銅門(あかがねもん)

馬屋曲輪から撮影
二の丸と馬屋曲輪の出入り口の銅門は石垣による桝形、
内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる堅固な門です。

二の丸側から撮影
二の丸側から撮影しました。
銅門は昭和58(1983)年から行われた発掘調査の成果や、
古写真、絵図などを参考にして平成9年に再現されました。

住吉堀から撮影
銅門を攻め手になったつもりで登城したいと思います。
まず銅門への進入を住吉堀が阻みます。
この住吉堀は発掘調査により大森時代、北條時代、江戸時代と
様々な堀が時代ごとに発掘されました。

住吉橋
銅門に架かる住吉橋は途中までが土橋、銅門手前が木橋となります。
発掘調査により橋台の石積みと松丸太の橋脚が立った状態で見つかっており、
柱穴は埋蔵文化財として砂で埋めその上に現在の柱の基礎を置いたとのこと。
こうして住吉橋は平成6年に再現されました。

銅門二の門
内仕切門は石塁上の土塀より下方に門を作る埋門の形式を取ります。
土塀には敵を射る為に狭間(さま)と呼ばれる穴があります。
橋を渡ろうとすると正面の左右の狭間から射られてしまいます。

枡形内部
銅門二の門をくぐると土塀と石垣で構成された城壁が待ち構えています。
敵兵が二の丸に攻め込むにはここで進路を櫓門に向かって90度左手に変えなければいけません。

枡形外部より
枡形の外、二の丸側から撮影しました。
石塁の上に土塀が築かれ武者走り(土手などに造られる兵の通路)となっています
こちらから桝形内部の敵を射ることができます。

枡形内部より銅門櫓門
進路を90度変えた敵を待ち構えるのは画像奥の渡櫓です。
ここで画像右手の城壁と正面の櫓門からの攻撃を受けることになります。

銅門内部より枡形を望む
櫓門内部から枡形を撮影しました。ここから侵入した敵を射る事ができます。
枡形門とはその名の通り枡のように城壁などで四角く囲み、
囲みの中に進入した敵を一網打尽にしてしまう構造の出入り口です。
全国のお城の枡形門の殆どが敵の進路を90度変えなければならない構造を持っており、
守り手は外敵に対し正面と横矢の2方向からの攻撃をかけられる構造となります。

銅門内部見学会
こちらは銅門渡櫓内部の模様です。内部は一般公開されておりませんが、
この画像は2009年3月29日に行われた馬出門開門式の際に特別に公開されたものです。
まるで新築のように美しく10年以上も前に造られたものとは思えませんでした。
梁材には釿(ちょうな)仕上げと呼ばれる表面処理が施されています。

足駄狭間
銅門内部に再現された足駄狭間(あしださま)の石落としです。
この石落としから櫓門に近づいた敵に石や汚物などを落とします。
誤って足を落としてしまわないようにガラス張りが施されていました。

銅門から馬屋曲輪を望む
銅門からの眺め、馬屋曲輪

銅門から二の丸を望む
二の丸方面

銅門から本丸方面を望む
本丸方面

銅門説明板
説明板によると大扉に使われた飾り金具に、
銅が用いられたのが銅門の名前の由来とのこと。
梁は松、柱と扉にはヒノキが使われていると書いてあります。

大扉 銅で装飾されています
櫓門に近づいた敵を待ち構えるのがこの大扉です。
説明板の通り銅の装飾が施されています。

石垣に合わせて削られた柱
大扉の柱は石垣に合わせて精巧に削られています。

梁材には釿仕上げが施されています
天井近く梁材にはこの二本の太い梁が組まれており、
釿(ちょうな)仕上げが施されています。

北條手作り甲冑隊と記念撮影
定期的に地元『北條手作り甲冑隊』の皆さんによる、
鎧武者との記念撮影のイベントも開催されています。

土塀復元模型
これは銅門近くにあった土塀も模型です。
このように銅門は本来の工法で復元されました。

土塀復元模型説明板
説明用の立て看板です。土塀の乾き具合など、
この模型を参考に銅門を再現したと書いてあります。

銅門礎石
この石は銅門の礎石と考えられている石です。
右の石は1.6t左の石は1.8tです。
両方合わせると車3台分の重さですね。

礎石説明板
説明板によると
半分以上を土の中に埋めて斜めになっている部分を石垣に合わせ、
ホゾ穴に柱材を入れて礎石としたのではないかのこと。
箱根外輪山の安山石製で所々に石を割る為の矢穴があるとのことです。

水路
銅門は水路まで再現されています。

水路出口
水路は銅門の渡櫓土台の石垣の下から枡形を通って、
住吉橋の下の水路の出口から堀へと抜けます。

雁木
これからは守り手として枡形内部から馬出門の敵を狙ってみたいと思います。
枡形内部の武者走りは昇ることができます。

土塀と狭間
土塀の狭間は三角形のものと長方形の2種類があり、
三角形は鉄砲、長方形は弓で射る為のものだそうです。
鉄砲はしゃがんで撃つ為に低い位置に、
弓は立って射る為に高い位置に狭間が設けられます。

狭間から馬出門を望みます
狭間から馬出門を望みます。
ここから馬出門に進入した敵を射ることができます。

銅門と馬出門の位置関係
銅門と馬出門の位置関係を撮影しました。
画像左が銅門で右が馬出門になります。
先ほどの画像の銅門の狭間から馬出門に進入した敵を射ることができます。
馬出門より高い位置から敵を射ることが出来るようになっています。

馬出門から銅門を撮影
馬出門から銅門を撮影しました。
馬出門に進入した敵は正面の銅門より撃たれてしまいます。

このようにお城は一つの建物だけで構成されているのではなく、
門や櫓、城壁などで互いに連携し合って敵の進路を阻む構造となっております。

この連携は建物同士だけでなく曲輪単位でも設計されてます。
こうしたお城全体の平面設計のことを縄張り(なわばり)と呼びます。

全国各所のお城では必ずこのように建物や曲輪の連携が取れるように工夫がされています。
縄張りを理解するとお城の楽しみ方がより深くなりますので、
こうした工夫が何処でされているのか注意深く見学して見ましょう。


引用・参考文献

小笠原清ほか小田原市編さん委員会 1995 小田原市史 別編 城郭 小田原市
小笠原清ほか 1995 歴史群像名城シリーズ8 小田原城 学習研究社
小田原市教育委員会 1999 国指定史跡小田原城跡銅門復原工事報告書
銅門史跡説明板


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