「ただいまー。」
何事もなかったようにそう言った彼女を見て、ぼくは全身の力が一気に抜けて言葉もなくその場にへたり込んだ。
「ちょっとぉー、ただいまじゃないでしょう。シトレ、心配して、昨夜なんかほとんど寝てないのよ。」
カトレアがちょっと咎める口調で言うと、
「あ・・・あは、ごめんなさい。実は、住民登録の申請に手間取っちゃって・・・。」
とフリージアが控えめに言った。
「住民登録?なんの?」
キサラが言うと、
「キサラとシトレの永住が認められたの!これでこの星に大きな顔してずっといられるのよ!」
と彼女はすごく嬉しそうに答えた。
「なっ、なんだよっ・・・。そういうことなら、先に言って行ってくれれば・・・・。」
ぼくがようやく喋ると、
「ごめんなさい、だって、言う間もなく連れてかれちゃったもんだから。でも、これで本当に何の心配もなく一緒にいられるのね。嬉しい!」
とフリージアはぼくに抱きついた。
そんなわけで、この日の夜は久しぶりに紅も混ぜてお祝いの大騒ぎをした。
なんか、こう、気にかかってたことがスカッとして、これから楽しいことばかりがあるような気がしていた。
そのお祭り騒ぎの後、ぼくは研究室の紅のところへ行った。
酒が入ってる紅は機嫌がよくて、まだ直っていないアシュラに、なにか話しかけていた。
「アシュラ、直りそう?」
「ああ、もう少しだ。」
「ぼく、なんにも手伝わなくて、ごめんね。」
ぼくは機械いじりにかけてはまったくセンスがなかった。
だから、アシュラの解体、及び修復には関わっていない。せいぜい買いだしに行くくらいだった。
「それから・・・。勝手に、残ること、決めて、ごめん。」
紅はアシュラを見つめたまま、穏やかに笑った。
「いいさ。気にするな。人にはそれぞれの向き、不向き、生き方、しあわせのなり方がある。」
「気にするな、って言われて気にしないヤツはいないんだけどさ・・・。でも、ありがとう。・・・ぼく、紅とキサラとチーム組んでて、よかったな。」
「なんだよ、急に。」
「なんか、そう思ったんだ。」
紅が地球へ帰ることができたら、もう2度と会えないような気がした。
その前にちゃんと、出会えて、一緒に仕事ができたことに感謝しなくてはいけないと思っていた。
ぼくらはその後、以前、キサラが飲酒運転をして捕まりかけた話とか、アシュラを中古屋へ買いに行った時の話とか、昔話に花を咲かせた。
後で思えば、紅とそんな風に話しをしたのは、これが最後だったような気がする。
ぼくらはまだ、自分たちの置かれた状況を甘く見ていた。
正直言って、先の見通しはぜんぜん立たなかったけど、永住できることになって、フリージアと一緒にどう生きて行こうかと考えるのは、幸せなことだった。
それしか考えてなかったんだ。
「俺はこの星に、大事なものは見つけられそうにないから、やっぱり帰りたいな。」
紅はそう言って、少し寂しそうに笑った。
この1週間ほど後に、アシュラが直った。
そのことを、紅はずっと隠していた。
なぜなら、直ったアシュラはアシュラじゃなかったんだ。
言ってくれなかった紅を、責めるつもりも、恨むつもりも、ない。
それに、ぼくはもっと忙しくなって、アシュラどころじゃなかったのも事実だ。
でも、紅。
もし、打ち明けてくれていたら、ぼくらはもっと、変われたかも、しれないね。
この星に来て、どのくらいが経ったのだろうか。
ぼくとキサラはリックスを通して仕事を紹介してもらって、この星の生活にすっかりなじんでいた。
見た目の変わらないぼくたちは、どこへ行っても暖かく迎えられ、過ごし易さはこの上なかった。
ただ、紅だけは、ますます研究室にこもるようになって、ヒゲも髪も伸び放題で、まだ回復しないアシュラの前でブツブツと独り言を言っては、キーボードを叩いていた。
ぼくとキサラはホームシックだろうと思っていた。
「ハード系はオレが完璧に直したぜ。あとは内部のソフト的な問題だ。それは紅じゃないと分からないからなぁ・・・。」
キサラはなかなか直らないアシュラを心配していた。
ぼくと言えば、フリージアがここしばらく、感情の抑揚が激しくて、体調も良くないようだったので、そっちの方ばかり心配していた。
ぼくに何かを言おうとしたり、やめたり、いつもの2倍くらい長く眠るようになったり、あまりにもおかしいんで、一度お医者に診てもらったら?と勧めたくらいだった。
フリージアには本当に友達が少なかったけど、少ないなりに、いい友達を持っていて、その中でもダリアという名の女医さんととても仲がよかった。
そんなある休日のこと。
「今日は午後にカトレアとダリアが来るの。」
やっと診てもらう気になったのか、そう言って機嫌よくお茶の準備をしていたフリージアがぼくの目の前で、突然崩れるように倒れた。
ぼくはすごくびっくりして、彼女をベッドへ運ぶと、額を冷やしてあげながらカトレア達が来るのを待った。
「倒れた?珍しいわね。」
しばらくすると、カトレアがキサラと一緒にやってきて、ぼくと看病を変わってくれた。・・・とゆーか、部屋から追い出された。
「男にはわかんないことなんじゃないのか?」
追い出されていじけていたぼくを、キサラが慰めていた時、悲鳴と言うか、驚嘆と言うか、とにかく細い叫び声が聞こえた。
ぼくとキサラが2階へ駈け上がってドアを開けると、フリージアは半身を起こしていて、カトレアがその膝元で泣き伏していた。
「驚かせるつもりはなかったんだけど、やっぱり驚いたみたいで・・・。」
フリージアは優しくカトレアの髪を撫でた。
「なにが、あったんだ・・・?」
キサラが聞いた。
「彼女、妊娠してるのよ。」
答えたのはフリージアではなかった。
いつのまにか来ていたダリアが、入り口のドアにもたれかかって言った。
ぼくは嬉しさと動揺がいっぺんにこみ上げてきて、何を言っていいのか分からず、とりあえず
「おめでとう。」
と言った。言った途端にカトレアが興奮気味に、
「シトレのばかっ!ここじゃ女は子供産まないって言ったでしょう!?違反になるかもしれないんだって!管理局が認めてくれなかったら犯罪よっ!」
と泣きじゃくりながら言った。
「そうなの。ここではね、生殖器が退化してるから、普通、妊娠はしないんだけど、彼女、特異体質なのね。ちゃんと機能してるのよ。」
ダリアは医者らしく落ち着いている。
「確かに、違反になるかも知れないけど、産んでしまえば管理局も殺すような真似はしないでしょう。決めたの。あたし、産むわ。だって、こんな素敵なことってないじゃない。あたし、シトレの子が産めるのよ。」
フリージアの目に、確かな決意が見える。母は強いなぁ。
そういうフリージアを見た途端、羨ましくなったのか、
「キサラ、私も欲しい欲しい欲しい〜〜〜〜っ。」
とカトレアが地団駄を踏んだ。
「しょーがねーじゃん。・・・そーか、やっぱりできないのか。・・・そーだよなぁ。」
キサラは相当がっかりしていた。作ろうと思って頑張ってたのかな。以外にも子供好きなんだよな。
ぼくはフリージアに改めて「おめでとう」を言うと、ダリアに
「フリージアのこと、診てくれるのダリアだけなんだよね。よろしくお願いします。」
と頭を下げた。すると、
「あらぁ、違うわよ。確かに医師としての検診ぐらいはできるけど、あたし達、子供のことなんか何にも知らないのよ。あなた達に頑張ってもらわないと。」
とぼくとキサラを交互に見ながら言った。
「えっ、オレも!?」
「そう。知ってる限りのこと掻き集めて、マニュアル作って頂戴。」
「うっそだろ〜〜〜っ!?」
ぼくとキサラは声をそろえて言った。
「頑張ってね、パパ。」
フリージアがにっこりと笑った。
マニュアル作りは始めのうちは、それはそれは大変な作業だった。
なんせ、ぼくらは男であるから、お産のことなんか知ってるわけなかったんだから。
しかし、これは途中から思いがけないヘルプがあった。
ある日、ぼくとキサラが頭を抱えながらマニュアルを作っていると、紅がやってきた。
「なんか、大変なことになってるらしいな。」
と言って紅が差し出したのは、産前・産後マニュアルだった。
「どうしたの、これ・・・。」
「アシュラに"救Qマニュアル"インストールしてたの思い出して、ひっぱりだして見たんだ。役に立てばいいと思って印刷しといた。」
「アシュラ、直ったのかよ。」
「いや、アシュラ自身の立ち上げはまだ無理だけど、仮立ち上げでそのほかのソフトは動くようになった。」
「ありがとう、紅!助かるよ〜〜〜。」
ぼくはマニュアル作りから解放されて、安堵のため息をついた。
「アシュラの方はどうなんだ?」
すっかり肩の荷が下りたキサラが聞いた。
「立ち上がるか分からん。今のとこ、アシュラ抜きで調査もやってる。」
「そうか・・・。直るさ、必ず。メモリーには大してダメージなかったんだし。でも、シトレの子供の顔くらい見て帰ってもいいと思うぜ。」
「それじゃあ後半年は直らないとこになるな。」
紅は苦笑いをした。
この印刷してもらったマニュアルはダリアにとても喜ばれて、「あたしはこの星初の出産に立ち会うのね。」と鼻息を荒くしていた。
ぼくはマニュアル作りはしなくても良くなったものの、フリージアと一緒に勉強しないといけないことは山ほどあった。
これは、子育て協力者として、カトレアも一緒にマニュアル読みをした。
仕事をして、勉強して、フリージアの家事の手伝いをして・・・、と忙しい毎日を送っていると、月日が経つのはあっと言う間だった。
「ダリアは医者としての興味が先走ってるみたいねー。カトレアは自分が産めない分、あたしの子に期待してるみたいだし。あたしはもー、重たくってしょうがないんだけど。」
大きなおなかを抱えて、フリージアは幸せそうに笑った。
そんな階下の様子とはうらはらに、紅は4階の研究室で電気も付けず、どんよりとした表情でアシュラのディスプレイと向き合っていた。
「もうすぐ、産まれるよ。シトレと、フリージアの子が・・・。君の言う通り渡したマニュアルも役に立ってるみたいだ。」
疲れているんだろうか、表情に生気がない。
ディスプレイの画面が、その顔を青白く照らす。
"憑かれている"と言うとはまるような感じだ。
「ここまでは、君の予定通りに来ているよ・・・。でも、本当に君はそれでいいのか?」
"それ"は返事を返さない。
「俺は君を失いたくないよ、ミュー。」
紅の肩が震える。泣いているのかも知れない。
「・・・紅、あなたは優しいのね。でも、私は、間違っているつもりはないのよ。」
アシュラから声がした。いや、これはミューの声か・・・。
紅の沈黙と苦悩は、ミューの為に続いてた。
フリージアの出産の日は、そりゃあもちろん大騒ぎだった。
ぼくはオロオロしてるし、ダリアとカトレアはバタバタしてるし、フリージアは痛がってるし、子供が生まれるって、こんなに大変なのかと思った。
家で産むことにはなってたんだけど、小心なぼくはどうしても立ち会うのが怖くて、リビングでキサラと一緒に待っていた。
「ほんとは結構、羨ましいんだぜ、お前のこと。しっかりしろよ。」
キサラはぼくを励まそうとして、そんなようなことを言った。
やがて、カトレアが目にいっぱい涙をためて下りてきて、
「すごい、怖かったの。でも、フリージア頑張ったし、感動したわ。子供が生まれるって、すごいことなのね。」
と言った。
キサラは震えているカトレアを優しく抱き締めると、ぼくに、
「産まれたんだろ。行ってこいよ。」
と言った。
ぼくは妙に緊張していて、その時、何を考えていたのか覚えていない。
2階に上がって部屋のドアを開けると、中は湯気なのか、熱気なのかぼんやりと曇っていて、フリージアはダリアに汗を拭いてもらっているところだった。
「男の子なんだよ。ほら。」
ダリアが柔らかいタオル地に包まれた赤ちゃんを、ぼくに抱かせた。
真っ赤で、くしゃくしゃで、小さくて、まだ、この子に対する愛情なんてほど遠いような気がしたけど、とてつもなく大きな贈り物をもらったような気分だった。
「フリージア、あ、ありがとう。」
フリージアは疲れて半ばもうろうとしてたけど、穏やかに笑うと、
「名前は、どうする?」
と聞いた。
「ぼく、アーシアにしようと思って。地球のことなんだけど。」
その後、アーシアは順調に育っていて、ぼくとフリージアを見分けるようになったり、泣くことしか出来なかったのが笑うようになったり、寝てるしかできなかったのが座れるようになったりと、いつもぼくらを感動させてくれた。
そのたびにぼくの中で、幸せが積み上がって行く。
ひとつひとつは小さなことでも、積み上がって来ると自分が幸せなのだという実感をひしひしと感じる。
キサラとカトレアも頻繁にやってきては、自分たちの子供のように可愛がってくれた。
さすがに紅は子供は苦手で、あまり構ってくれなかったけど。
フリージアは、管理局からお咎めが来るのではないかと心配していたけど、そんな気配もなく、ぼくらは楽しい日々を送っていた。
積み上げた幸せが崩れる日が来ることなんて、考えてもみなかった。
それはきっと、キサラも、紅でさえも、考えてなんていなかっただろう。
その日も、キサラとカトレアが来ていて、アーシアをあやして遊んでいた。
フリージアは台所で夕食の用意をしていて、ぼくはその手伝いをしていた。
リビングからアーシアとキサラのの笑い声が聞こえて、
「なんかキサラのヤツ、持って帰りそうでコワイなぁ。」
とぼくが言うと、
「ほんとね。ちゃんと見張ってた方がいいかもよ。」
とフリージアが笑った。
その時、ドアチャイムが鳴り、手の離せないフリージアが「出て」と言うので玄関へ行ってドアを開けると、黒尽くめの男が立っていた。
管理局の監査員だ。ぼくはすぐに分かった。
「フリージアさんはこちらですよね?」
言い方が冷たい。イヤな予感がした。
「何の、ご用でしょうか?」
ぼくは出来るだけ気を落ち着けて聞いた。
玄関からの異様な雰囲気を感じ取ったのか、カトレアがリビングから顔を出して不安そうな顔をしていた。
「彼女が産んだ子供を、管理局としては認知しないことに決定いたしました。よって抹消させていただきます。また、管理局の許可なく、違法の行為を犯したフリージア女史を罰します。」
ぼくの体から一気に血の気が引いた。
「フリージア、アーシア、逃げてっ!」
ぼくが言い終わらないうちに、男はぼくを押さえ込み、明らかに武装した5人の男を家に上がり込ませた。
「どうしてマザーはあなた方の存在を許したんでしょうねぇ。」
押さえこまれた腕を振りほどこうと、もがくぼくに男は薄笑いを浮かべて言い、その腕を放した。
ぼくは転がるように男達の後を追って、リビングに駈け込んだ。
そこからはまるでコマ送りのように鮮明にぼくの目に焼き付いている。
「フリージア、出てきちゃだめぇっ!」
カトレアが叫ぶ方が遅かった。
台所から何事かと出てきたフリージアの体に、5人の男達は一気に弾丸を打ち込んだ。
血が飛び散って、壁に色を付けた。
火薬の匂いが鼻をつく。
びっくりして泣き出したアーシアを、キサラがかばって抱きこんだ。
フリージアは声もなく倒れ、カトレアが絶叫してその側へ駆け寄った。
そして、銃口がキサラとアーシアに向けられた瞬間、誰かがまた絶叫した。
それは、さっきの監査員だった。
でも、声が違う。
女の人の声だった。
「やめて!やめなさい!!なんてことを!」
騒ぎを聞いて、紅が上から下りて来て、突然の惨劇に声を裏返させた。
「なっ、なにがどうなってんだ!?」
武装した男達は次の命令を待つかのように、動きを止めた。
「退きなさい!」
その声に、男たちがさっといなくなった。
「紅、紅・・・。ごめんなさい、私・・・。」
監査員の口から出る声は、動揺し、震えていた。
そして、その監査員もその場から姿を消した。
カトレアはフリージアの名を何度も呼び続けていた。
ぼくがフリージアを抱き上げた時には、もう、瞳はどこを見てるのか分からなかった。
苦しいのか、何か喋ろうとしているのか、口をパクパクと動かしている。
助からない。
それだけがぼくの頭の中をグルグルと回った。
ぼくは怖くて、何かがものすごく怖くて、震えながらだんだんと冷たくなってくる彼女を抱き締めた。
後で思えば、積み上げた幸せが崩れる感覚が怖かったんだと思う。
その感覚は、ぼくの中でガラガラと音を立てて、押しつぶされそうなほど重たいものだった。
血に濡れた彼女の髪が顔や体にはりついてくる。
カトレアが側で泣き叫んでいたけど、ぼくはどうしても、声を発することができなかった。
「フリージア、目を、目を閉じないでぇ。」
カトレアが言った。
そして、2度と彼女が目を開けることはなかった。
「紅、あの声、お前のこと、知ってたよな・・・。どういうことだ?」
キサラが青白い顔をして立っている紅に聞いた。
でも、それから誰ももう、口を開かなかった。
まだ何も理解できないアーシアだけが、火がついたように泣いていた。