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< 北国脇往還 北国街道 越前海岸 塩津街道 > |
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2009/8/3 |
関ヶ原 ー (北国脇往還) ー 木之本 ー (北国街道) ー 武生 約85km おまけ 那谷寺 |
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今年は8月になっても梅雨が続く。しかし、天気図ではそろそろ明ける気配。
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< 北国脇往還 関ヶ原から木之本へ >
北国脇往還は北陸と中山道をつなぐ短縮路である。
関ヶ原駅をスタートする。間もなく案内板が目に入る。 「島津義弘陣跡これより300m、小西行長陣跡これより600m、開戦地これより800m、宇喜多秀家陣跡これより1000m」。 ここが関ヶ原の戦いの舞台。石田三成が陣を置いた笹尾山は小高い丘で、徳川方を遥かに見下ろす。陣を構えるには絶好のロケーション。山裾に島左近の陣があり、馬防柵や幡が立って合戦の雰囲気を出している。そのわずか目と鼻の先に決戦地があった。総指揮官の足下まで敵で埋まれば勝ち目はない。
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旧道を選んで走る。行く手がバイパスで寸断されて、自転車を担いで土手を上がったり、集落の中で旧道を見失ったり、姉川付近では堀と土塁で囲まれた三田村氏館跡などの史跡などもあって、のどかな田園地帯の旧道探しを楽しむ。風化した道端の仏様や農家の庭に咲く夏の花が色鮮やかだ。 天気が回復してきて日差しが厳しくなる。どうやら梅雨も明けたようだ。
河毛、高月辺りまで来ると、山が迫ってきて、間もなく木之本宿である。
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< 北国街道 木之本から武生へ >
木之本からの北国街道は椿坂峠、栃ノ木峠など山越えサイクリングだった。
7時に関ヶ原をスタートして、木之本へ着いたのが9時半。木之本は雑然としながらも活気が感じられる町だった。旧本陣や地蔵院付近など、旅人で賑わう往時の姿を想像する。本陣跡の竹本家、正産湯、浅田飴、梅毒薬などの古色あふれる看板が珍しい。窓の板ガラスは当時の物らしく波打っていて、映る景色が歪んで見える。
これから椿坂峠、栃ノ木峠の二つの峠を越して今庄へ抜ける。徐々に山深くなって行く。暑さに体がまだ慣れない。汗が目に入ってしみる。幾日かすれば、さらさらな汗に変わるが、暑さに体が順応しないうちは塩分が汗と一緒に出てしまう。
道路脇の湧き水で顔や腕を洗う。極楽、極楽。昔の旅人も同じ思いだったろう。 いろんな所で湧き水を飲んだ。このように導水管があって、コップなどが用意されていれば安心だが、山からの小さな流れの場合、一抹の不安もある。しかし、冷たい水を汲んだときのボトルの水滴の心地よさに負けて、つい大胆になってしまうのだが、幸い水で当ったことは一度もない。
椿坂峠(497m)、栃ノ木峠(539m)。特に標高があるわけではないが、木之本から先の山道は何もなく、文字通りの山越えツーリングだった。 峠に立って行く手を遥かに望む、峠越えの気持ちよさは、いつも変わらない。 板取の宿には4軒の茅葺き家屋が並んで、山深い宿場の風情を残していた。そのうちの一軒は人の気配があって、洗濯物が干してある。建物の手入れのために来ているのだろうが、維持管理は大変なことだと思う。旅人にとっては「珍しい」だけだが、持ち主にとっては生活権など単純ではないだろう。しかしこのような豊かな風景は貴重である。
下って今庄宿。道標が立つ。「右 京 つるが 己可佐(わかさ)道」「左 京 江戸 いせ道」。古い時代の北国街道は敦賀から木の芽峠を越えて越の国に入った。 道路の中央部には融雪設備がある。最初は何なのか分からなかったが、道路を掘り返して工事をしていて気がついた。雪深い土地なのであろう。古い建物には雪囲いが残されていた。
平野部に出ると、道は普通の国道となって、間もなく武生市内に入る。さすが武生。道の両側に刃物問屋が並ぶ。総社大神宮に着く。越前国府はこのすぐ北、国府の地に想定されている。
今日の予定はこれで終了したが、時刻はまだ1時15分。さてこの先どうしょう。輪行すれば那谷寺の拝観時間に間に合いそうだが、ちょうど良い電車があるだろうか。駅で調べると武生2時5分発の電車で動橋着が3時22分。自転車を畳んでホームに上がる。
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< 那谷寺 >
石山の石より白し秋の風 芭蕉
山形で詠んだ「閑かさや岩にしみいる蝉の声」から季節は過ぎ、那谷寺では秋の盛りを迎えている。白い秋の風の舞台、那谷寺を一度訪れてみたかった。 動橋駅から那谷寺までは約4km。道路表示が整備されていて、迷うことなく那谷寺に着くことができた。 境内は凝灰岩の岩肌が大きく露呈し、奇岩を活かした庭園となっている。舞台造りの拝殿は洞窟に入り組んだ形でつくられている。順路に従う。奥に大きな池があって、回りの木々を映して神秘的だった。三重塔は瀟洒な佇まいで、そこから奇岩の庭園を見下ろすことができる。
夕暮れが近く、曇って日差しがない。昨日までの雨で苔が美しい。芭蕉の句の乾いたスケール感を期待しての那谷寺だったが、少し印象が違った。次は芭蕉と同じ季節に訪れてみよう。
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