、他の植物は全くないといってもよいくらいだった。このような光景を、私は初めて見た。ガンコウランには黒い実が沢山ついていたし、エゾイソツツジは、蕾をたくさんつけていて、来年の花の準備をしていた。このような貴重な所は、大事にしたいものだ。でも、最近は車で簡単に来られるので、盗掘が多いらしい。

 登りは、噴火口からは噴煙がモウモウと上がり、異様な奇岩がそそり立つ様は、あまり気持ちのよいものではなかった。雨上がりの荒れた登山道を、1時間30分で山頂に立った。

 山頂はなだらかで、溶岩の問をガンコウランが埋め尽くし、まさに天上の庭園のよだ。山頂には「恵山大権現」の社があったので早速お参りし、登山の安全を祈った。

 山頂着が12時45分。折角登ってきたのだからと、昼食を後回しにして早速430MHzでCQを出したがしばらく反応がない。平日ではダメかなと思っていたところ、函館市、室蘭市、白老郡白老町から相次いで呼ばれ、カード交換を約束した。

 下山は13時23分。登ってきた道の途中から、椴法華村(とどほっけむら)へのコースをとった。下りきった所に立派な国民宿舎があり、予約しておいたタクシーが待っていてくれた。行きがけに運転手が、下ったところに「水無海水温泉」があると教えてくれたので、そこで汗を流そうかと話していたのだが、行ってみたら台風の余波で、とても入れる状況ではなかった。昆布が流れ着いていたので、それを引き上げたりして少し遊んだ。帰りのタクシーの中から、珍しいお祭りの行列や石川啄木の歌碑を眺めた。

 16時45分にホテルに帰り、一旦休んでから、夜景を見るために「函館山」へ向かった。天気は下り坂だったが、風が出てきて雲を追い払ってくれたため、宝石をちりばめたような素晴らしい函館の街を眺めることが出来た。 この時期、イカ釣り船が出漁していて、いさり火があちらこちらに見えた。

 夜景も早々に、1ポイント稼ぐためにCQを出したら、函館市と青森市の2局から呼ばれ交信が成立した。これでまた1ポイント追加でき、強風の中で頑張った甲斐があったと気を良くした。
 函館山の夜景を見終わった直後から、雨になってしまった。

           
 
 18日朝、目覚めとともに外を眺めたら、小降りにはなってきてはいたが、まだ雨は降っていた。

 
8時にホテルを出て、JR函館駅から特急列車で「森駅」へ向かう。雨は小止みになってきた。大沼を過ぎるころから「渡島駒ヶ岳」が見えてきたが、山頂部分はまだ雲の中に隠れてしまっていた。

 森駅の売店で、名物の「いか飯弁当」を仕入れ、タクシーで駒ヶ岳の六合目まで入った。別荘地を過ぎたあたりから、カラマツの間の溶岩の上に白いものがたくさん見えていた。何だろうと目を凝らすと、それはシラタマノキの実だった。それが、六合目の駐車場まで延々と続く。まだ、上の方まであるようだ。群落というより、一面シラタマノキと言った方が適切のようだ。丈は低いが、大きい実をピッシリとつけていた。
 昨日の「恵山」のガンコウランやエゾイソツツジといい、駒ヶ岳のシラタマノキといい、そのスケールの大きさは、やはり「北海道」という感を深くした。

 駐車場を10時に出発。大沼の辺りは、時折雲が切れて日が射すのが見られるかと思うと、またすぐガスに覆われてしまう。駒ヶ岳は相変わらずガスの中。時折ガスの切れ間から、馬の背辺りが望める程度だった。雨に降られないだけで最高!と、ゴロつく雨上がりの登山道を歩いた。

 11時05分に馬の背に到着。ガスで遠くは見えない。剣が峰や砂原岳、火口も何も見えない中で記念撮影をした。
 折角ここまで来たのだからとロープを超えて先に進む。不気味な地割れが続いたが、火口や辺りが全く見えないのが幸いした。剣が峰の先鋒だけが、時折ガスの切れ目から見えた。

 傾斜は急になり、もろい地面はズルズルと滑る。なおも先に進んだ人もいたが、もう限界と下ってきた。剣が峰は人を近づけない石の山。剣が峰の直下まで登ったことになる。印象的だったことは、大石のもの凄さと、その上に生えたコケがとても綺麗だったこと。いずれにしても剣が峰は、人が簡単に登れる山ではないということが分かった。

 12時10分、少し下って湾曲した風の弱い所で「いか飯弁当」の昼食。急いで食べて 145MHzでCQを出す。早速函館市と白老郡白老町の3局から声がかかった。3局交信出来たのでこれでよいと思ったが、まだ待ってもらっている局があると申し分けないと思って確認をしたら、また数局から呼ばれてしまった。下山の都合があるのであと1局だけと断って、青森の局と交信して終了する。 12時53分から下山にかかった。

 馬の背を経由して、銚子口分岐が13時39分。この辺りからまたシラタマノキの群落が始まる。こちらのルートは利用者が少ないのか、少々荒れていた。はるか彼方に大沼。その手前に赤い「駒ヶ岳神社」の社が見えた。

 藤田観光が開発した別荘地でヤマブドウの実を見つけた。房を取って味見をしたら美味しい。ブドウを食べながら、ただひたすらに足を前に運ぶ。ここを抜けるのにうんざり。やぶ蚊に悩まされながら、やっと大沼湖畔に辿り着いたものの、ここからさらに1時間余の舗装道路歩きが待っていた。慰めは、辺りの紅葉が素晴らしかったことだった。

 17時に、大沼公園の鮨屋にようやく到着。乾いた喉をビールで潤し、地元のネタで作った美味しい鮨でお腹を満たした。それにしても、今日はよく歩いた。そして雨にも降られず、念願の「渡島駒ヶ岳」に登ることができて、大満足の一日だった。

 18時33分、大沼公園駅から列車に乗り、国際ホテルに着いたのが19時を過ぎていた。早速、駒ヶ岳ファンクラブ会員で函館在住の山下さんに電話をし、ホテルまでわざわざ来てもらって再会を喜びあった。依頼されていた「赤城山」の資料を手渡して、近況を交換した。

 山下さんが帰られてから、連れの
3人と揃ってホテル近くの函館地ビールの店「明治屋」に入り、美味しい”函館ビール”を飲んで一日を締めくくった。

 私達が登った一週間後に、「駒ヶ岳」はまた噴火をし、登山禁止になってしまった。ファンクラブの仲間が一週間後に行ったが、残念ながら登山出来なかったという。 私達はなんとラッキーだったと思うと同時に、火山の恐ろしさを改めて認識した。


  ( 1999・02・17発行「駒ヶ岳ファンクラブ通信」NO.40 に掲載されたものを加筆・編集 )


4. 秋田駒ヶ岳 の花々を訪ねて ( 0993・08・04〜07 )


 
7月下旬の「会津駒ヶ岳」から帰ったばかりなのに、8月上旬には妻と二人で「秋田駒ヶ岳」の花々を訪ねた。

 8月4日早朝、車で自宅を出る。首都高〜東北自動車道は、意外とすいていたので順調に走った。予定した時間より早かったので、平泉ICでいったん降りて「厳美渓」、「毛越寺」、「中尊寺」を見た。さらに田沢湖に寄ってから、午後4時ごろ田沢湖高原の民宿「みどり荘」に入った。

 この時期、秋田市で「竿頭まつり」が行われているため、宿泊客が田沢湖高原まで流れ込み、どこの宿も満員で、ようやく取れた民宿であった。

「秋田駒」は晴れ上がり、山頂までが良く見えた。今年は天候が悪く梅雨以来山は全く顔を見せなかったという。ようやく昨日から晴れ上がり、登山には今日が最高の天気だったとのことだった。

 翌5日は、早朝のバスが無いため、民宿の主人に無理を言い、駒ヶ岳の八合日まで車で送ってもらった。八合日は、早朝の空気に包まれ、すがすがしい。湯森山の稜線を超えて、真っ白い雲が流れている。天気は大丈夫だろうか? などと考えていると、一瞬のうちに雲が切れた。

 男女岳中腹の巻き道には、シシウドとモミジカラマツが、白い花を競っている。西側に回り込むと眼下に田沢湖が眺められた。お花畑にはニッコウキスゲ
、ハクサンシヤジン、ヒメウスユキソウなどの花々が一面に広がっていて、それはすばらしい眺め。

 阿弥陀池を木道で回り、「男女岳」の階段を登る。崩壊地には土止めがあるが槌が流れてしまっていて痛々しい。登山道のそばで、つつじの女王と言われるエゾツツジの花にも会った。

 「男女岳」の山頂は、妻と二人だけの世界。一等三角点にタッチし、
360度の展望を楽しむ。天気は良し。岩手山、早池峰山、焼石岳、栗駒山、岩木山など辺りの山々が良く見えた。足下にはたくさんの花々が咲きほこる。この眺めを二人占めするには、もったいないような気がする。本当に来てよかった。

 避難小屋の横から「横岳」に登り、大焼砂に下ってコマクサの群落を見る。コマクサの花期には少し過ぎていたが、イワブクロが咲き始めていた。目の前には「小岳」、まだ噴火跡が残る「女岳」、それと並んだ「男岳」がそびえ、美しい眺めだ。ゆっくりしたいが、先が長いので急ぐ。

 再び「横岳」に戻り、今度は「湯森山」へ向う。砂質の急な道を下り切り、登りにかかった辺りから、登山道の両側はヨツバシオガマで埋めつくされていた。まさに、ヨツバシオガマ街道と名付けたいぐらいだった。

 「湯森山」で小休止。熊見平に下るとキンコウカの群落にお目にかかる。宿岩を通って「笊森山」へ。山頂には、大学の山岳部らしき若者達が大勢休んでいた。はるか下に、千沼ケ原の沼が、鏡を散りばめたように光っている。「乳頭山」は、まだはるか彼方にそびえていた。あそこまで行くのだ。

 「笊森山」から一気に下り、千沼ケ原の木道を気持ち良く歩く。まったく、天上の楽園のよう。千沼ケ原を全部見て歩く。気温が下がってきたのか、沼から水蒸気が上がって幻想的だ。

 再び「笊森山」の麓まで戻り、乳頭山に向う。一つの沢を超え、登ったところに待望の「ヒナザクラ」があった。男女岳避難小屋の下に降りれば、雪渓の回りにあったはずだが、そこを見落としてしまった。熊見平、千沼ケ原ではすでに終わっていて、もう見られないかと思っていたところ、ここで偶然に出会った。

 雪田が消えた跡に、純白な小さな花を咲かせ、風に揺らいでいる。何と可憐な花だろう。息を止めてシャッターを切る。

 「乳頭山」までの間は、ハクサンシヤジンの大群落が登山道の両側を飾る。「乳頭山」への急登が終わると、遠くは少し霞んではいるが、360度のすばらしい展望が待っていた。ここで小休止の後、「田代岳」の木道を気持ち良く歩き、蟹湯へ下った。樹林の中の長い下りには、少々ウンザリした。

 蟹湯では風呂に入って汗を流したかったが、バスの時刻にその余裕がなかったのが残念だった。
12時間の歩きであった。


                

 翌6日は、乳頭温泉郷の「鶴の湯」に行き、5つの温泉に入った。どの湯もすばらしかったが、何と言っても露天風呂が最高だった。

 その後「八幡平」へ回る。「八幡平」山頂から八幡沼畔を通って「源太森」へ登り、黒谷池へ下ってバスで駐車場へ戻った。この日は、東八幡平温泉郷に宿をとったが、時間があったので松川温泉へ行き、地熱発電所を見てから、松川荘の露天風呂を満喫して宿に戻った。

 7日は早朝に宿を発ち、お昼過ぎに自宅へ着いた。
 今回の「秋田駒ヶ
岳」は、花と温泉の楽しい山行であった。

 ( 1994・04・07発行 「駒ヶ岳ファンクラブ通信」NO.9 に掲載されたものを加筆・編集 )




7. 会津駒ヶ岳 にハクサンコサクラを訪ねて(1993・07・29〜31 )


 7月29日、念願の「会津駒ヶ岳」のハクサンコザクラに会うため、妻・さがみの会の鈴木さんを誘ってに桧枝岐入りした。

 平年だと
7月10〜15日頃が花時だと言われているが、今年は遅くまで雪が降ったために雪解けが遅く、開花がだいぶ遅れてしまった。
 民宿は、当初
7月10、11日で予約した。間際に山の様子を聞いてみると、「駒ヶ岳」はまだ雪が深いとのこと。しかたなく、一週間後の17、18に変更する。
 再度山の様子を聞くと、
まだ木道は雪の下で歩けないという返事。またまたキャンセルする。

 民宿の一番混む時期に、無理矢理変えてもらったところをキャンセルするのだから、ほんとうに忍びなかった。これで今年の「会津駒」はだめかと、一時はあきらめたのだが、どうしてもハクサンコザクラの花に会いたくて、またまた民宿に電話する。

 7月29、30、31日を聞いたらOKとのこと。2回のキャンセルにもかかわらず、快く受け入れてもらえたのには、ほんとうに嬉しかづた。
 29日は電車・バスを使い、14時に民宿「駒口」に入った。荷物を預けて早速、そば処「やなぎ屋」へ。裁ちそばとハットウで腹ごしらえをし、共同浴場で汗を流す。その後、村内を探訪し、観光案内所で「駒ヶ岳カレンダー」をいただいた。前の年にも「やなぎ屋」でカレンダーを見たが、どこでいただけるのか分からなかったものだ。

 民宿の夕食に、サンシヨウウオのから揚げが出た。以前、これの燻製にお目にかかったことがあるが、姿を見ただけで食べる気にはなれなかった。でも、今回は違う。サンシヨウウオは元気が出ると言われているので、明日の駒ヶ岳登山のために、
2匹も食べてしまったのである。

 30日は3時半に起床。早速支度をする。4時20分、民宿の主人に車で登山口まで送ってもらった。辺りはまだ暗く、人影もなかった。階段が新しく架け替えられていた。登り口から急登が続く。途中で東の空が明るくなり、日の出を迎えた。ヘリポート辺りからブナの木が多くなる。しかし、どの木の幹にも、名前の落書きがしてある。これほど多くのものを見たのはここが初めてだ。誰か1人が始めると、後々とそれが続くのだろう。幹にキズを付けてしまうのだから、その木が枯れるまで残る。私が彫りましたと、自ら明らかにしていて、恥ずかしくはないのだろうか。

 
4時間かかって、駒ノ大池に到着。雪解け間もないこの池の回りに、ハクサンコザクラが沢山咲いていた。ピンクの可愛い花が、風に揺れている。悠久の恋人に会ったように、胸がときめく。息をこらして、写真を撮りまくる。この花に会いたいばかりに、ここまで登ってきたのだ。念願の花に会えて感激する。

 9時すぎ、「会津駒ヶ岳」の山頂に着く。快晴のため、すばらしい展望。田代山から日光連山、燧ヶ岳などの山が、手に取るように見えた。残雪の中の木道をたどり、「中門岳」まで足を伸ばす。ここは天上の楽園と言っていいだろう。何と素晴らしいところなのだ。














同じ道を戻り、「駒ヶ岳」を巻いて駒の小屋から富士見新道に入る。一部に急な下りはあったが、なだらかな、気持ちの良い稜線歩きが続く。展望も良く、花が多くて大満足。時間の経つのも忘れて、花の写真を撮る。
 
 大津岐峠からはキリンテに下る。昔は馬がこの峠を越えたのか、なだらかな道。ブナの木が多く、しかも若木が多いのには驚かされた。

 途中から雨に降られ、キリンテに14時40分に着く。ゆっくり歩いたとは言え、約10時間になる。バスの便があいにく無く、諦めて雨の中を檜枝岐まで歩いた。山から下っての1時間の舗装道歩きは、いささか堪えた。その足で共同浴場へ飛び込みたかったのだが、あいにくの超満員。あきらめて民宿の温泉で我慢をした。

          

 翌
31日は、「尾瀬・大江湿原」を訪れた。沼山峠までバスで入り、大江湿原の入口に立ってビックリ。湿原一面に黄色のジュウタンを敷き詰めたように、ニッコウキスゲが咲いていた。もう時期も遅いので少しでも花があればと思って来たのだが、今年は花が遅れ、丁度花の最盛期に当たったようだ。何とラッキーなことか。木道を進み、長蔵小屋まで行く。まるで夢の世界のようであった。

 「会津駒ヶ岳」のハクサンコザクラをはじめ、大江湿原のニッコウキスゲなど多くの花々に会うことが出来、大満足の山行であった。

( 1994・04・07発行「駒ヶ岳ファンクラブ通信」NO.9 に掲載されたものを加筆編集 )





10. 越後駒ヶ岳・赤城駒ヶ岳 ( 1995・07・14〜16 ) 

            

 7月15日は、駒ヶ岳ファンクラブの「会津駒ヶ岳」集団登山の日であった。すでに二人とも「会津駒」には登ってしまっていた。そんなところに田中さんから、この日に合わせて「越後駒ヶ岳」に登らないかとのお誘いを受けた。二人だけではなかなか行けないところなので、二つ返事でお願いする。

 14日の15時に、関越自動車道「大和PA」で田中さんと待ち合わせた。関越トンネルを抜け、R−352号線を避けるためシルバーラインの長い長いトンネルを通って銀山平に出、それから枝折峠に向かった。

 枝折峠に着いたのは16時40分。霧で視界は30メートルぐらい。風も吹いていた。早速テントを張って夕食。就寝までの間に、約束をしていた宮城・白石市のJR7RRM局を430MHzの15エレメントアンテナを上げて呼んでみたが、山に遮られているのか残念ながら応答は無かった。その後、輪島市のJR9TVKから呼ばれ、ラグチューをする。輪島は晴れてきて、夕陽があまりにもきれいだったから、高台まで上って来たとのことだった。これでは明日の天気は良さそうだ。

 15日当日は、4時起床。まだ霧が出ているが、晴れそうな気がする。テントを撤収し登山の準備をしていると、数台のマイカーと一台のマイクロバスが到着した。登る人があったのかと安心する。

 5時10分枝折峠を出発。登山道の手入れが行き届いていないので、先頭の田中さんはスパッツを付けていられるが、ヒザ上までビショ濡れ。申し訳ないと思いつつも最後尾を歩く。上空の雲の動きが早くなる。時折雲の切れ目から青空が顔を出す。天気は回復に向かっているようだ。 

 5時46分枝折大明神が祭ってある社に入って朝食。この間、マイクロバスの一団が通り過ぎる。 明神峠に着くと、残雪を抱えた駒ヶ岳と中岳が、朝日に輝いていた。思わず歓声が湧く。

 左手には、ボリュームのある「悪沢岳」が横たわる。「駒ヶ岳」までの道のりは、まだ長そうだ。足元の悪い径をひたすら歩く。


 7時20分に「道行山」を通過。8時15分「小倉山」に着く。この辺りは、まだ雪溶け直後らしい。ミヤマハンノキなどの芽はまだ出たて。休む所がないので少し下った所で小休止。ニオイコブシの花が今が盛りと咲いていた。

 展望の利かない尾根をひたすら登り、9時20分に百草の池を通過。まだ残雪に覆われていて植物は見られない。この辺りになると、頭上の樹木も無くなり、展望も開けてきた。「駒ヶ岳」は、見上げるように大きくなった。”熊に注意”の看板も出ている。所々で動物臭もする。あまり気持ちのよいものではない。

 いよいよ急登が始まる。花々も多く見られるようになり、花に励まされながら岩の道を登る。日射しも強い。登り切ると目前に滝ハナ沢の大雪渓。その下をごう音を轟かせながら雪溶け水が滝をつくる。見事な眺めだ。

 沢添いの岩道を進み、急なクサリ場を登り切ると「駒の小屋」に10時59分着いた。
小屋番の話では、20日ぶりの晴天とのことだった。たしか2週間前は「南蔵王連峰」の縦走をしていて、この日も久しぶりの晴天に見舞われていた。何とラッキーなことか。これでますます晴れ男・晴れ女の自信を深める。

 小屋で冷たい水をもらい水筒いっぱいに詰めた。すばらしい展望にしばし酔う。山頂付近には大雪渓が横たわる。登山者が歩き回っているのが見える
。


 山頂への道は、雪溶け水が流れ出し、まるで小川のようだ。滑らないように注意して登る。最後の雪渓は、キックして慎重に足を進める。雪渓の上では、私たちを枝折大明神で追い越して行った東ハイのパーティーが、登り切るのを待っていてくれた。

 「越後駒ヶ岳」山頂着
11時38分。快晴。すばらしい展望。「会津駒ヶ岳」のあたりに雲が出ているが、燧ヶ岳、平ヶ岳、至仏山、武尊山、日光連山などが手に取るように見える。

 早速、暖まった缶ビール(雪渓で冷やしている間がなかった)で、田中さんと乾杯。
 無線機のスイッチを入れると、「会津駒ヶ岳」山頂の鈴木さん(JAIBOA)の声が飛び込んできた。約束は11時30分だったが、私たちが駒の小屋で長居をしていたため、少し遅れてしまった。

 10時過ぎ、駒の小屋で呼んだ時は、鈴木さんはまだ「会津駒」の山頂に着いてなかったようだ。私たちが呼ぶのを、仲間は下ってしまったにもかかわらず、「会津駒ヶ岳」山頂でひとり待っていてくださったとのこと。約束どおり、「会津駒ヶ岳」〜「越後駒ヶ岳」の山頂間の無線交信が出来た。距離にすればたかが20km。しかし、「駒ヶ岳ファンクラブ」には、こんな楽しみもあっていいのではないかと、鈴木さん、田中さん共々喜び合う。

 鈴木さんは、下って駒の小屋で仲間と一緒に昼食とのことだったので、名残おしくも交信を終了。 私たちは、その後も無線を楽しみ、昼食をとったあと山頂で記念写真を撮り、
13時25分に下山を始めた。

 14時22分百草の池。15時4分「小倉山」。ここで佐渡ヶ島移動の局と交信をし、最後の「道行山」へ登り返して17時40分に枝折峠に着いた。振り返れば、アプローチの長い「越後駒ヶ岳」であった。

 この日は、銀山平の「   」に泊まった。

                 

 「越後駒ヶ岳」へ登った翌日、沼田から寄り道をして、「赤城・駒ヶ岳」へ回った。
 7時半に大沼湖畔の駐車場へ着いたが、大粒の雨が降り出す。しばらく様子を見たが、大降りにはなりそうもないし、せっかく来たのだからと登山を決行。小雨の中を登山口へ向かう。「駒ヶ岳」を見上げれば、かなり急登が待っているように思えた。

 登山道は九十九折となっていた。良く整備されていて歩きやすい。上部を樹木が覆っているので傘の必要なし。径の両側には、沢山のコアジサイ、カラマツソウ、トリアシショウマが迎えてくれた。

 途中2か所の鉄製の階段を登り切ると稜線に出た。上部を覆う樹木が無くなったので、霧雨にさらされる。山頂かなと思う所を2か所越え、3つ目のピークで「駒ヶ岳」山頂に到着。9時23分だった。ちょうど1時間の登りである。

 山頂には、「駒ヶ岳・,685m」という木板の標識が立っていた。これを囲んで田中さんと記念撮影。下から霧が吹き上げてくるので、なかなかシャッターチャンスが無く、しばし手間どった。
 無線機を出してウオッチすると、群馬・邑楽郡明和村の7N3AKYがCQを出していた。早速、田中さんが応答し、次いで私もコンタクト。この様子を聞いていた同じ山ランメンバーのJQ1HXFが、新潟・南魚沼郡湯沢町の松手山山頂からブレイクをかけてきてくれた。田中さんともどもコンタクトが出来た。赤城・駒ヶ岳でも2局との交信ができて一安心する。

 そうこうしているうちに、15人ぐらいの中年パーティーが登って来たので、狭い山頂ゆえ10時に下山開始。途中でヤマオダマキ、ヒヨドリバナ、クモマニガナ、レンゲツツジの残花、ニッコウキスゲの咲き始めの花を見て下った。 

 下りながら考えたことだが、どうしてここ赤城の「駒ヶ岳」が、ファンクラブが目指す「駒ヶ岳16山」の仲間に入らなかったのかということ。5万分の1地形図にも、この「駒ヶ岳」は記載されているし、山頂にもちゃんと「駒ヶ岳」という標識があった。


 私たちが一般に、赤城山と言っているが、地形図には個々の山名を記載しているだけで「赤城山」という表示は無い。これはどうなっているのだろうかと不思議に思いつつ登山口に10時40分に着いた。 ちょっと気になる「駒ヶ岳」であった。


 ( 1995・11・01発行 「駒ヶ岳ファンクラブ通信」NO.20 に掲載されたものを加筆・編集 )




16. 若狭駒ヶ岳  ( 1999・05・21〜22  )

 5月21日朝、娘が泊まりで金沢市の友達を尋ねるというので、その留守を狙って、前から気になっていた「若狭駒ヶ岳」行きを決めた。
 
 旅館「やまびこ」に電話を入れたらOKとのこと。急いで妻と仕度に取り掛かる。家を出たのが9時30分。東名・秦野ICを入ったのが10時だった。それから高速道路をひた走り、北陸道・木の本ICを出たのが14時48分。そこからの道が少しややこしく、旅館「やまびこ」に着いたのが16時14分だった。

 ここの河内川にダムが出来るため、集落全体が移転を迫られているということは話に聞いていたが、すでに道路の付け替え工事が進んいた。やがては湖畔になるであろう高所に移転用の代替地が作られ、ここに旅館「やまびこ」は「リフレステやまびこ」と名前を変えて、五階建ての近代的なホテルに変わっていた。

 河内トロン温泉〜宿泊・お食事・宴会・ラウンジ・諸会議〜「リフレステやまびこ」は、若狭・近江の奥座敷として、大変身していた。

 「駒ヶ岳ファンクラブの会員」ですが!と告げると、奥さんに暖かく迎え入れられた。早速トロン温泉にゆっくりと浸かり、運転の疲れを癒した。

 「リフレステやまびこ」のパンフレットに「若狭駒ヶ岳」の写真が出ていた。奥さんにこの写真はどこから撮ったものかを尋ねたら、ここから見えますヨ!とラウンジに案内された。ラウンジの大きなガラス窓越しに山並みが見え、その最奥部に「駒ヶ岳」が鎮座していた。鋭明には、「駒ヶ岳ファンクラブ一行が全山踏破を目指して訪れます。当館では登山の証明記念スタンプを準備しています。」と記されている。

 風呂でのほてりを冷ますために、外に出た。奥さんにシャッターを頼み、駒ヶ岳をバックに妻との写真を撮った。

 「やまびこ」に着いて、真っ先に目に入ってきたのは、プランターに植えられた紐状の白い花穂の花。奥さんに尋ねると、シライトソウとのことだった。主人が好きで植えていますとのこと。ご主人は、会合があってお留守であったが、いろいろなものを見せていただいた。奥さんの話では、ダムの底に沈んでしまう貴重な植物を、山に返しておられるとのことであった。植物が好きな人でなくては出来ないことだと、ご主人のお人柄に感心した。

 夕食は、地酒 若狭鯖街道「熊川宿」を手酌でチビリヂビリとやり、奥さんと娘さんの豪華な料理のもてなしを受け、大満足であった。  

 翌22日は5時に目が覚める。すでに外は明るかった。7時の朝食が済まないと行動が出来ない。再びトロン温泉で汗を流したあと、妻と付近を散策する。下から移転したお寺や民家が4,5軒。まだ朝が早いのでひっそりとしている。

 7時の朝食が済み、登山口までの道の様子をご主人に聞くと、途中に雪で倒れた木があるので、森林公園まで車で行けるかどうか分からない。23日に集落の人が出て掃除をすることになっているとのこと。でも、土地の人が山菜を取り七入っているので、何とか通れるかもしれないとのことであった。ご主人も、道の様子を見ておきたいのでと、登山口まで案内をして下さることになった。

 出発間際に、花の好きな人でないとあげないないのだがと、ヤマシヤクヤク、クリンソウ(ピンク・白)、ショウジョウバカマ(白)、シライトソウ、キクパオウレン、バイカオウレン、ハルユキノシタ、オオイワカガミ、ナツエビネ、フシグロセンノウ、シロスミレ、マユミ(白花)の12種もの貴重な野草を頂いてしまった。
 
 野草を掘りながら、ご主人は今でも、時間があると前に住んでいたところへ自然と足が向いてしまうとおっしゃていた。そして、湖底に沈んでしまう植物をこつこつと堀り上げ、上に運んでくるのだそうだ。

 ご主人運転の軽トラックの後に続く。河内川を遡ると、かっての集落の跡地に差し掛かる。すでに家屋のほとんどは跡形も無く取り壊され、土台だけが無残に残っていた。まだ残っている民家もすでに無人と化し、寂しそうにひっそりと建っていた。庭に植えてあったのだろうツツジが、紅紫色の花を静かに咲かせていた。

 千二百年も続いた集落が、ダムのために消えてしまうということには、私にも耐えられない。ましてや、ここで生まれ、ここで育った人達の思いには、想像を絶するものがあっただろう。 

 心配していた林道は、枝が下がっている程度で、なんとか森林公園まで辿り着けた。ここで終点かなと思ったらなをも先に進み、路面も草が多くなった。木の枝が垂れ下がり、行く手を塞いでいる。ご主人はナタを取り出し、枝を切り払う。こういう場面を2ヶ所通り抜け、そうして林道の最終地点に到着した。ここが登山口となっていた。

 「駒ヶ岳」の山頂までは50分ぐらいで行きますヨ!とのこと。ご主人の好意に厚くお礼を申し上げると、今年初めてで、道の様子を見ておきたかったのでと、謙遜されていた。

 8時15分に歩き始める。径幅は広く、整備されていて歩きやすい。ただ、雪の重みで落ちたのだろうか枯れ枝がたくさん落ちていた。しばらく歩くと、明るく広い場所に出た。この辺りが、比叡山延暦寺派の寺があったところらしい。雪が降らなければ、素晴らしい所だ。それにしても、よくもこんな奥まった所にお寺を建てたものだと感心する。カモシカのものらしき足跡をたくさん見ながら、ひと登りすると稜線に出た。下から吹き上げて来る風が、汗ばんだ肌を冷やしてくれ心地よい。

 「若狭駒ヶ岳」の山頂には、8時55分に着いた。特別な山頂というものはなかったが、1.5メートルほどの石積みがあり、その最上部に三角点と「駒ヶ岳」の標識が立っていた。北西部の木が切り払われていて、霞んではいたが山並みと若狭湾が望まれた。 これで「駒ヶ岳」登頂が、妻ともども、ようやく10山となった。 折角の「駒ヶ岳」なので山頂でCQを出すと京都、岐阜、滋賀から呼んでくれ、5局との交信が出来た。9時45分に下山。駐車場には10時15分に着いた。
 
 帰りの林道で、注意しないと間違えやすい所が1箇所あった。そこを間違えると大変なので注意して走ると、下ってはいけない方の道に木の枝でバリケードが築いてあった。ご主人の心やさしい気遣いに、感謝感謝であった。  
 
 河内川の流れは、思っていたよりも細い。雪解けの時は多いのかもしれないが、こんな水量でダムが満水になるのだろうか? また、永年住んでいた人達を立ち退かせ、山を削り、谷を水没させてしまうダムに、それだけの価値がいったいあるのだろうか?そんな事を考えながら、静まり返った集落の中を通り過ぎた。
 
 帰り道、再び「リフレステやまびこ」に寄って、ご主人は留守だったが奥さんにお礼を述べ、、帰路についた。

 折角「若狭」まで来たのだから、一山で帰るのはもったいないので、どこかの山へ登っていこうということになった。通り過ぎてしまったが、少し戻って琵琶湖と余呉湖の展望と七本槍の古戦場「賎ヶ岳」に登った。

 そしてさらに、美しい高山植物たちと雄大な眺めの「伊吹山」にも登ることが出来た。登っただけではもったいないので、これら二山でも無線交情を楽しんだ。
 
 帰宅は、21時50分であった。


  (2001・10・22発行「駒ヶ岳ファンクラブ通信」NO.56 に掲載されたものに加筆・編集 )