スポーツまいんど その36

◎「身体(からだ)」と「こころ」

        ⑤「からだ」のかかわり「感性」

 

 今回は「感性」の話。「感」つまり「こころ」「きもち」、その「性」つまり「さが」、「もって生まれた性質や宿命」、何か解ったような、解らないよう解釈である。「感性」を事典で引いてみると、英語「sensibility」の訳語で、「知性」「理性」「悟性」などの知的認識能力に対する感覚的認識能力一般と書いてある。まあ、知的ではない感覚的な能力なんだろう。   

 「感性豊か」などと言われているが、それはどういうことなのか、よく解らない。そういう時は、その反対を考えてみる。「感性乏しい」ひとを想像してみよう。何人か、あたまに浮かんだだろう。私のイメージを紹介すると「モノやカネを追い求めるひと」「何でも数字で解決しようとするひと」「勝負や地位、名誉にこだわるひと」、こういう人たちがいると思う。しかし、これら「感性乏しい」ひとが追求している「モノ/カネ/数字/勝負/地位/名誉」は「社会」で重要とされるものである。

 ここで「感性」についてのひとつの考え方を紹介しよう。桑子敏雄という哲学者の「感性」の定義である。桑子は「感性」を「世界のなかで自己の配置を感じる能力、世界と自己との相関を感知する能力」としている。ここで注目するのは、彼が「社会」ではなく「世界」と言っているところである。「社会」は人間が集まって作りあげたものであるが、人間は「社会」の中だけに生きているのではない。ベイトソンという人類学者は、人間が生きている三重のシステムを示している。私たちは「身体システム」として生きている。息をしたり、脈打ったり、さまざまな事を成しながら身体として生きている。そして人間によって作られた「社会システム」の中でさまざまな行為を成しながら生きている。しかし、それと同時に、人間が作ったものではない「世界」、例えば星、空、海、花、風、山、草木、生き物、その「世界」というシステムの中にも生きているのである。この「身体」「社会」そして「世界」が「三重のシステム」なのである。

 桑子の定義に従えば、「感性」とは「社会」ではなく「世界」、その中においての自己と他の事物(他者・動物・生き物・植物・モノ)の感じ方、そして「かかわり方」として考えることができる。例えば「好む」と「愛でる(めでる)」という言葉がある。「好む」は辞書では「数ある対象物の中から性分に合うものを選びとって味わう 」という意味。そして「愛でる(めでる)」は「かわいがる、愛する、感動する」という意味である。「桜を好む」「桜を愛でる」、何となくその「かかわり方」に違いがありそうである。「好む」は、「社会」のなかでの、主に「意識」を中心としたかかわり方(like)。そして「愛でる」は「世界」のなかでの、主に「からだ」を中心としたかかわり方(love)と考えることができる。「感性」は、桑子に従えば「世界」とのかかわり方であるから、「愛でる」のように、「世界」に「からだ」で(つまり、身をもって)かかわる能力のことと考えることができるのである。

 このように「からだ」は、「こころ」より先に動き、それを支配し、ある事をわからせ、あるものと同調(シンクロ)する(Sまいんど35)。そして「からだ」は、「感性」という「世界」システムの中での「かかわり方」の能力に関連してゆくのである。

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