< 浜名湖周辺の古東海道を走る・その2 >

2005/8
浜松 ー 舞坂宿 ー 新居宿 ー 二川宿 ー 牟呂

 

< 延喜式の東海道 >

 

 延喜式(905年)の頃の推定古東海道。引摩駅は磐田付近、栗原駅は伊場付近。猪鼻駅は諸説があるが、おそらく吉美。湖西運動公園脇に猪の鼻のような急坂があり、おそらくそれに因む駅名であろう。渡津駅は豊川の渡河点。駅間の距離からすれば牟呂側に想定するのが自然だが、対岸の小坂井側に推定する説がある。宮地駅は参河国衙の付近。山綱、鳥捕は岡崎。更級日記には宮路山を越え、紅葉の記述がある。

 

 

 かつて浜名湖は淡水湖だったという。延喜式の東海道は浜名川に架かる浜名橋を渡るルートで想定されている。

 


                           国土地理院5万分の1地形図 「豊橋」部分

 


 

< 伊場遺跡 >


 伊場遺跡は縄文時代からの複合遺跡で、弥生時代の3重の環濠からは大量の弥生式土器や木の鋤、鍬、そして日本最古の木の鎧が見つかっている。また大溝の中からは土器や木製品の他、貝殻やまじないの道具、そして古代の群の役所があったことを示す木簡も大量に見つかっている。

 大量の木簡が腐らずに残ったように、この付近は運河があったり大堀の植生などから、かなりの低地という印象である。

 

 


 大溝の周辺に掘立柱建物群の柱根や柱跡が発掘され、これらは役所に関連した建物と見られ、平安時代の中頃まで建て替えが行われていた。土間作りの建物は大きさがまちまちで、大きなものは役所、小さなものは物置で、高床倉庫には米や布などの税が入れてあったと推定される。(案内板より)

 


 

<舞坂宿 新居宿 二川宿 >

 

 舞坂、新居 、二川など本陣跡や関所跡など江戸時代の旧東海道の町並みをよく残している。

 


              舞坂宿松並木

 


               舞坂宿脇本陣、中庭

 


                           新居関所跡

 


                  二川宿本陣跡

 


 

<牟呂>

 

 牟呂の市道遺跡からは寺院跡や官衙的役割をもった施設が発掘され、渥美郡衙だとの指摘もある。是非訪れてみたく、夕暮れも近づいていたが一帯を走ってみた。しかし市道遺跡の場所は見つからず、結局時間切れ。

 

 

 豊川から姫街道を気賀まで。浜松から豊橋へ。農家の庭先や幹線道路の植え込みなど、何処でも矢車草などの花が咲いていた。この地方の人々の穏やかで、余裕のある気質を考えながら自転車を畳んだ。

 

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