高校2年の時、父が転勤になり、「幌別鉱山」から有珠(うす)郡壮瞥(そうべつ)
町黄渓(おうけい)というところに移った。壮瞥町は噴火で有名な有珠山や洞爺湖のあ
る町で、相撲協会の北の湖理事長の出身地でもある。こういうと風光明媚な観光地をイ
メージするが、黄渓という地はそれとは全く関係のない山奥にある鉱山で、それも現役
の鉱山であった。硫黄を採掘しており、集落は深いV字谷の一方を削って平地にしたと
ころにあり、それが「黄渓」という地名の由来になったと思われる。
ここからも高校へは通うことができず、そのまま下宿生活を続けた。従って、この地
で日常の生活を送ることはなく、夏休みや冬休みの時に帰ってくるだけであった。たま
に帰って感じるのは非常に厳しい気象条件の地であったということである。谷地の中腹
にあるので、たえず下から強い風が吹いており、雨が降ると風とともに吹き上げられる。
まさしく下から雨が降ってくるのである。傘はほとんど役にたたず、カッパを着なけれ
ばずぶ濡れになる。雪もしんしんと降るのではなく、常に吹雪き状態にある。風の当たる
ところは家の屋根くらいまで積もった。雪かきに追われ、お袋はいつも嘆いていた。
こういところは自然の恵みは得られない。周りに樹木が少なく、一面が低い笹で覆わ
ている。山菜やキノコの採取時期には、そこにいないので探したことはないが、地形的
にいって、まず期待できないと思った。鉱山はキノコが豊富説を述べたが、それはやは
り、一定の条件を備えてからのことであろう。ただ、少し遠出をすればカラマツやダケ
カンバの林があり、それらしい雰囲気のところはあった
この黄渓もその後廃鉱になり、数年前訪れた時は一面無人の荒涼たる草原になってい
た。かつて、人の住む集落があったという面影は全く見られなかった。
高校生で下宿生活を続けていた時代であり、アウトドアに親しむということとは無関
係な時代でもあった。