高校と友人Tのこと

 高校は幌別町の隣,室蘭市にある公立高校に入った。入った時はまだ「幌別鉱山」に
いて、学校までは我が家からオートバイと汽車を乗り継いで通っていた。ところが、
1年生の秋に大雨が降り、バイク区間にあった橋が流されて通行不能となり、我が家
から通えなくなってしまった。やむなく、山を降り、幌別町に下宿することになった。

 高校生ゆえ3食付き(昼は弁当)の下宿であったが、何せ食い物が自由にならない。
食い盛りの時である。夕飯を食べた後10時くらいを過ぎると、空腹でたまらなくなる。
今なら、ちょっとコンビニまでということになろうが、当時はそんな便利なところはな
かったし、そもそも小遣いをわずかしか貰っていない。買い食いなどしているとたちま
ちオケラになってしまう。

 その時助けてくれたのが同じクラスのTであった。同じ町に住み、映画館で偶然会っ
て以来、よく話をするようになり、大変気が合った。そのうち彼の家にまで遊びに行く
ようになり、親父同士が親交あることも分かって、お袋さんに大いに歓迎された。お袋
さんはよくできた人で、私が夜空腹で悶々としていることを察し、夜食をTに下宿まで
持たせたり、家に呼ばれておにぎりやうどんを食べさせもらったりした。食い物の恨み
は恐ろしいというが、その逆も真である。高校生で、金や食い物に不自由するというの
は大変つらいものである。苦しい時に助けてくれた人ほどありがたい存在はないという
ことを身をもって知った。

 Tとはまだ交流が続いている。当地で銀行員をしている。お互い定年まであとわずか,
時間がとれるようになったら、ゆっくり飲み明かしたいと思っている。

下から雨降る地

 高校2年の時、父が転勤になり、「幌別鉱山」から有珠(うす)郡壮瞥(そうべつ)
町黄渓(おうけい)というところに移った。壮瞥町は噴火で有名な有珠山や洞爺湖のあ
る町で、相撲協会の北の湖理事長の出身地でもある。こういうと風光明媚な観光地をイ
メージするが、黄渓という地はそれとは全く関係のない山奥にある鉱山で、それも現役
の鉱山であった。硫黄を採掘しており、集落は深いV字谷の一方を削って平地にしたと
ころにあり、それが「黄渓」という地名の由来になったと思われる。

 ここからも高校へは通うことができず、そのまま下宿生活を続けた。従って、この地
で日常の生活を送ることはなく、夏休みや冬休みの時に帰ってくるだけであった。たま
に帰って感じるのは非常に厳しい気象条件の地であったということである。谷地の中腹
にあるので、たえず下から強い風が吹いており、雨が降ると風とともに吹き上げられる。
まさしく下から雨が降ってくるのである。傘はほとんど役にたたず、カッパを着なけれ
ばずぶ濡れになる。雪もしんしんと降るのではなく、常に吹雪き状態にある。風の当たる
ところは家の屋根くらいまで積もった。雪かきに追われ、お袋はいつも嘆いていた。

 こういところは自然の恵みは得られない。周りに樹木が少なく、一面が低い笹で覆わ
ている。山菜やキノコの採取時期には、そこにいないので探したことはないが、地形的
にいって、まず期待できないと思った。鉱山はキノコが豊富説を述べたが、それはやは
り、一定の条件を備えてからのことであろう。ただ、少し遠出をすればカラマツやダケ
カンバの林があり、それらしい雰囲気のところはあった

 この黄渓もその後廃鉱になり、数年前訪れた時は一面無人の荒涼たる草原になってい
た。かつて、人の住む集落があったという面影は全く見られなかった。

 高校生で下宿生活を続けていた時代であり、アウトドアに親しむということとは無関
係な時代でもあった。

 

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