旧東海道 ⑲ 国府〜本宿〜藤川〜美合
旧東海道 ⑲ 国府〜本宿〜藤川〜美合
御油一里塚跡/姫街道
高札場跡/御油の松並木資料館
松並木街道/大楠/赤松宿/
蘇鉄(そてつ)/夫婦楠/
長沢一里塚跡/本宿/冠木門/
法蔵寺/近藤勇首塚/東照宮
本宿一里塚跡/松並木/316km
舞木の松並木/山中八幡宮/
大楠/藤川宿東棒鼻
藤川宿本陣跡/資料館/松並木/藤川一里塚跡/松並木/美合駅
その後1号線と合流して900m進み、脇道の旧東海道へ。途中、松並木(小)がまた現れ(左写真)、その先を左折して「美合駅」へ(右写真)。この「美合」、何と読むのか解らなかったが「みあい」であった。今回はこれにて終了、7.5kmほどのウオーキングであった。次回は「岡崎城」を目指す。HP案内図へ戻る Welcome へ戻る
「旧東海道」ウオーキング、今回は新幹線で「豊橋駅」、そこから名鉄の特急電車で「国府(こう)」駅、そこからのウオーキング。そして「豊橋駅」から名鉄の特急電車で「本宿」駅からウオーキング。
国府駅から300m直進し、旧東海道に出て右折、雰囲気のある街道(左上写真)、樹木の生い茂る神社の横を通り(中写真)、駅から750mほど進むと「御油(ごゆ)一里塚跡」(右上写真)に到着。「旧東海道」ウオーキングは3ヶ月ほど夏休みしていたので緊張のスタートだった。
そこから150m先の交差点「御油の追分」、その右手には灯籠、石柱が立っている(右下写真)。
この石柱は「秋葉山三尺坊大権現道」「●●●砥鹿神社道」と書かれており「道標(道しるべ)」である。その灯籠の下には「これより 姫街道 遠州見附宿まで」と書かれた木の道しるべがある(左下写真)。「姫街道」、この旧東海道ウオーキングを連続して御覧してきた方は覚えていると思う。JR東海道線の「磐田駅」の近くの「見附宿」から始まった「浜名湖」を迂回する脇街道が「姫街道」であったのだ(ここからそのページ「旧東海道 掛川〜袋井〜見附宿」へ)。「浜名湖」にはかつては橋がなく船で渡っていたらしい。「見附宿」からこの「御油宿」までは約60km、この「姫街道」も歩いて見たいもんだ。
「御油の追分」から良い雰囲気の街道を進んでゆく(左上写真)。500mほど進んでここで右折(右写真)。中央の木の下に白い看板があり、かつてはここに「高札場」があったと印されている。その横の「進入禁止」標識に「➡東海道」という小さな案内版が架かっている。
右折し100m、郵便局の裏の方に「御油の松並木資料館」がある(左下写真)。この古い元松並木の樹が入口外に展示され、資料館の中に無料で入ることができる。時間がなかったので、中をチラッと見学、資料を頂いて松並街道を進む。
「御油の松並木」が出現する(上写真)。ここは慶長9年(1604年)に植樹されたという。「御油宿」から「本宿宿」まで600mにわたって約300本の松の大木が並んでいるという。昭和19年に国の天然記念物に指定されたらしい。
松並木が終了し300mほど進むと今度は大きな「楠」が現れる(上左写真)。ここは「関川神社」、楠の樹齢は約800年、高さ25.7mと解説されている。そこから250m「赤坂宿公園」があり「赤坂のまつり」の説明板がある(上右写真)。その向かいに、赤坂宿の「高札場」が復元(下左写真)、「まつり」の説明板の後ろにあるのが「尾崎屋」。ここは明治元年(1868年)創業の店、軒の上にある「軒行燈」の正面には「曲輪 民芸品 製造卸問屋」と書かれている(曲輪とは「曲げわっぱ」のこと:薄板を曲げて作る弁当箱など)。
そのちょっと先、左手奥にある「浄泉寺」、本堂前の樹木「蘇鉄(そてつ)」(左写真)。樹齢は280年、高さ3m、元々は広重の東海道五十三次の「赤坂 旅舎招婦ノ図」(右写真)に描かれたソテツらしい。明治20年頃、道路拡張のために旅籠からこの寺境内に移植されたという。因みに「招婦(しょうふ)」とは「飯盛り女:給仕と売色」、右の部屋で化粧中。
「浄泉寺」入口の先、左手にあるのが「大橋屋」(左上写真)。これは旧旅籠(はたご)、「鯉屋」という屋号で一般の旅人が宿泊する処。現存する主屋は文化六年(1809年)の赤坂宿の大火事以降に建てられたものらしい。その後、旧東海道から左手の細い道に入り、1号線の広い道を横断して「ラーメン屋さん」へ。12時前なのに少々待たされたが、大変に美味しいラーメンであった。
昼食後、旧東海道に戻る途中にある「杉森八幡社」に寄る。ねらいは拝殿の前の大きな「楠」(右上写真)。二本だが株根は一本、「夫婦楠」とも呼ばれているらしい。・推定樹齢はなんと約1000年、高さ20mである。その拝殿の右側に変なものが造られている(左下写真)。何となく眺めていると、通りかかった人が私にチラシを渡し「よろしかったら是非来て下さい」。チラシには写真やこんな文句が。「赤坂の舞台 伝統芸能公演 入場料無料 令和5年10月29日 開演午後1時」明治時代から残る、農村歌舞伎などの公演なのである。このへんなものは舞台の前に造られるドーム状の屋根だったのだ。
その後1.5kmほど、彼岸花(ひがんばな)が沢山咲いている街道(左写真)、そして「長沢一里塚跡」を進み、また1.5km進んで広い道1号線と合流。
1号線の横の道を進むと日本橋から313kmという標識があった(左上写真)。100m毎に標識があるので、前にやったように(旧東海道43 白須賀〜二川)、500mを進んで一休み、そんな風に1.5kmほど行くと「岡崎市」へと入って行く。
この「岡崎市」、そのちょっと先にある松の木、その辺りの先から西が「本宿」である(左上写真)。この写真の先に見えている鳥居のようなもの、それが「本宿」の入口「冠木門(かぶきもん)」である(左下写真:門を通り振り返った写真)。
そこから1号線の横の道500mを進むと1号線と旧東海道が分かれる処へと出る(右下写真)。
この左の旧東海道をチョット進むと左手に「法蔵寺」の入口が見えてくる.
「法蔵寺(ほうぞうじ)」は徳川家康が幼少の頃、手習いや漢籍などの学問に励んだ寺として有名。正面に「本殿」(左上写真)、その左手に「六角堂」(右上写真)。その横の坂道を上って行くと「近藤勇首塚」がある(左下写真)。近藤勇は東京で処刑され、京都の三条河原で首がさらされた。同士が、生前近藤が崇拝していた京都の和尚に埋葬を頼もうとしたが、その和尚はこの法蔵寺の住職に転任、ここまで首を運んで埋葬を依頼したという。首塚の上の方にちょっと上がると「東照宮」がある(右下写真)。
「法蔵寺」から700m、10分ほど歩いて「本宿駅」に到着。久しぶりの10km位のウオーキング。名鉄名古屋本線で「豊橋駅」、新幹線で「小田原」、そして「二宮」、久しぶり(前回6/27、今回9/27、3ヶ月ブランク)の旧東海道ウオーキングであった。
「豊橋」から名鉄で「本宿」へ。電車先頭の脇に2人用の座席あり、そこから進む方向を眺めながら15分で「本宿」(左写真)。「本宿駅」下車、地下道で1号線の下を通り旧東海道、60m先に「本宿一里塚跡」の石碑があった(右写真)。
「本宿一里塚跡」から400m、5分ほど進むと松並木が現れる。100mほど松並木が続き、1号線と合流する地点に石碑と案内版がある(左写真)。それから1号線を進んでゆく。途中に1号線316.0kmの標識(中写真)、日本橋からの距離である。 1号線を1.6km進み、交差点で1号線の向こう側の旧東海道へ移動、200mほどで舞木の松並木(右写真)。松並木はこの5本で終了、先の交差点で1号線を再度渡り、ちょっと寄り道。100m程で神宮の入口へ
この神社は「山中八幡宮」。鳥居の向こうに見える大きな樹がすごい(左写真)。この樹は「楠」、高さ21m、1号線からも見える巨木という(右写真)。樹の向こうに見える階段を登って本宮へと行くのが本来であるが、ここでは「楠さま」を礼拝して旧東海道へと戻る。
「楠さま」から800m、10分ほど歩いて「藤川宿東棒鼻」に到着(左写真)。「棒鼻(ぼうばな/ぼうはな)」とは宿駅のはずれ、棒杭が立っていた処で「藤川宿」の東のはずれである。」ここは「曲手(かねんて)」と呼ばれ、細い道の突き当たりで右、そしてすぐに左、クランク状に曲がる道である(「枡形(ますがた)」)。そして古そうな家屋がある旧東海道を進む(右写真)。
10分ほど歩くと「藤川宿本陣跡」に到着。チョットした広場になっている(右写真)。
その入り口には「高札場」が復元されている(左写真)。その先には「藤川宿資料館」がある(中写真)。玄関らしき扉を開けて入ると中には藤川宿のジオラマや資料が展示(右写真)。入館料無料、無人の資料館であった。
その先、松並木が始まり(左上写真)「藤川一里塚跡」がある。そして「名鉄名古屋本線」の踏切を渡り、松並木が続いてゆく(右写真)。1km、15分ほど松並木を楽しんだ。