< 大山道・柏尾通り >

2002/8

 

大山道・柏尾通りは東海道・戸塚の下柏尾から分かれ、阿久和川に沿って北東へ遡る。

 


昭和礼文社刊行 迅速図 「戸塚駅」部分


 

 柏尾通り大山道 >

 

 岡津から和泉、長後、用田を経て戸田の渡しに至る。現在の戸塚・不動坂の交差点で瀬谷方面に向かう。旧道は岡津橋で左折、永明禅寺の門前が旧道。

 


永明禅寺門前の道標

 

 下柏尾からは車両の通行も多いが、岡津橋の先で左折すると永明禅寺の門前から旧道の面影が残る。大山道はここから丘を上がり丘陵上を和泉村を抜け、境川を渡って高倉、長後に至る。

 


昭和礼文社刊 迅速図 「原宿村」部分

 


和泉小学校近辺


風化した道標

 

 和泉小学校付近はごく普通の住宅地になっていて、案内板がなければ大山道だとは気がつかないかもしれない。道標はすっかり風化してしまっている。高倉から長後にかけての旧道は現在の道を縫うようにわずかに残る。

 


                   本郷近辺

 

 長後から用田を抜けて戸沢橋まで藤沢北部工業地域の産業道路として機能している。

 

 

 道は本郷で鉤の手に曲がる。条里制の跡と思われるが集落遺跡が見つかっている。海老名本郷遺跡は目尻川の右岸、相模野台地の南西支丘上に位置して、西側には条里制の跡を確認できる海老名耕地が広がる。奈良、平安を中心に先土器以降、中世各期の遺構、遺物を検出する。住居跡、墨書土器、皇朝銭など数多く出土し、一般的な集落の枠を越えた遺跡の可能性が指摘されている。

 相模野台地の西一帯は古代史の上で重要な、海老名の国分寺、尼寺跡、綾瀬市の宮久保遺跡、東寺尾廃寺跡、居村(B)遺跡など多く残す。相模川の対岸、稲荷前A遺跡や構之内遺跡などを含めて発掘が進めば、古代のこの地方の様子がはっきりしてくることだろう。

 


               居合坂

 

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