新編
 磯丸全集

一、 草枕夢路の名残 文化十四年

 

 文化とゝせあまり四とせといふ弥生の十一日、信濃国善光寺にまうでんとてよめる歌ども
法の道たのみつゝ行くしなのちの木そのかけ橋つゝがなかれと
 
春の色にふかく染行くたひ衣日数かさねて立や帰らん
とよみ侍て吉田へ出る中西氏の御許に旅の枕を結ふ、十二日朝より雨ふり出しければ逗留
林氏のみ子の歌をよみてよとありければ
千世かけて子の日する野の小松原こたかきかけを君そみるべき
 十三日六つ半頃雨やみて空晴れけれは、吉田のやどりを立出るをりから、やき塩をめくみ給ふによめる狂歌
行さきもからきうき世のならひとて心にかけてせはをやきしほ
叉よめる
春風にうきあま雲もふき晴て心よし田のけさの旅たち
それより豊川稲荷明神へまうてゝ
かゝけては世々に光のまさるかな稲荷の山のみつのとほし火
とよみ侍て新城へ出る。木瓜屋にひと夜草の枕を結ぶ。
ゆかりある人の許へ尋ねゆきて
ぬれむとももとの心をわすれねは野中の清水たつねてそくむ
 十四日の朝新城の宿りを立て鳳来寺へのほるとて
とめくれは心もすめる山たかみかゝる御法の水のなかれを
 麓へ下る大阪屋に草の枕を結ふ、十五日の朝六ばかりにやどりたち出とて
いかてかくをしむ名残の大坂や草の枕に心とめねと
とよみ侍てくろぜの里へ出る。
 それより田内村田口の里を過て、田かれ村の信濃屋弥平方に旅の枕をむすふとてよめる
秋ならは鹿のなく音もきかましを春の田かれの里そ淋しき
 十六日の六つ時計にやとりを出て、よらきなどいふ山路をこへてつぐの里へ出る、それより深き山路を過きてねばねの里なるたをやめどもが袖をひきとめければよめる
行さきはまたはるかなる旅衣いそく袂をひきなとゝめそ
 つひひきとめれて住吉屋にかりそめの枕をむすぶとて
うちなひく今宵ねはねの若草を旅の枕にからんとそおもふ
十七日の六時ばかりにやどりを立出るとて
草枕かりの契とおもえともけさのわかれの袖の露けさ
それよりひら屋の里にてよめる
雲きりのかゝる高ねをわけこえて行はひらやの里もこそあれ
 浪合の里へ出る、とゝせばかりにて又この川の流れをみて
結ひてしもとの流をとめくれは昔にかへる水のしらなみ
 白木屋小左衝門方に旅の枕を結ぶ、十八日の朝より雨降り出しければ、一日逗留ゆきよしごんげんの御社をふし拝て
心なくあふくもおろか浪合のなみ/\ならぬ神の御社
夜ふかきに鳥のこゑをきゝて
あけぬとて鳥はなけとも草枕をしむ心は深き世の空
 
草枕むすふ間もなき春の夜の夢おとろかすくたかけのこゑ
十九日六半ばかりやどり立出るとて
行く水にしはし心をとめしより名残ぞをしき浪合の里
 それより山路を過て、飯田へ出る。伝馬町壹丁め吉田屋彦兵衛方に草の枕を結ぶ。此里に心さしふかき人有りて旅人の親子四人病におかされて山路にふしてすでに命あやうきを、数日かいほうしてたすけられしとぞ、吉田屋の内しつのものかたられけるをききて、その人の情深きことをかんじ侍り、その名を松蔵となん開きて、名の頭の宇を一じ一首の中に入て
かゝる身に露の情のふかみとり松てふ人の限りしられす
叉よめる
深山木の茂き中にもかくれなき松のみさをそあらはれにける
 廿日の朝六頃飯田のやどりをたちて原町村にいづ。原を過て山吹新田といふ所にてやまぶきの花の盛なるを見て
わけくれはたをらぬ袖も香に匂ふ花の盛の山ふきのさと
それより野を過て大島の里にてよめる
名にしおふ四方の山なみたつ中に海こそなけれ大嶋のさと
かたきり村それよりなゝくぼといふ所にてこまがたけをみわたして讀める
行雲のみ尾にそつゝくこまがたけかける霞のひまとめてみん
 飯島へ出る。之れより上穂の里たる買屋彦衛門方に旅の枕を結ぶ。廿一日の朝やとりをたち出て、いなべの里を過て宮木の里なる問屋庄左エ門方に草の枕を結ぶ。廿二日の明六ばかりに宮木の宿をたちて、塩尻の里、それより村井の里を過ぎて松本へ出る。富田屋平右エ衛門かたに草の枕を結ぶ。
ふかみとり千世も八千世もいやましにさかえさかふる松本の里
 廿三日の朝宿りを立出て、かり原峠乱橋なとといふ所を過て、青柳の里なる太兵衛方に一夜やとるとてよめる
露むすぶ緑の糸のはる毎に色まさるらん青柳の里
 廿四日の六つ時ばかりに青柳の里を出て、切とほしをこえてさるがばんばといふ峠を下り稲荷山の里それよりしのねの里を過て北原、それよりたんば川にてよめる
行水のあはれそふかきたんば川涙なかさぬ人はあらじな
 弥生の廿四日の夜の五つ時ばかりに川中島の善行寺にまうでて 法楽
鐘の音ひゝく御法のこゑ/\にかゝるうき世の夢ぞさめける
 廿五日六日ふつか善行寺に逗留、廿七日の六半頃宿りを立てしのねの追わけを過て、ちくま川といふ船渡しにて
ちくま川ちこの昔を思ひ出てよる年波に袖ぞぬれける
 それよりやしろ村、を島の里、しもとくらといふ所を過て、坂木村の田口屋源衛門方に草の枕を結ぶ、廿八日の卯の時ばかりにやとリを立て、うへだの里へ出る。それより丸子といふ所の升屋庄次郎方にやとる、ゆふ飯のさいになすびつけを出しければよめる狂歌
たひ衣おもひかけきや戀なすびちぎらでこよひさいにせんとは
 廿九日の朝かたにやとりを立ちて、和田といふ所へ出る、わだ峠の茶屋土屋籐八方に草の枕を結ぶとてよめる
天雲のかゝる高ねに庵しめてうき世をよ所に住わたるらん
 
うらやましかゝる高根に庵しめてすむ山水の流をやくむ
 弥生のつこもりの六時頃、やとりを出て諏訪へ出る、いつゝ屋勝右衛門方に草の枕を結ぶとてよめる
あふき見れは心もすめる諏訪の海や波々ならぬ神のみたらし
又よめる
梅さくらちりても人はめかれじな盛たえせぬ諏訪のゆのはな
 卯月朔日の朝六時にやとりを立出て、ひらいでといふ所を過て殿村里なる信濃屋磯右衛門方にひと夜やとる、ニ日の宿りを出て宮田の里を過て飯島へ出る、龍田屋源右衛門方に草の枕を結ぶ、三日の朝の六つ頃宿りを立出て飯田の櫻町の小松屋太七方にひとやを宿る、明四日の卯時ばかりにやとりを立ちて、おほたひらといふ大なん所の山をのほり、下り八里行てはしばといふ所の大島屋忠八方に草枕を結ぶ、谷より落つる水の音の高けれは
水の音のたかき橋ばに渡り来て草の枕の夢もむすはす
 五日の朝、はしばのやどりをたちて、まこめ峠といふ二里の山路をこえて、中津川の里を過て大井の里なる橋本屋佐兵衛方に草の枕を結ぶ、雨大ふりゆえ一日逗留、六日
草枕むすふいもせのはし本屋わたり絶せぬ契ともかな
七日の朝大井の里やとりを立出るとて
をしまれて袖こそぬるれたひ衣名残大井の水からそうき
 それより山路を行くとてかまと村という所を見わたして
山ふかみ霧かと見れはゆふけふりたつるかまどの里そにきあふ
 高山の里を過て池田の里なる打物屋定吉方に一よやとりて、明八日の朝池田の里のやとりを立ちて、内津の里なる妙けん宮へまうでて
たのもしなかゝるうき世の夢ならてうつゝに神を祈る心は
 
世の中はたゝかりそめの契にて草の枕のうたたねの夢
卯月八日のゆふ方名古屋へ出る、本町七丁目岡山氏の許に草の枕を結ぶ。
木曾のかけ橋にて
かくばかり常にもたはや信濃路の木そのかけ橋渡る心を
 
「次の一編は、前編の一部分の別記と見えて、所々同じ歌も現はれてゐるが、違って居る所もあるから便宜ここに掲載する」
 十六日の六つ半時計に田口の里なるやとりをたちて田かれの里にて、
秋ならは鹿のなくねもきかましを春の田かれの里そさひしき
 それよりよらきなといふ所を過てつぐの里へ出る。ひばら三りをこえてねはねの里なる白木屋に一夜やとる十七日の朝やとりを立てひらやの里を過て、波合の里にて讀める 山ふかみ水の流れをとめくれば心もすめる波合の里
ゆきよしごんげんの御社をふしおがみて
心なくあふくもおろか山川の波々ならぬ波合の神
 とよみ奉つて、それより大野といふ所の升屋勘左エ門かたに一夜草の枕を結ぶ、十八日の卯のこく計にやとりを立ちて、山路の花の盛なるをみてよめる
春の色のふかき山路をわけ行はふきくる風も花の香ぞする
おくふかく猶わけゆかん旅衣なれてもあかぬ花の山ふみ
それよりこまんばの里を過て山本の里にて
ふきおろす峯の嵐も匂ふかな花の盛の山本の里
 とよみ侍りて飯田へ出る。それより原町村なといふ所を過て、かたぎりといふ所のつの国屋といふ家名を見て
つの国や難波わたりの心ちしてよしや芦屋の里そこひしき
それより山ふき新田といふ所にてよめる
さく花の名をなつかしみわけ行はおもかけ匂ふ山ふきの里
 とよみ侍りて、堺屋伝蔵方にかりそめの枕をむすぶ。十九日の朝やどりを立ちて、いなべといふ所の油屋勘蔵かたに草の枕をむすぶ。廿日の六半計りいなべのやどりを立ちて、それより宮木の里宮田の里を過て小野の里なる油屋小左エ門かたにひと夜やとる、廿一日の六時計にやどり

空の海や岩ねにかゝる白雲も波かとみゆる塩尻の山

 とよみ侍て、それより村井といふ所を過て松本へ出る。里の名によせて讀める。
ふかみとり千世も八千世もいやましに栄えさかふる松本の里
 それより山べのゆの原村といふ所めひゆあリ、つかまの御ゆともまたしら糸のゆともいふときゝてよめる
今も猶よりくる人そかきりなきしらいとのゆのわくにまかせて
 山べのゆの原村のやと丸屋民右衛門方にとまる、廿二日一日逗留廿三日の六半計にやどりをたちてかり原峠、それよリ乱橋などいふ折を過て、をみの里へ出る、柏屋興右衛門かたに草の枕をむすぶ、廿四日の朝をみの里のやどりをたちてたち峠をこえて、さるがばんばの火うち石といふ石あり、その所の茶屋よりをばすて山へ行、半道計のまわりなり、をばすて山に行てよめる

名にたかきをはすて山の月はさそかゝるふもとの花もめつらし

 よみ侍て、それよりいなり山の里へ出づ、それよりおひわけを過て、たんば川にてよめる
のりえたものりえぬ人もかのきしにわたすちかひのふねはこの船
とよみて、川中島善光寺にまふでよみて奉
たふとさはなむあみたふの聲計みのりの外の言の葉もなし


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