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松岩寺について

洗心

歴史

この地の地頭、布施三河守康貞は小田原北条時代の文亀2年(1502年)に同郷(山城国)の僧である如幻宗悟を請じ、曹洞宗大本山總持寺直末の寺院として、萬年山と号し開山した。
開山の如幻宗悟の族性は菅原氏で、同じ神奈川県内では1503年に徳翁寺(横浜市戸塚区)、1519年に寶泉寺(藤沢市)の開山となっている。宗悟は享禄3年(1530年)11月20日に没したが、興山舜養・月松宗尖・陽始誾甫などの弟子を輩出し、相模国・武蔵国にその法を広めた。

本尊

松岩寺の寺領は、天正19年(1591年)に八石、慶安元年(1648年)に二十二石、合わせて三十石の御朱印を幕府から賜っており、江戸時代には二層の仁王門や禅堂も備えていた。
本尊は釈迦牟尼佛で延宝5年(1677年)京烏丸 仏師 宗運の名が刻まれている。

松岩寺の役割

總持寺の二祖峨山韶碩禅師の人材育成による門弟の輩出と、輪番制創設、五院制(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)、二十五哲(優れた法嗣)により教線が拡大された。

箒小僧

松岩寺は五院輪番格の寺院で全国に24ヶ寺ある普蔵院派の一つに数えられ、25年毎に本山に上山しなければならなかった。上山する場合は住職1人、伴僧2~3人、その他奉公人1~2人が普蔵院で生活しなければならず、普蔵院への支度金2百両程度、自坊留守中の僧侶の手配など、経済的・人的負担が大きかった。二重生活の負担を強いられたが、他の四院を含め全国に160ヶ寺ある御直末とともに大本山總持寺の担い手として、また地方の民衆と生活し、直接的に大本山総持寺の宗旨を展開することに大きな貢献を果たした。
總持寺が越前(福井県)の永平寺とともに曹洞宗の大本山として、800年の法灯を輝かしめているのは御直末や輪番地であった寺院の貢献が大きい。
現在、松岩寺の末寺は県内に12ヶ寺となっている。
(平塚市:4件 大磯町:4件 秦野市2件 中井町:1件 小田原市:1件)

不老水

不老水

本堂横に「不老水」と名付けられる湧水があり、開山の如幻宗悟がこの地の水不足を危惧して龍神に祈り得たものと伝えられている。
500年以上に渡り、干ばつ時も涸れたことのない霊水である。
(※現在は飲用できません)

境内の風景

ツツジ

季節ごとに梅、つつじ、あじさいが咲き、秋の紅葉は美しい。境内から15分ほど歩くところにある霧降りの滝とともに平塚八景に選定されている。
晴天時に高台へ登れば、江ノ島が展望できる景色を味わうことができる。
※ギャラリーにて、境内の風景をお楽しみ頂けます。

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