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この馬出門は平成21年に再現されたばかりの新しい城址公園の正面玄関です。
馬屋曲輪の北部に位置し二の丸の正面に位置する重要な門として、
江戸時代初期から末期まで存在し、
寛文12年(1972)に枡形形式に改修されました。

馬出門は内冠木門と合わせて2つの門と、
その周囲を石垣と土塀で四角く囲った枡形形式の総称です。

馬出門手前の枡形は石垣と土塀で囲まれず門もありません。
手前には馬出門土橋(通称めがね橋)がかけられてます。
馬出口という呼び名もあったそうです。

画像左側の石垣は真鶴で産出された墓石などに使われる『小松石』で、
非常にコストがかかりました。
画像右側の石垣は石垣山城近くで偶然発見された『早川石丁場郡』から、
廃棄となる予定の石を取り寄せ利用したそうです。

馬出門はそれぞれの控柱に屋根のつく『高麗門』という形式の門です。
絵図や同時期に作られた江戸城の門から判断し『高麗門』と断定されました。
木材は門扉にはケヤキ、屋根の下地はサワラ、
土塀の控柱にはクリ、その他にはヒノキが使用されています。
門の鏡柱と控柱には耐震性向上の為、斜めに筋違いを施されています。
江戸城にも安政地震(1855)以降に施されている為、これに習ったとのことです。

美しい白壁の土塀は銅門同様に本来の工法で再現されております。
柱と柱の間に竹小舞を組み藁縄を巻き付け、その上から土壁が塗られています。
仕上げには漆喰が用いられていますが、調合は親方しか知らないそうです。
馬出門の工事の中で最も時間を要したとのことです。
土塀の狭間には三角形の鉄砲狭間と四角形の矢狭間が、
1間(約1.8m)の間隔で配置されています。
土塀を支える柱に関しては痛んでしまった場合も考慮し、
容易に交換ができるようにソケット式になっているそうです。

瓦は発掘調査で内冠木門の瓦溜からの出土品を参考に忠実に再現されました。
軒丸瓦には『三つ巴文』、軒平瓦には『唐草文』、
鬼瓦には大久保家家紋の『上り藤に大』が使われています。

馬屋曲輪から内冠木門を望みます。
とても美しい門ですね。

馬出門開門式での風景。
地元『北條手作り甲冑隊』の皆さんと記念撮影です。
引用・参考文献
小笠原清ほか小田原市編さん委員会 1995 小田原市史 別編 城郭 小田原市
諏訪間順 2009 馬出門開門式配布資料及び解説
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