< 平塚の古代道路(古東海道)遺跡 >

2004/5

 

 

 

2004年4月25日(日) 「平塚市東中原E遺跡第4地点」古代道路遺跡の現地説明会が開かれた。

 


 

< 現地説明会 >

 

 神奈川県内で古代の道路跡が見つかっているのは、小田原「永塚」、平塚の四之宮の西「構之内遺跡」。「構之内遺跡」で見つかった道路跡は幅が約9m、推定相模国府の中枢を通ることから、古い時代の東海道ではないかといわれてきた。今回新たに、その推定古東海道を西に延長する「平塚市東中原E遺跡第4地点」で道路跡が見つかった。新聞報道では古代の駅路跡だとのこと。


                 推定古東海道(当日配られたパンプレット参考地図)

 四角で囲まれた推定国府域を東西に横切るのが推定「古東海道」。構之内遺跡第3地点で大きく進路を変える。今回見つかった道路跡は「平塚市東中原E遺跡第4地点」、推定国府域を少し外れた地点である。スーパーマーケットの建設工事に伴って見つかった。

 博物館の説明では「この道は古代東海道の駅路と思われる。」「東方面へは相模国府の中枢部分を経て、そのまま相模川を渡河するか、あるいは少し遡って渡河して、海老名から武蔵の国へ。」「西方面は豊田本郷の南をかすめて、広川あたりから南下して大磯の国府本郷を経て国府津、足柄峠へ向かう。」

 

< 東中原E遺跡第4地点・道路遺跡 >

 


                             道路跡は遺跡の東北角を横切る

         

 写真の縦方向、3本の溝の外側が芯々9.7mの古代推定東海道。中央から右側は中世にかけて縮小再整備(3mに)された路面。道路の硬化面は3m幅側にのみ残り、6mの方には硬化面は見つかっていない。駅路に直角に江戸時代の道が交差している。

 写真で見るように駅路跡は湾曲している。

 下の写真は逆側から撮影したもの。3mに縮小された側に残された硬化面の様子がよく分かる。

 


        道路路盤面。3m幅道路跡の硬化面の様子

 

 「この東中原遺跡における埋蔵文化財の密度は低く、とくに奈良、平安時代前期頃は周辺に住居もほとんどなく、閑散とした地域との印象である。この付近は推定国府区域外の地域ということで、従来の国府領域の仮説に合致した結果となっている。」(パンフの説明)

 


 

< 同時出土品 >

 

  
     「墨書土器破片」文字は未読                     「灰釉陶器」 

  

 


遺跡出土品 「鉈尾」ベルトの先端飾り

 

 


遺跡出土品 「巡方」ベルトの途中飾り