私の父は小・中学校の先生をしていたので、転勤に伴って北海道の胆振と呼ばれる地
方を転々とした。その間、小・中学生時代は幌別町(現登別市)の山奥にある「鉱山」と
呼ばれた小さな集落で過ごした。その名のとおりかつては銅や硫黄を採掘した鉱山で
あったが、私が行った頃には採算が合わなくなって閉山され、名前だけが残っていた。
周りが山に囲まれた盆地で、四季を通じ自然の恵みがきわめて豊富なところであった。
春は山菜(フキ、タラノメ、ウド、コゴミ、ギョウジャニンニク等々)、タケノコ(細い
ササダケ)、野生シイタケなどが採れ、タケノコは1貫目いくらで買いとってもらえるの
ので、いいこづかい稼ぎになった記憶がある。夏は川釣りで、魚はもっぱらカジカであった。
ヤマメ、イワナもいたが、上流域は熊が出没するので、1人で行くわけにいかなかった。
秋はブドウ、コクワ(サルナシ)にキノコ採りになる。根雪前の初冬は野ウサギとりで、
ウサギの通り道をねらってワナを仕掛け、捕獲するのである。本格的な冬に入ると獲物は
何もなくなり、じっと春を待つことになる(実は、この時期が最も長いのである)。
山菜、キノコ採りには、よく祖父に連れて行ってもらった。祖父は山仕事をしていたの
で、キノコの採れる場所をよく知っていた。キノコ採りは今は全くの趣味の世界であるが、
その当時は重要な食糧確保の手段で、マイナーキノコには目もくれず、ひたすら群落キノ
コを探し回るのである。主なターゲットは、ボリボリ(ナラタケ)、ムキタケ、ラクヨウタケ
(ハナイグチ)、ホウキタケであった。大量に採取したボリボリ、ムキタケはタルに塩づ
けして保存し、冬の間のみそ汁の具として食した。私は水っぽいムキタケよりもコクのあ
るボリボリの方が好きだった。ホウキタケも人気のあるキノコで、軒に吊し、乾燥保存し
ていた。ラクヨウタケは保存手段がなく、採ったら直ちに食べるしかなかったと思う。今
なら、冷凍保存という方法があるが、当時我が家に冷蔵庫はなかった。
祖父は時おりマイタケを採ってきた。当時も最高級のキノコであり、あの味、香りとも
忘れられない。祖父の亡くなる前にマイタケの採れる場所を聞いておくべきだったと、後
悔した覚えがある。私はいまだにマイタケを採ったことがない。
マイナーキノコには目もくれずにと言ったが、当時はカラー図鑑があったわけではなく
要するに食毒を判別する方法がないので、間違いのないキノコを採るしかなかったという
ことである。当時の北海道はツキヨタケやニガクリタケなどで中毒する人が多かった。
鉱山のような地殻変動のあったところはキノコが豊富という説を聞いたことがあるが、
秋田や富士山がキノコの宝庫ということなので、その説は正しいと私なりに納得している。
彼の地、私がアウトドアに親しむようになった原点なのである。