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< 浜名湖周辺の古東海道 その1 ー 姫街道 > |
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2005/8 |
豊川 ー 嵩山宿 ー 本坂峠 ー 引佐峠 ー 気賀 ー 三方原追分 ー 浜松 |
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古代東海道のルートを考えながら、浜名湖の周辺 を走ってみたいと 思っていた。
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< 御津 >
「御津」は参河国府の港。702年、持統上皇は伊勢より海路この地に上陸した。 地図上で港と国衙跡、国分寺、尼寺がほぼ直線上に並ぶ。国衙は標高5mの白鳥台地上にあり、参河国府は港からのロケーションを基に都市計画されたという印象がぬぐい去れない。
尾張国東山道説がある。(皇学館大学の田中卓氏。律令制度の初期、尾張国は東山道に属していた。)田中氏は古東海道を鳥羽から伊良湖のルートで考えた。 一方、鈴鹿市考古博物館の新田剛氏は加太越えルートで「金王道」を通り、安濃津から御津を結ぶ「東海道(あづまのうみつみち)」を想定している。 この説に従えば、参河国府が参河の国の東のはずれに置かれたことも理にかなう。
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< 参河国府、国分寺、国分尼寺跡 >
港から真線道路を北東に進み、国道と名鉄電車の踏み切りを渡り、坂を上がったところが三河総社。総社の右手に曹源寺があり、国衙跡はこの一帯とされる。 国衙跡の北東、姫街道をまたいだ軽い丘の上に国分寺がある。そして少し先に尼寺跡。参河国分尼寺の金堂は現在の唐招提寺に匹敵し、尼寺としては全国でも最大級の規模だったらしい。国分尼寺跡は礎石や基壇が復元され、史跡公園として工事が間もなく完了する。
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< 本坂峠 >
當古で豊川を渡り、嵩山宿に入る。快く湾曲した旧道の風情を楽しみながら、いよいよ山道。現在は植林された杉林だが、往時はおそらくシイなどの照葉樹林が深く茂って、昼でも暗く恐ろしいような道だったに違いない。 森の中は丸石で葺かれ、「嵩山一里塚」や「腰掛け岩」、「象鳴き坂」など案内板も整っている。しかし5月の連休中なのに、出会ったのはハイカーが一人だけだった。
気賀には姫街道資料館があり、気賀関所跡も復元整備されている。松並木に従って磐田(推定遠江国府)まで行こうとも思ったが、三方原の追分で分かれて浜松へ向かう。
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